ある人が亡くなったお祖父さんから古い柱時計を相続しました。毎日その柱時計を眺めているうちに、左右に振れる重たそうな振り子に目が留まりました。「こんな重そうな振り子は外してあげた方が良いのではないだろうか?」そう思ってその振り子を外してやると、何とその時計は数日後に止まってしまったのです。慌てて振り子を元通りにしたとたん、時計は再び元気に時を刻み始めました。『重荷』に見えたその振り子は、実はこの時計に無くてはならない『原動力』だったのです。

私たちは「人生には楽しいことだけが起こって、苦しいこと(重荷)なんか無ければ良いのに」と思いがちです。しかし実際は、苦難を多く乗り越えた人ほど「人生の深みや生きがい」というものを味わっているものです。子供を真に愛している親が、自分の子を単に甘やかせることなく、しばしば我慢を強いるように、私たちの『父なる神』は、時に私たちが苦難に直面することを許し、私たちを内面的に成長させようとなさるのです。

そして素晴らしいことに、この神は単に「苦しんでいる私たちのことを、ただ指をくわえて眺めている」のではなく、私たちと共にその苦難のただ中にいてくださり、私たちの涙や叫びの意味を理解し、そして最終的には必ずその苦難を乗り越えさせてくださるのです。

Categories: 聖書

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