(640) “あなたがたが受けないのは、あなたがたが求めないからです。”

 日本文化には「奥ゆかしさ」という1つの美徳があります。ただ、この「奥ゆかしさ」が『神のみわざを体験する』という上でマイナスになることがあります。例えば「神様にこんなことをお願いするのは申し訳ない」という理由で、自分の本当の必要を神に祈り求めることができないでいる場合です。  聖書には、「信仰がなければ神に喜ばれることはできない」と書かれています。そして「神に大きなことを求めること」は、まさに私たちの『信仰』を神にアピールすることになるのです。イエス・キリストはある盲人が癒しを求めて近づいてきた時に「あなたの信じる通りになるように!」とおっしゃいました。「こんなことを神にお願いするなんて…」というのは、慎み深いように聞こえて、実は「もし神様に聞いてもらえなかったらどうしよう」という、私たちの『不信仰』の現れに過ぎないのです。  聖書は『天地創造の神』のことを「私たちの天の良き父」と呼んでいます。そして「良い父親」はいつでも自分の子供たちに「良いものを豊かに与えたい」と願っています。ただ人間は能力的にも経済的にも限界がありますから「豊かに与える」のにも限界があります。しかし私たちの『天の父』には、そのような限界はありません!彼は「あふれるほどに」与えることができるお方なのです。また、それらのものを与えるか与えないかを決めるのは『神ご自身』であって、私たちではありません。ですから私たちはいつでも『天の良き父』に「良いものを豊かに与えてください!」と求めるべきなのです。

(639) “互いに励まし合い、互いを高め合いなさい。”

 皆さんは「ヘンリー・フォード」をご存知だと思います。現在私たちが当たり前のように乗り回している『自動車』という交通手段を一般的に普及させるきっかけを作った人物で、『自動車王』とも呼ばれています。しかし実はそんな彼ではありますが、1度はこの「自動車生産」をあきらめかけていた時があったのです。  彼が「ガソリン車」の普及に全力で取り組んでいた頃、社会は彼の意図を全く理解しておらず、経済的な支援も底をついていました。そんな時、あの『発明王』として知られる「トーマス・エジソン」がヘンリーの許を訪れ、こう言ったそうです。「キミがやろうとしていることを理解してくれる人は、今は少ないかもしれないが、やがて必ず多くの人たちの注目を浴びるようになる。だから決してあきらめてはいけないよ。」  人は誰でも『励まし』を必要としています。あなたが何気なくかけるひと声が、相手にどれほどの希望と勇気を与えるか、それを測り知ることはできません。「誰かに信じてもらっている」、「自分に期待してくれている人がいる」という気持ちは人を何度でも奮い立たせるのです。  37年間の結婚生活経験者として断言しますが、全ての既婚男性は、「妻からの励まし」を必要としています。夫たちにとっては「妻からの励まし」が、他の誰からの応援よりも力になるのです。世の奥様方、ぜひ(たとえ見え透いているように感じたとしても)ご主人にひと声、「あなたにはきっとできる!私は最後まであなたを信じているわ!」と言ってあげてみてください!

(638) “自分の日を正しく数えることを教えてください。”

 誰でも「Life changing experience(価値観を大きく変えられるような経験)」というものを1つや2つはお持ちではないかと思います。私もいくつかあります。しかし後述のデニスさんのような経験をされた方はあまりいないのではないでしょうか?  彼はある時、講師として招かれた講演会へと出向くために空港の通路を全速力で走っていました。乗るはずのフライトに遅れてしまいそうだったからです。彼がやっとの思いで搭乗ゲートに到着した時、ゲートはついさっき閉じてしまったところでした。デニスは事情を説明し、何とかゲートを開けてくれるように係員に頼みましたが、返事は「ノー」でした。彼は地団太を踏んで係員に対する怒りを表しながら、苦情を訴えるため、また別のフライトのチケットを何とかして手に入れるために受付カウンターへと向かいました。ところがカウンターには長蛇の列ができており、何分待っても少しも前に進む気配はありません。彼の怒りと不満は、まさにピークに達しようとしていました。そんな時、下記のような場内放送が流れたのです。  「場内のお客様にお知らせいたします。たった今離陸予定でしたロサンジェルス行きのフライト191便が、離陸途中で事故に遭い、誠に遺憾なことではありますが、乗客の中で生存者がいる可能性は絶望的な状況です。」  デニスは苦情を訴えることも、別のチケットを予約することもなく、そのまま帰途に就きました。彼の手には、自分が乗るはずだったフライト191便のチケットが握りしめられていました。彼はそのチケットを自室の壁に貼り、イライラした時やムッとすることがある度にそのチケットを見て、自分が今生きていることは決して偶然ではないことを思い巡らすようになったのです。  今あなたが生きていて、この2026年を迎えることができているのは、決して偶然ではありません。神はあなたに「生きよ!」 と命じられています。この新しい1年を、些細な事で気を悪くすることなく、「明日を守られる神様」を見上げて進んで行きましょう!

(637) “順境の日には幸いを味わい、逆境の日にはよく考えよ。これもあれも、神のなさること。後のことを人に分からせないためである。”

 早いもので、今年もあと残すところ2日となりました。2025年は皆さんにとってどのような年だったでしょうか?聖書に「神が良くしてくださったことを何1つ忘れるな」という言葉があります。1年の終わりに「神の祝福」を1つ1つ思い起こしてみるのは素晴らしいことだと思います。私ごとですが、今年は3人目の孫が生まれ、今年の年末年始はその孫を連れて末息子夫婦がわざわざ日本から来てくれています。本当に感謝なことです。  ところで、神様は私たちの目を「前を見るように」付けてくださいました。もちろん過ぎたことを振り返って反省したり、良い思い出を懐かしんだりすることは良いことに違いありませんが、基本的に私たちは、常に『前向き』に生きて行くべきです。但し神様は私たちを「1秒先のことも分からない」ようにもお造りになりました。これは私たちが「明日のことを思い煩わずに、ただ神様に信頼し、委ねて生きるため」に他なりません。  創造主である神は、「永遠の存在」であり、また『良いお方』です。時空に捕らわれることなく、私たちを『最善の道』へと導いてくださる方です。来たるべき2026年も、このお方に信頼し、このお方を日々見上げつつ、雄々しく前進して行きましょう!

(636) “この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。”

 心理学者たちの調査によると、私たちの『自己尊厳性(自尊心)』は「自分が最も重要視している人物が自分のことをどう思っているか」に最大の影響を受けるそうです。すなわち通常子供たちにとっては『親』ということになりますよね?既婚者であれば『配偶者』、社会人であれば『職場の上司』、また「大切な友人」や「先生」だったりするかもしれません。  残念なことに、人間は完全ではないし、時には悪意に動機付けられることもあるので、私たちを落ち込ませたり、悩ませたり、深く傷付けたりすることがあります。しかし『良い知らせ』があります!私たちを形造られた『創造主なる神』は、私たちを愛し、また私たちの『真価』を知っておられるので、私たちがこの方を「自分の人生において最も大切な存在」とする時、私たちは「正しく健康な自己尊厳性」を持って生きられるようになります。「神が私のことをどう思っておられるか」ということを基盤に自意識を築いて行くのです。  人生に間違いや失敗は付き物ですが、私たちの周囲の人々は私たちの失敗に対して批判したりこき下ろしたりすることが多々あるので、しばしば私たちは『不健康な罪責感』に陥ります。しかし創造主なる神はこう言われます。「わたしはあなたの失敗や過ちを知っているが、それをわたしの『憐れみの目』で見ている。もう1度立ち上がって前に進んでごらん。今度はきっと前よりも上手にできるようになるから」と。  聖書は私たち1人1人を『神の傑作品』と呼んでいます。『作品』は『製品』のように大量生産で製造されたものではなく、「世界にたった1つしかない、ユニークで貴重な存在」です。神はあなたのことをいつもそのようにご覧になっているのです。そして、あなた自身にも自分のことをそのように感じて欲しいと願っておられるのです。

(635) “主によって、人の歩みは確かにされる。”

 英語の「prepared(整えられた、準備された)」という語は、もともと古代の王様が「自分が出向こうとしている目的地に、事前にしもべを送って下準備をさせておく」ということに用いられた言葉だそうです。もちろん人間には足りないところや、能力や経済に限界があるので、必ずしも『王の到着』にふさわしい準備ができないこともあるわけで、そんな時はしもべたちは王の怒りに触れて、罰を受けたり、時には殺されてしまうこともあったでしょう。  さて、このことに比べると私たちの『王の王』である神様は、ご自分のしもべである私たちに先立って「行く道を整えてくださる」というのですから、全く驚くべきことです。しかも私たちの神様は全知・全能であり、愛に満ちておられます。古代の王のしもべたちのように、考えが足りなかったり、準備が不十分だったりすることはありません。全てが完ぺき(私たちが期待する以上)なわけです。  もちろん私たちは、神が私たちの将来にどのようなことを備えてくださっているのかを知らないので、人生の途上で不安に襲われたり、たじろいだりしてしまいます。時には人生を投げ出したくなってしまうことがあるかもしれません。そんな私たちに対して神様が望んでおられることは「優れて立派な人間になること」ではなく、ただ単純にご自身に信頼することなのです。

(634) “私たちの大祭司(キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。”

 『神』という方は「感情を持たずに機械的に物事を運営する存在」というように考えている方がいるかもしれません。しかしそれはとんでもない間違いです。聖書は「神は人をご自身に似た者としてお造りになった」と述べています。ということは、神様は私たちの想像以上に「情緒豊かな存在」に違いありません。但し、私たちのように「感情的になり過ぎてつい失敗を犯す」というようなお方でもありません。もしそうだとしたら、恐らく人類は今日まで生き残れなかったことでしょう。  神は私たちの『喜怒哀楽』を楽しまれます。そのような存在として私たちを創造されたのですから。神は私たちが喜び踊っている時、共に心を躍らせておられます。私たちが悲嘆に暮れている時、共に心を痛めておられるのです。時には私たちは苦しみのあまり、神をののしったり暴言を吐いたりするかもしれません。そんな時も神様は、じっと私たちを見つめて、その思いの丈を受け止めてくださっているのです。  神にとって最も辛いことは、私たちからののしられることではなく、『無視』されることです。ですから、たとえ私たちが神様を「怒りのはけ口」のように扱ったとしても、私たちを歓迎し、それらの思いを受け止めてくださるのです。そして、もし私たちが神への信頼の故に自分の「悲しみ・苦しみ・嘆きや思い煩い」を携えて御前に近づいて行くなら、神ご自身にしか与えることのできない「慰め・癒し・平安」を注いでくださり、またそれらの試練を乗り越えて生きる力を与えて下さるのです。

(633) “自由をもたらす完全な律法を一心に見つめて、それから離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならず、実際に行う人になります。”

 『ルール』というと、「大切なものだけど、何となく不自由さを感じる」というイメージがあるのではないでしょうか?確かにそういった面もあるかもしれませんが、実際は正しい『ルール』が無い方が、私たちはずっと不自由になるのです。  例えば「交通ルールなんて面倒だ。どうして赤信号でいちいち停まらなければならないんだ!」といって皆が信号無視をしていたら、たちまち混乱が起きて多くの人々が時間通りに目指していた場所へ到着できなくなります。またほとんどのスポーツは、正しいルールや決められた白線に沿ってプレーしなければ、選手も観衆も楽しむことができません。『ルール』は本来私たちを「縛る」ためではなく、「自由にする」ためのものなのです。  聖書の中には、現代社会の法律の基礎となっている多くの『原則』があります。「殺してはならない」「盗んではならない」「姦淫してはならない」「親を敬え」などなど。これらの『ルール』は、神が私たちを「不自由にしよう」という意地悪な心で定められたものではなく、むしろ深い愛をもって、私たちが「自由で豊かな人生を生きるため」に与えてくださったのです。  神の愛と誠実さに信頼し、聖書で教えられていることに忠実に従って行く時、私たちは神の祝福と守りの中で、自由で豊かな人生を生きることができるのです!

(632) “イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」”

 この全宇宙をお造りになられた『創造主なる神』は、私たちをもお造りになられた力に満ちたお方であり、しかも私たちをありのままで深く愛し慈しんでおられます。このお方にしっかりとつながって生きる人生は愛と平安に満ち、この方と無関係に生きようとするなら、しばらくはそれなりに楽しめても、結局無秩序で平安も希望もないという窮地に陥ります。では、一体どのようにして私たちは「神との関わりの中で」生きることができるのでしょうか?  イエス・キリストは人々に多くのことを教えられましたが、「あれが道だ、あそこに真理がある」などとは言わずに、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのだ。わたしを通してでなければ誰も父(神)のもとに行くことはできない!」とおっしゃいました。私たちはイエス・キリストを通して『神との関係』に招き入れられるのです。  イエス・キリストは地上の人生において、「神へ至る道」だけでなく、「神とはどういうお方なのか」をも、ご自身の生き様を通してお示しになられました。そしてその生涯の終わりに、私たちと神とを隔てる壁となっていた「私たちの不信仰の罪」の清算として、ご自身のいのちを十字架の上で犠牲にされ、私たちのために「神に至る道」を開いてくださったのです。このイエス・キリストを「私のために神との関係に生きる道を開いてくださった救い主」として個人的に受け入れるなら、その瞬間から「神の子どもとされる特権」が与えられ、『全宇宙の創造主とつなげられた人生』を歩み始めることができるのです!

(631) “すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。”

 ある人がこんなお祈りをしたそうです。「神様、どうか私に『忍耐』を与えてください。今すぐに!」  私は、この手のタイプの祈りはなかなか叶わないのではないかと思います。何故なら神様は私たちの内側に『忍耐』を育むための最善の方法をよくご存じだからです。それは私たちが『待つこと』を学ぶことです。  現代はスピード時代です。私が若かった頃と比較して、「待つこと」が格段に減っています。生活が便利になり、物事がスムーズに進むことになったのは良い面がたくさんありますが、かといって私たち人間が「1秒先のことも分からない」という事は少しも変わっていません。私たちは先を急ぎ過ぎることなく、与えられている『今』をもっともっと大切にするべきではないでしょうか?  神様は私たち1人1人に「ユニークで最適なご計画」(自分を最高に活かすための道)を持っておられ、私たちの誰よりも、私たち1人1人がそこに辿り着くことを望んでおられます。だから急ぎ過ぎたり焦ったりすることなく、神様が目の前に与えて下さっている課題に全力で取り組むべきです。私たちはしばしば順境の中よりも逆境の中でこそ多くを学びます。だから「どうして神様は私をこんな試練に遭わせるの?」と愚痴ることなく、「ここに神様の最善がある」と信じて、その試練を通して神様が学ばせようとしておられることをしっかり受け止めましょう。  私たちは様々なコマーシャルに踊らされて「より安くより簡単に」手に入れるようにと教育させられてしまう傾向にありますが、そうではなく『より長持ちする価値あるもの』を獲得するために、「神様は今私をどのような季節に置いてくださっているのだろう?」と問いながら、今日1日をじっくりと歩んで行きましょう。