(262) “恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。”

私自身は確かめたことはありませんが、聞いた所によると聖書の中には『恐れるな』という表現が365回出てくるそうです。それはあたかも神様が私たち1人1人に毎日「恐れる必要はないんだよ」と語りかけてくださっているかのようです。 聖書の神は、ただ単に「気休め」のつもりで『恐れるな』と言ってくださっているのではなく、ちゃんとした根拠をもってそう語りかけてくださっています。その根拠というのは、「あなたはわたしのものだから、必ずわたしが守る」という約束に基づいているのです。 私たちすべての人間はこの『創造主なる神』によって造られました。ですから元来私たちは全員「神のもの」です。しかし神は敢えて私たちがご自身にとってどれほどに価値有る存在であるかを示すために、私たちのために代価を支払ってくださいました。『贖う』ということばは「代価を支払って購入すること」を表す古い表現です。そして神様は私たちを『贖う』ために、ご自身のひとり子(イエス・キリスト)のいのちを支払われたのです。私たち1人1人は、この天地万物を造られた唯一まことの神の前に、それほどに価値有る存在なのです! 「私には自分がそれほどの価値がある者とは思えない。」あなたはそうおっしゃるかもしれません。実際、この世の多くの人々や社会は「能力」「財産」「経歴」などによって人間の価値を測り、しばしば自分自身の足りなさを認めたくないがために他の人をこき下ろそうとしたりします。しかし『人間の真価』を正しく評価することができる存在は、私たちをお造りになり、しかも私たちの「隠れた行いや可能性」さえをもご存知の神様以外にあり得ないのです。彼が私たちに対して下す評価の前には、他の人々の評価などは全く注目するに値しません! もし今日あなたが「自分自身の内なる声」や「周囲の人々の声」から注意をそらして、「あなたはわたしのものだ。恐れるな。」と呼びかけてくださる『創造主なる神のことば』に心を向けるなら、あなたは正しい自己評価を持って残る人生を雄々しく歩んで行くことができるのです。

2017年6月11日 「神は『愛の関係』に招かれる」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ     「神は『愛の関係』に招かれる」   (11/06/2017) ◆神がまず愛してくださった ・[ヨハネ14:21] ⇒ それでは、「神(イエス)を愛さない者」は、愛されないのか? ・先に愛してくださったのは、神ご自身。[Ⅰヨハネ4:19,ローマ5:8] ― 私たちの愛は「神の愛に対する応答」。 そしてこの『応答』は、私たちを更に深い「神との愛の関係」へと招き入れる。 ◆イエスのくびき ・「神を愛する」とは、「神に聞き従う」こと。[Ⅰヨハネ5:3] ・神が「100%良い方である」と信じるなら、「神の勧めに従うこと」こそ最善の道であると信じられる。 だからこそ私たちは、「神の命令を守ること」によって、神への愛と信頼を表現する。 ・神の命令に従うことは「人間的な力」では無理。それ故イエスは、『共にくびきを負う』ように招かれる。 [マタイ11:28-30] ・「くびき」は、気ままに進みたい者にとっては束縛だが、パートナーに寄り添って生きる者には大きな力になる。 ◆御父とイエスと私たち [ヨハネ15:9-12] ・イエスは「父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わす」とおっしゃった。したがって、御父が いつもイエスと歩まれたように、イエスもいつでも私たちと歩まれる。そこにあるのは『愛の関係』。愛し合う者 同士の間には、言いようのない喜びがある。 ・イエスの『戒め』は、「イエスが愛されたように互いに愛し合う」こと。しかし「愛そう」とする度に、自分の愛のなさ を痛感させられる。どうすればいいのか? → [ローマ5:5] 内なる聖霊を解き放つ! ✰ イエスが愛したい人々のところへ、信仰によって出て行こう!   Outline of the sermon      “God invites us into ‘Love Relationship’.”    (11/06/2017) ◆ God first loved us. ・[John14:21] ⇒ Then doesn’t God Read more…

(261) “先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。見よ。わたしは新しい事をする。”

あるコメディアンがこんなジョークを言ったそうです。「私が結婚する時に、ぜひ欲しいウェディング・ギフトは『結婚式の録画ビデオ』です。というのは、結婚生活がいよいよ破局に陥った時、1人きりで部屋にこもってそのビデオを逆回しに再生し、独身だった自分に戻って再び自由を謳歌するためです!」 このジョークを聞いて思わず笑いそうになってしまいますが、実際は私たちは過去に戻って人生をやり直すことはできません。いやむしろ、そのような「後ろ向きの姿勢」で生きていたら、決して豊かな未来を迎えることはできません。私たちは「過去に憧れる」のではなく、「過去から学ぶ」べきなのです。私たちはしばしば「あぁ、こうなることが初めから分かっていたなら…」と言ってしまうことがありますが、もしそのような体験から何かを学び将来に生かして行かないなら、今後何回も同じ事を繰り返して言うことになるのです。「あぁ、もしあの時夫(または妻)に対して冷たい仕打ちをする代わりに、ただ赦すことができてさえいたら、今頃もっと豊かな結婚関係を築けていたかもしれないのに…」「もしあの時あの子を産んであげられていたら、今頃私の人生にはもっと喜びと平和がもたらされていたかもしれないのに…」 あなたの優しい良心は、そのような後悔の念にさいなまれてしまってはいませんか?「もしもあの時 …」「もしもっとこんな風に …」と。 あなたをお造りになり、今日もあなたをご自身の愛の内に招いておられる神は、聖書を通して次のように語りかけておられます。「イエス・キリストの十字架における身代わりの死によって、あなたの罪は赦された!」「わたしはあなたの罪をぬぐい去り、それらを2度と思い出さない」そして冒頭のように「過去のことを思い出すな。見よ。わたしは新しい事をする」と。 自分の手に届かない『過去』は「神様の全能の御手」にお任せし、過去の失敗から学んだ経験を生かして、神様が用意してくださっている『未来』に向かって今日も前進して行きましょう!

2017年6月4日 「『神の栄光』の主導権は神にある」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ     「『神の栄光』の主導権は、神にある」   (04/06/2017) ◆主導権は、神が取る [Ⅰコリント6:20b] ・「自分のからだをもって神の栄光を現す」といっても『自分』が頑張るのではない。「神の栄光を現す」時は、い つでも神が『主導権』を取る。では、神はどのようにして私たちを「ご自身の栄光の器」として整えられるのか? ◆私たちを「神の栄光を現す者」とするために、神がなさる3つのこと。 ①私たちが「神のものとされている」ことを悟らせる。[Ⅰコリント6:19-20,イザヤ43:1-2] ・『贖う』=「代価を払って買い取る」。私たちは元来神によって造られた「神のもの」であったのに、神は改めて 「私たちが神にとってどれほど価値ある存在か」を示すために『ご自分のひとり子』を代価として支払われた。 ・神は「私たちがどれだけ立派か?」ではなく、「どれだけの代価を支払って買い戻したか?」に注目なさる。 ②私たちに対する「神の愛がどれほど深いか」を悟らせる。 ◎神の「クリスチャンに対する愛」は、「未信者に対する愛」に優っている! ・私たちが主イエスを受け入れて以来、イエスは私たちの内に住んでおられる。[Ⅰヨハネ5:12] 神は今や私 たちの内に『最愛の御子』をご覧になる。御子を持たない人々を見る目とは決定的に違う! ・また、神は「私たちの内に住まわせたご自身の霊(聖霊)」を決して見逃されない。[ヤコブ4:5] ③「私たちの弱さ」を悟らせる。[ヨハネ15:5] ・イエスにとって、私たち1人1人は「神の栄光を現すべき存在」。その視点では、まさに私たちは、主イエスを 離れては「何もすることができない」存在。神はそのことを私たちに気づかせるために、しばしば私たちが 『挫折』を経験することを許される。[Ⅱコリント12:8-10] ✰「栄光の器」とされるため、「神のものとされていること」「かけがえのない存在として愛されていること」そして「神の憐れみなしには生きられない、弱い者であること」を心に刻みましょう。   Outline of the sermon      “God takes initiative to reveal His glory.”    (04/06/2017) ◆God takes initiative. [ⅠCorinthians 6:20b] ・We do not “honor God with our body” with our Read more…

(260) “しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。”

私たちが生きている今の時代は、一見便利で豊かに見える反面、時代について行けない人を置いてきぼりにしたり、役に立ちそうもない人を切り捨てたりするむごい側面もあります。生産性・効率性を追求するがあまり「1人の人のためにじっくり待つ」という姿勢が愚かしく思われ、「他の人に頼むから、アナタはもういい!」と切り捨てられた経験からなかなか立ち直れない人も少なくないのではないでしょうか? このような時代であるからこそ求められるのは「誰のことば(評価)に耳を傾けるか?」ということです。自分勝手な視点からしか物事を見られない『人間の評価』なのか、それとも「あなたを形造り、あなたの真価をご存知である『創造主なる神の評価』」なのか、これが私たちの生き方(価値観)を大きく左右します。 『神の恵み』は、私たちの能力や才能によっては勝ち取ることができません。むしろ自分の弱さを認め、「神は良い方であり、決して私を辱めたり見捨てたりなさらない」という信頼の許に神に近づく者に注がれるのです。イエス・キリストは「もしあなたがたが私を信じるなら、あなたがたは『真理』を知るようになる。そしてその『真理』はあなたがたを自由にする」とおっしゃいました。人々のことば(評価)はその人の主観に基づいた一過性のものであって『真理』ではないのですから、恐れるには足りません。 人のことば(相対的評価)に振り回されるのはもうやめて、神のことば(絶対的・不変的評価)に耳を傾けつつ、あなたを通して働く神の豊かなみわざを待ち望む者になりましょう!

2017年5月28日 「神の栄光を現す」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「神の栄光を現す」      (28/05/2017) *先週の復習:「キリストに遣わされている者」として生きるための3つの重要ポイント           ①父なる神の栄光のため  ②キリストにあって造られた   ③聖霊に導きに従う ◆「神の栄光」とは? ・神は「ご自身にしかできないみわざ」を成し遂げることによって、ご自分の栄光を現される。 (例:「天地創造のみわざ」[詩篇19:1]) ・この世(悪魔の王国)も様々な方法で「神的な栄光」を表そうとするが、神はそれをお許しにはならない。 [イザヤ42:8] ・イエスはいつも『神の栄光』を現すために、「神のわざ」を行うことを心がけた。[ヨハネ17:4,4:34,5:19] ◆「神のために」ではなく… ・人間的な知恵によっては、「神が望んでおられること」を悟ることはできない。 ・人間の力では、「神が望んでおられること」を行うことはできない。 ・正しい動機によって、「神を喜ばせること」はできるが、「神の栄光を現すこと」はできない。 ✰しかし、神は私たちを通して「ご自身の栄光を表現すること」を望まれる! 私たちのため、そして私たちの周囲の人々が神を知るため。 ◆キリスト者に必要な 『悔い改め』 ・「自分の計画を成し遂げること」ではなく、「神のわざが地上で成し遂げられるため」に自分自身を差し出す。 [Ⅰコリント6:19-20] ✰来週は「神の栄光を現す道」について   Outline of the sermon      “For the glory of God.”     (28/05/2017) *Review:3 important things to remember to live as “the one who has been sent by Jesus”.           ① Read more…

(259) “ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。”

聖書は「人間は生まれながらの罪人である」と指摘します。そしてそれは人類の始祖『アダムとエバ』以来、私たちの人間性の中に「罪を犯す傾向性」として巣食っています。 『アダムとエバ』が最初に犯した罪は「禁断の木の実を食べたことである」と描写されていますが、そのことを神から指摘された2人は早速その罪性を「自分の落ち度を他人のせいにする」という行動によって表現します。私たち人間はこんなに昔から「自分の非を簡単には認めない」という頑なさを固辞しているのです。 私たちが神の愛を知るようになり「神に喜ばれる者になりたい」と思い始めると、神はまずこの私たちの『頑なな心』から造り変えようとなさいます。ところが神はいつでも私たちの『自由意志』を尊重される方なので、無理やり私たちの心の中に入り込んでくるようなことはなさいません。私たちが自分から心を開いて「神様、こんな私を憐れんでください」と助けを求める時、神は喜んで私たちの心を優しく修復してくださるのです。 私たち人間は、どういうわけか自分の落ち度を責められると、自動的に『自己防衛スイッチ』が入り、言い訳をしたり、他人に罪をなすりつけたりしようとします。神はその性質をよくご存知だったので、敢えて私たちの罪をまず「十字架におけるイエス・キリストの身代わりの死」によって帳消しにし、もはや責められるところのない者としてくださった上で、私たちが恐れずに「自分の欠点や弱さ」を神の前に素直に告白できるようにしてくださったのです。 実際は、神の前に隠すことの出来るものは何もないのですが、神は敢えて私たちが幼子のように素直になって抱えている問題を自分から素直に告白できるようになるのを待っていてくださるのです。ですからもはや自分を無理に飾ることなく、ありのままの姿で神の前に進み出て、心のありのままを告白し、神に喜ばれる者へと変えていただきましょう。

2017年5月21日 「父が私を遣わされたように」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ     「父がわたしを遣わされたように」   (21/05/2017) ◆父なる神が御子イエスを遣わされたように [ヨハネ20:21] ◎御父と御子との間で交わされた会話(あくまで想像) *私たちも同様にして遣わされている。その全貌は明らかにされていない。 しかしイエスはいつも私たち1人1人と共におられ、その1歩1歩を聖霊によって導かれる。 ◆3つの重要ポイント ①父なる神の栄光を現すため [イザヤ43:7,ヨハネ17:1,4,マタイ5:16] ・「自分のガンバリ」ではどうしようもない。(『神の栄光』とはなり得ない) ・「どれだけ明け渡すか」がカギ。 ②キリストにあって造られた [エペソ2:10,ローマ8:28-29] ・『改善』ではなくて、『回復(復元)』。 ・家族が似てくるのは「努力」によるのではなく、「DNA(聖霊)の働き」 と 「一緒にいるから」。 ③聖霊によって歩まなければならない [ヨハネ16:14-15,ガラテヤ5:16-17, 24-25] ・御霊の賜物(力)と 実(品性)によって歩む。 ― いつも『選択』を迫られる。 ・イエスの地上での歩みに『十字架』が不可欠だったように、私たちも十字架の道を通る。 ✰来週からはこれらの内容を更に深く学ぶ   Outline of the sermon     “As the Father has sent me.”    (21/05/2017) ◆ As the Father has sent His Son. [John 20:21] ◎Conversation between Read more…

(258) “平和を求め、それを追い求めよ。”

すべての人が欲しているものの1つと言えば、それは『心の平安』ではないでしょうか?どんな状況の中でも変わることのない平安を保って生きる、果たしてそんなことが可能なのでしょうか? 「平安を保つ」ためにまず私たちが知らなくてはならないのは、「何が私たちから平安を奪っているのか?」ということです。悪魔が私たちを脅かすのにはいくつかの共通した方法もありますが、多くの場合、私たちは1人1人違った理由によって平安を奪われます。例えば、ある人は「やらなければならないことがいくつもある」という状況に陥ると途端にイライラしますが、別の人は「こんなにたくさんのことを委ねられている!」と逆に元気が出るかもしれません。私たちは1人1人違うのです。だからこそ「自分の弱点を知る」ことが必要です。悪魔は私たち1人1人をよぉく観察しており、どこを突けば良いのかを熟知しているのです。 ある聖書の専門家がこんなことを言っていました。「私は疲れてさえいなければ、大抵のことは順調にこなすことができる。ということはつまり、悪魔は私が疲れ切ってしまうのを待っているのだ。このことに気づいて以来、私は決して疲れ果ててしまうまで仕事をしないように気を付けている。みすみす悪魔に付け込む隙を与えないためだ。このような『自分の傾向性』に気付くまでは、「平安を保って生きる」なんて到底無理である。」 皆さんにお勧めします。イライラしたり、ガックリ落ち込んでしまった時は、その時のことをできるだけ詳しく書き留めてみてください。そして「一体何が原因で『心の平安』を失ったのか?」を探ってみましょう。自分の弱みが顕わにされることを恐れないで、正直な気持ちでこのことを行ってください。そしてその原因となるものをできる限り自分の生活から取り除くように心がけるのです。 イエス・キリストは、十字架上の死からよみがえられた後、まず弟子たちに「平安があるように」と語りかけられました。失われた平安は、必ず取り戻すことができるのです。死にさえ打ち勝つことの出来る方があなたと共にいてくださるからです。  

2017年5月14日 「『救い』と『良い行い』

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ     「『救い』 と 『良い行い』」   (14/05/2017) ◆『私』 ではなく 『キリスト』 [Ⅱコリント5:21] ・私たちの『救い』は、「私たちの良いわざ」ではなく、「キリストの良いわざ」に基づいている。 ・この世界は『業績』を重視する。(律法学者たちと同じ) ⇒ 悪魔の思うツボ。 ・クリスチャンたちでさえも、「せっかくイエス様が救ってくださったんだから、頑張って報いなきゃ!」 と考える。 しかしこのような動機に基づいた善行は、結局「自己満足」か「自責の念」をもたらすことになりがち。 ・私たちが『自分』に頼っている限り、悪魔にスキを見せている。『神の権威』の許に立ち返れ![ヤコブ4:7] ・神が救ってくださったのは、「私に見込みがあったから」ではないことを、肝に銘じておこう。 ◆聖霊による「キリスト主導」 [エペソ2:8-10] ・『信仰』 = 「神は良い方である」という深い信頼。神は決して「裏切ったり、見捨てたり」はなさらない。 『良い方』が造られた作品は、力まずにこの『良い方』にただ従って行けば、必ず『良い実』を結ぶ。 ・私たちは「キリストにあって」造られたのだから、徐々に「キリストに似せられて」行く。[Ⅱコリント3:18] ・カギは「イエスの名によって」私たちの許に送られた『聖霊』。そしてそれは『改良』ではなく、『回復』のわざ。 イエスはこの地上に『まことの人』として来られた。イエスが「力あるわざ」を行われたのは、その歩みを 全く聖霊に依存していたから。そして私たちも同様の歩みをするために選ばれ、遣わされている! [ヨハネ20:21-22]   Outline of the sermon     “Our salvation & good works.”    (14/05/2017) ◆ No longer “Me” but “Christ”. [ⅡCorinthians 5:21] ・Our “salvation” is not based on ‘our performance’ Read more…