2017年4月2日 「2つのいのち」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ          「2つのいのち」       (02/04/2017) ◎[ガラテヤ2:20] ― 今日はこのみことばに取り組む ◆キリストのいのち ・2010年、ある夫婦を悲しい事件が襲った。1人娘のテイラーをスキー事故で失った。 深い悲しみの中、夫婦は娘の臓器提供を決断 → 心臓は遠方の見知らぬ女性の体に移植された。 ・母親のたった1つの切なる願い。「娘の心臓の鼓動を聞きたい!」 願いは実現した。 ・「確かに死んだはずの娘」のいのちが、目の前で「確かに今生きている」! = 「確かに死んだはずのキリスト」のいのちが、私たちの内に「確かに今生きている」!! ◎父なる神は、私たちの内に、ご自分のひとり子のいのちが躍動しているのを見て、大いに喜ぶ。 ◆私たちのいのち(「もう1つの物語」) ・生まれつき心臓が弱く、寝ていることしかできないパトリシアに、思わぬ吉報。心臓提供者が現れた! 手術も成功し、死の恐怖も去った。パトリシアにとって『全く新しい人生』がスタートした! ・担当医師からのアドバイス 「この心臓があなたの脳を支配するようなことはないが、この心臓なしに生きられないのも事実。毎朝 目覚めと共に心臓の鼓動を自覚し、感謝しなさい。そしてこの心臓がいつもあなたに『最高のいのち』 を提供できるように、悪い習慣から離れ、健康な食事と適度な運動をこころがけなさい。」 ・キリストからいのちが与えられた後も、相変わらず『自由意志』が与えられている。 すなわち、この新しいいのちを生かすも殺すも、私たちの態度(信仰)次第。 ◎あなたは、この「新しいいのち」をどう使いますか?   Outline of the sermon      “Living in two lives.”    (02/04/2017) ◎[Galatians 2:20] ― We tackle on this verse today. ◆Life of Christ. ・In 2010 a tragedy occurred to a couple. Read more…

(252) “もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。”

前回に続いて『忍耐』についてです。現代は「インスタントの時代」です。このような時代にどのようにして子供たちに『忍耐(待つこと)』を身に付けさせることができるのでしょうか? 1.実物教育によって ・大抵の子供は植物を育てるのが好きです。ぜひ子供が好む花や野菜の種を一緒に蒔いて育ててみましょう。そして「どんな生き物も、成長するのには時間がかかる」ということを実体験させてあげましょう。 2.時間の流れを体験させる ・子供は『待つ』ために何か「見えるもの」が必要です。例えば「夕食は6時から」ということを学ばせるために、時計の針やタイマーが進んでいくのを見せたり、一緒に遊園地に行く日をカレンダーに記して、それまでの日々にチェックを入れさせたりするのです。子供たちが「待つこと」を嫌がる大きな理由の1つは、それがいつまで続くのかがはっきりしないからです。 3.ぬけがけ(ズル)を許さない ・我慢できない子供たち(大人もですが…)は、よく「横入り」をします。大切な会話をさえぎったり、おやつの時間をごまかしたり。緊急の状況以外は「時間や礼儀を守ること」を、自分でも模範を示しつつしっかりと教えましょう。 4.楽しく学ばせる ・子供は『ボードゲーム(すごろくなど)』が大好きです。そしてこれらのゲームは必ず「自分の順番を待つ」ことになります。素晴らしいことに子供たちは「自分は待たされている」などと感じることなく『待つ』ことを学びます。将棋や囲碁などに興味を持つようならしめたものです。『待つこと』を楽しく身に付けさせましょう。 5.褒美を与える ・もし幼児が、あなたが赤ちゃんにおっぱいをあげている間、自分の『空っぽのコップ』を持ちながら「お母さんがミルクを入れてくれる」のをじっと待っていられたなら、思いっきり褒めてあげましょう。子供がずっと欲しがっていた高価なもののために長い間一生懸命お金をためているなら、そのお小遣いが95%貯まった時に残りの5%を出してあげるのも良いかもしれません。 神は、私たちが「祈りの答え」を待ち望んでいるとき、私たちが「あきらめてしまうこと」を望んでいるのではなく、「最後まで待っていられるように励ましを与えてくださる方」です。私たちも同じように『待っていられる子供』を愛情をもって育てて行きましょう。

2017年3月26日 「『私』ではなく『キリスト』」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「『私』ではなく、『キリスト』」     (26/03/2017) *今週からイースターにかけてのテーマ: 「キリストにあって、新しく造られる」 ◆パラダイム・シフト ・「真面目であること」や「一生懸命さ」は、大切ではあるが、私たちの霊的成長を妨げることもある。 ・イエスは、ご自身に従う者(私たち)を『世界の光』と呼び、「あなたがたの光を輝かせなさい」ともおっしゃった。 それ故『マジメな私たち』は、つい「自分の力で一生懸命頑張って輝こう」としてしまう。 ◎今日どうしても知ってほしいこと = 「輝く」のは、『私たち』 ではない! ◆新しく造られる ・サタンは、巧妙にこの世の価値観を用いて、私たちクリスチャンを「頑張ろう」とさせる。 しかし実際は、『私たち』が頑張っている間は「キリストが輝き出る」ことはない![ルカ9:23-24] ・使徒パウロは、この真理を次のように表現した。[コロサイ3:3-4] そして歓喜してこう宣言した。[Ⅱコリント5:17]  (何が「新しくなった」のかは、今後じっくり学ぶ。) ◆全世界の回復 ・神が天地万物を造られた時、それらすべては「非常によかった」。そして神はすべての被造物の支配を、私た ち人間に委ねた。ところが人間が悪魔の誘惑に負けて神から離れたことによって、すべての被造物もそこな われ、もはや「神の栄光を現す状態」を維持していない。 ・しかし神は、イエス・キリストの十字架と復活によって、まず私たち人間を「新しく造り変え」、その『新しくされ た人々』を用いて、全世界を「ご自身の栄光を豊かに表現する状態」へと回復しようとしておられる。 ◎あなたが「新しく造られる」ことが、『全世界の回復』につながっているのです!   Outline of the sermon    “No longer ‘I’ but ‘Christ’.”  (26/03/2017) *Let us learn about “Being recreated in Christ” until Easter season. ◆Renew our mind! ・Our Read more…

(251) “あなたがたは、忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることができます。”

こんなお祈りを聞いたこと(あるいは自分で祈ったこと)がありますか?「神様、どうか私に『忍耐』をお与えください。今すぐに!」 神様は恐らく、このお祈りに答えるために、敢えて「すぐには」この祈りをかなえないに違いありません。 現代は『スピード時代』です。私たちはテレビのスイッチを入れてからほとんど数秒しか待っていることができません。スーパーのレジでも、3人以上並んでいる列の最後尾につきたくはありません。でも気付いているでしょうか?この「忍耐のなさ」が私たちの心を蝕んでいることを・・・ 物事がそうなって欲しい時に、そうなって欲しいと思う通りに実現することができるお方は世の中にたった1人しかおられません。それは『天地創造の神』です。しかし驚いたことに、この神様は恐ろしいほど「忍耐強く」「寛容」であられ、私たち『人間の思い』がご自身の『みこころ』に沿ったものとなるまで、じっと待ち続けてくださるのです。そう考えると、ほんのささいなことですぐイライラする私たちって、ちょっと馬鹿げていると思いませんか? 神は私たちに「喜びと平安に満ちた人生」を送って欲しいと願っておられます。そしてこの『喜びと平安』は、私たちが「思い通りにならないことにどう対処するか」によって左右されます。私たちは神ではないので、周囲の状況を変えることはできませんが、自分の心の中に起こることをコントロールすることはできます。そのための秘訣をいくつかお教えしましょう。 ①「自分の中には変えられなければならない部分がある」とはっきり認める。自己正当化したり、言い訳を繰り返しているうちは、決して成長することはできません。  ②神に対して心を開き、心の内に「忍耐の実」を結んでくださるよう求め、神に信頼して生きる。  ③「次のことにとりかかること」よりも「現在の状況の中でベストを尽くすこと」に集中する。 聖書では『忍耐』のことを「聖霊が結ばせてくださる『実』」であると描写しています。ご存知のように『実』は一夜にしては結ばれません。でも心をこめて育てれば、素晴らしい実が結ばれます。一緒に「忍耐の実」を求めて、1日1日をじっくりと歩んで行きましょう。

(250) “光がある間に歩きなさい。”

カビは『暗闇』の中で大いに成長します。しかし光に当てたとたんに、カビはしぼみ、そして枯れます。 私たちの心の中にも『カビ』がはびこることがあります。イエス・キリストは次のように言われました。「光が世に来ているのに、人々は光よりも闇を愛した。その行いが悪かったからである。」すなわちこれは「人に知られたくない(公明正大でない)計画や行い」を抱いている状態のことです。(誰かのための『サプライズ・パーティ』を計画することは別ですが…) 『隠し事』はしばしば私たちの人生にダメージを与えます。カビのように、初めは小さくても、心の中の『暗闇』に閉じ込めておくことによってそれは徐々に大きくなり、私たちの心をさいなませ、悪い考えや習慣へといざない、最後には破滅へと追いやります。『隠し事』は私たちの心を『暗闇』へと追い込み、否定的な思いの虜へと陥れるのです。 では、どうすれば良いのでしょう?素晴らしいことに、聖書はその脱出の道をも教えてくれています。「神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」もし私たちが勇気をもって『光の中』へと1歩踏み出すならば、すべてが変わります!その隠し事、そしてあなたの心を縛っている恐れや否定的な考えを神に告白し、明るみに出すのです。(必要ならば、信頼できる友人などに告げるのも良いでしょう。)いったん光が投じられたならば、カビがしぼんでいくように、あなたの心の中の暗闇は逃げて行き、あなたは「大いなる解放」を体験することでしょう! 悪魔はいつでも私たちを『罪の暗闇』へと閉じ込めようとします。ですから、もう「隠し事を持つこと」を止め、心の目を覚まして、いつも神に対して心を開いて、光の中を生きて行きましょう!

(249) “主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。”

聖書に出てくるイエスの教えの中に「ある家の主人が3人のしもべたちにいくばくかのお金を託して旅に出る」というたとえ話があります。主人が旅から戻った時、3人のうち2人は「託されたお金を元にこれだけ儲けました。」と報告し、「良い忠実なしもべたちだ!」とほめられますが、最後の1人は託されたお金を全く活用しなかったために叱られます。そのしもべは主人にこう言い訳しました。「私はこわくなり、出て行って、あなたから託されたお金を地の中に隠しておきました」と。 『恐れ』は私たちの心の平安を失わせるだけでなく、私たちが自分の能力を活用することを邪魔します。「そんなことしている人、ほかに誰もいないじゃないか」「自分が本当にそれにふさわしいと思っているのか?」「もしそれをやって失敗したらどうするんだ?」などなど。そのようにして『新たな可能性の芽』を摘まれてしまっている人の何と多いことか! 敬虔な信仰を持っていた「イスラエルの王ダビデ」は、その生涯の長い期間を敵にいのちを狙われながら過ごしました。以下はそんなダビデの残した言葉です。「たとい、私に向かって陣営が張られても、私の心は恐れない。たとい、戦いが私に向かって起こっても、それにも、私は動じない。・・・それは、主が、悩みの日に私を隠れ場に隠し、その幕屋のひそかな所に私をかくまい、岩の上に私を上げてくださるからだ。」また彼は神に次のように祈っています。「聞いてください。主よ。私の呼ぶこの声を。私をあわれみ、私に答えてください。主よ。あなたの御顔を私は慕い求めます。」 「神になんて頼る人間は弱虫だ!」などと言う人があります。しかしこのダビデ王はイスラエル王国の歴史上最も勇敢で力強いヒーローとして知られています。「神に頼る」という行為は少しも「弱い者のすること」ではありません。むしろ「神によって与えられている能力を最大限に活用して生きるため」にどうしても必要なことなのです。逆にそれでも神を求めようとしないのは、「アイツは神になんか頼っている」と思われることを恐れる『弱虫』のすることではないでしょうか?

2017年2月19日 「神を待ち望む」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「神を待ち望む」     (19/02/2017) ◆神を待ち望む [詩篇27:14] ― 『待つこと』は、「弱い者のすること」ではない! ◎2通りの「待ち方」がある。 ①人事を尽くして天命を待つ [イザヤ40:28-31] ②悪あがきをせず、ひたすら待つ [詩篇37:7] ・ただ「我慢する」だけではなく、神の前に安息する。[詩篇131:2-3] ・今日のポイントは、この②の方。「やがて来るべきもの」を信じて待つ。[詩篇130:6] ◆神の何を待つのか?    ①みことば [詩篇130:5-6] ― 励まし,導き,知恵 ・私たちの神は「語られる神」。[詩篇115:2-6] ・しかし、私たちの側が聞いていない![エレミヤ7:13] ②救い [詩篇130:5-6] ― 具体的な助け ・「義なる神」による救い。[箴言20:22] ・「慰め主」による救い。[詩篇42:5] ◆「神を待ち望む」ことの実践 ・1曲賛美した後、しばらくの間、各自静まって「神ご自身」を慕い求め、待ち望む。   Outline of the sermon      “Wait upon the LORD.”    (19/02/2017) ◆Wait upon the LORD. [Psalm 27:14] ― It is not ‘passive’ to “be waiting”! ◎There are 2 Read more…

(248) “陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。”

今日は『喜び』と『幸せ』の違いについて述べたいと思います。ひと言で言うなら「『喜び』がなければ『幸せ』にはなれないが、『幸せ』でなくても『喜び』を味わうことができる」ということです。すなわち『幸せ』は私たちの外側(経済状態、健康状態、人間関係など)によって左右される「感情的なもの」であるのに対して、『喜び』は私たちの内側(無条件に神から愛されていることの確信)から生まれるのです。 日本語でも「笑う角には福来る」と言いますが、私たちが笑う(喜びに満たされている)ことは、多くの良い物をもたらします。それはストレスを解消し、頭痛を癒し、感染や高血圧を抑制します。また「大笑いすること」は適度な運動と同様にあなたの腹・胸・肩その他の筋肉を引き締め、血圧や脈拍をいったん上昇させてから元に戻し、体や気分を大いにほぐしてくれるのです。 この世には、私たちの気分を落ち込ませるものがたくさんあります。しかし神はそのような状況の中でさえ私たちが喜べるように私たちをデザインなさいました。すなわち、私たちが「環境の奴隷」となるのではなく、「神の愛の奴隷」となるように造られたのです。環境は常に変化します。しかし『神の愛』は私たちの外見や人間性、能力や持ち物、また出来・不出来などには決して左右されません。この『神の愛』に心を支配されながら人生を歩み時、他の人々にとって「何1つ喜べる材料が見当たらないような状況」の中でも、喜びに満たされて生きることができるのです。