聖書
(343) “人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。”
基本的に私たち人間は『わがまま』な生き物です。ですから知らず知らずのうちに「世の中が自分の思い通りに動いてくれないこと」に腹を立てている自分を発見したりします。そんな時に私たちは大抵周囲のせいにしたり、世間をうらんだり、自分の生い立ちを呪ったり、果てには信じてもいない『神』を罵ったりします。 キリストの使徒パウロは、ローマにある教会宛に書き送った手紙の中で「近い将来スペインに行く予定があるので、その途中で必ずあなた方の教会に立ち寄りますね」と約束しましたが、それは決して実現しませんでした。何故なら彼はその手紙を書いた後、捕らえられて投獄されてしまったからです。しかしその投獄中に彼は現在聖書の中に遺されている多くの優れた書簡を書き綴ったのです。必ずしも「私たちの計画がくずれること」が「私たちの人生を不幸に陥れる結果」になるとは限らないのです。もしアナタが「人生が思い通りにならないことに対する不平不満」ばかりを思い巡らし、それらの『計画倒れ』から驚くべき祝福を生み出すことのできる神のわざを見つけることができないでいるのなら、それこそ「人生の大きな損失」です。 皆さんはあの美しい『真珠』がどのようにして作られるかご存知の事と思います。小さな砂粒などの「異物」が真珠貝の中に入り込んでしまった時、貝はその『痛み』の故にカルシウム分や有機質を分泌し、それらが何重もの層になって、やがてそれが美しい『真珠』となるわけです。言うなれば「想定外」のことが起こらなければ、あの美しい宝石は生まれないのです。 「苦しいときの神頼み」と言われますが、私たちは物事が自分の思い通りに進んでいる時には『神』の存在など忘れてしまうものです。しかし『神』はもしかしたら、そんな私たちにご自身を思い出して欲しくて、また私たちの人生を通して「私たちの思いを超えた豊かで美しいもの」を生み出したいがために、敢えて私たちの人生が「自分の思い通りに進まないこと」を許されるのではないでしょうか?
メッセージ
2019年5月5日 「始められた『回復のわざ』」
メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ 「始められた『回復のわざ』」 (05/05/2019) ◆神の逆転のみわざ [ローマ8:28] ・私たちは本来『神のかたち』に造られ、「神の性質(栄光)を反映する存在」として造られた。ところが私たちが 『神』ではなく『自分自身』を人生の主として生きる選択をしたために、この『神のかたち』は損なわれ、「神の栄 光を表現して生きる人生」も失われた。しかし今神は「イエスを『主』と告白する者にお与えになったご自身の 霊」によって、再び私たちの内に『神のかたち』を回復しようとしておられる。これぞ[ローマ8:28]の成就! ◆私たちが注目すべきもの ・多くのクリスチャンは「自分の理想の姿」と「見える形の今の自分」とのギャップに苦しむ。しかし注目すべきは 「見えている今の自分」ではなく、「神が聖霊によって始めておられる『内なる良いわざ』」。[ローマ8:23-25] ・私たちにできることは、「立派になるためにガンバルこと」ではなく、むしろ神がご自身の霊によって私たちの内 側でなさっておられることに信頼して、希望を抱いて喜びつつ待ち望むこと。(使徒パウロの証 [ピリピ3:12]) ✰今日の大切なひと言: 注目すべきは、見えないところで進んでいる神のみわざ。 Outline of the sermon “God’s Work has started within us!” (05/05/2019) ◆God’s Work of restoration! [Romans 8:28] ・God created us “in His image” to let us reveal His glory on the earth. Yet Read more…
聖書
(342) “私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。”
皆さんは「こんな人になりたい」と思うようなモデルを持っていますか?または「自分が子供の頃はあの人のようになりたいと思っていた」というような歴史上の人物とか…。私は子供の頃『野口英世』に憧れて「大きくなったらお医者さんになって、奥地の人々を助けたい」と思っていました。幼い頃にいろりで手を大やけどするというハンディがありながら、その生涯を奥地医療にささげた彼に、心から尊敬の念を抱いていたのです。 現代の若者の多くが憧れるのは、どちらかというとそのような『歴史上の偉人』ではなく、「テレビや映画のスター」や「ユーチューバー」などになっているようです。ちょっと残念な気がします。でももしかすると若者たちがそのような存在に惹かれて行ってしまうのは、身近に「あんな人になりたい!」と思わせる存在がいないからなのかもしれません。 キリストの使徒パウロは「私のようになってください!」と言いました。それは何もエラぶった態度なわけではなく、彼自身が目標としていた存在(イエス・キリスト)に絶対の自信と信頼を置いていたからです。そして恐らく彼自身も、その目標としていたキリストに近づくごとに「大きな喜びと興奮」を味わっていたからに違いありません。実はその『喜びと興奮』は私自身も日々味わっているものなのです。 私たちの周囲の若者たちが「正しい目標に向かって進んで行くため」に、まず私たち自身が『優れたモデル』に倣いながら日々を歩み、次世代を担う人々が憧れるような存在へと成長して行こうではありませんか。
聖書
(341) “しかし神は、私の行く道を知っておられる。私は試されると、金のようになって出てくる。”
もしあなたが自分の人生を評価するときに、「他人の人生と比べて一喜一憂している」とすれば、何かが間違っています。何故なら神様はあなたをユニークな存在としてお造りになり、あなたのために「他の人とは違うユニークな人生の計画」を持っておられるのですから。 神様は私たちの思いを超えて働かれる方ですから、神に従って生きる人生は時々私たちの考えとは違っていて戸惑うことがあるかもしれません。でも神様は良いお方ですから、あなたの人生をもてあそんだり台無しにしたりは決してなさいません。ただ彼は私たちに「信頼して従うこと」のみを要求しておられるのです。 上記のことばは、聖書に登場する信仰深い人物の1人『ヨブ』という人が遺した言葉ですが、ここから3つのことを学ぶことができます。 ①「神様は、あなたが今置かれている状況をよくご存知である」ということ。あなたが今体験していることは神様の深いご計画の1部です。神様がうっかり目を離している隙に起こってしまったアクシデントなどではありません。たとえ今起こっていることをあなたが理解できなかったとしても、神様にはちゃんと分かっているので、ただ信頼して従えば良いのです。 ②「神様は私たちを試す方である」ということ。私たちの人生には『予期せぬ試練』が起こることがあります。そしてそんな状況に直面すると私たちは「何か悪いことをしただろうか?」「神様がバチを当ててるのだろうか?」などと分析するのですが、そうではありません。この世の価値観に凝り固まっているアナタを「神のご計画を担う存在」へと練り直すために、しばしば神様は『試練』を用いられます。でも心配することはありません。神様はいつでもちょうど良いタイミングでそれを私たちの人生に送られ、またちょうど良いタイミングに終わらせてくださるからです。 ③「神は私たちを成長させる」ということ。美しい金銀や宝石が、初めはどれほどたわいもない原石だったか想像がつくでしょうか?同じように、神様は『試練』を通して「たわいもない私たち」を『輝く神の作品』へと造り変えることができるのです。神への信頼と愛情が増し加えられ、状況に左右されることのない平安と内側からあふれ出てくる喜びとに満たされて『豊かないのち』に満たされるのです。 あなたの人生を正しく評価し、また矯正することのできるお方は神様だけです。他の人々の評価を気にする必要はありません。かえって人々は、神様に磨かれたアナタを見て「まるで別人みたい!一体何が起こったの?」と尋ねるでしょう。その時あなたは言うのです。「あなたも人生を神様に委ねてみたら?」と。
メッセージ
2019年4月21日 「イースター・メッセージ」
メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ 「イースター・メッセージ」 (21/04/2019) ◆『復活』は予告されていた! [マタイ16:21] ・イエス・キリストの『十字架』と『復活』の出来事は、単なる「成り行きで起こった出来事」ではなく、キリスト自身 によって前もって予告されていた。では『キリストのよみがえり』が私たちにとってどんな意味があるのか? ◆キリストの復活が私たちとどういう関係があるのか? ①『死』は、決して「終わり」ではなく、「打ち破ることのできない敵」でもない![Ⅰコリント15:20,ヨハネ11:25] ・キリストは『人』としてこの世に来られ、神のみこころに沿って生き、神の力によってよみがえらされた。これは 「私たちに模範を示すため」であり、またその模範に従って生きる者に『永遠のいのち』の希望を与えるため。 ②イエス・キリストは今日も生きておられ、私たちの人生を共に歩まれる [ヨハネ14:19] ・イースターは単に『天国の希望』を与えるためのものではなく、この地にあっても「復活のキリストが私たちと 共に人生を歩んでくださる」という平安と喜びを提供する。 *あなたも今日「キリストのよみがえり」を信じて、新しい人生を歩み始めてみませんか? Outline of the sermon “Easter Message.” (21/04/2019) ◆“Resurrection of Christ” was being announced beforehand! [Matthew16:21] ・“Crucifixion & Resurrection of Christ” is not just an event in the history but “Must Happen” event. Christ Read more…
聖書
(340) “イエスは言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」”
日本では未だあまり馴染みがありませんが、今週末は「イースター・ウィークエンド」と呼ばれるキリスト教のお祭りです。クリスチャンの間ではある意味『クリスマス』以上の記念日ですが、私もクリスチャンになる前は『クリスマス』しか知りませんでした。 今週の金曜日は、イエス・キリストが十字架にかかって死なれたことを記念する『グッド・フライデー』(何故か巷では「13日の金曜日はキリストが死んだ日だから縁起が悪い」などと言われていますが…)そして日曜日が、キリストが死からよみがえられたことを記念する『イースター・サンデー』と呼ばれます。イエス・キリストは十字架につけられるずっと以前から、「自分はやがて十字架にかけられて殺されるが、その後3日目に死者の中からよみがえる」と予告していました。12弟子たちでさえそれを信じられないでいましたが、事実それが実現したために、弟子たちはいのちをかけて「キリストの十字架と復活のメッセージ」を携えて世界中に出て行ったのです。それは2千年経った今でも引き継がれており、私自身もその『メッセンジャー』の1人です。 何故キリストが十字架にかけられたのが『グッド・フライデー』なのかというと、それは『キリストの十字架上の死』が単に「偉人の死」なのではなく、私たち人間の罪の代価を支払うための「身代わりの死」だからです。そして『キリストの復活』が私たちとどんな関係があるかというと、「キリストの『身代わりの死』を自分自身のこととして信じた者が、彼と共に『永遠のいのち』に生かされるようになるための『よみがえり』」だからです。 イエス・キリストの『復活のいのち』に生かされる者は、この地上において「神から与えられる『喜び』と『平安』」に満たされて生き、また後の世において「永遠に生きる」者とされているのです。