(654) “強くあれ。雄々しくあれ。”

 誰も好き好んでリスクを冒す人はいないかもしれません。しかし実のところ「リスクを冒すことなしに成功することもない」と言えるのではないでしょうか?ある作家がこんな記述を遺しています。 「笑う人は『愚かに見えるかもしれない』というリスクを冒している。泣く人は『泣き虫だと思われる』というリスクを冒している。他の人と関わる人は『面倒に巻き込まれるかもしれない』というリスクを冒している。夢や希望を抱いて生きる人は『非現実的だと思われる』というリスクを冒している。人を愛そうとする人は『相手に愛してもらえないかもしれない』というリスクを冒している。そして今生きている人は皆『いつかは死んでしまう』というリスクを冒している。」  これを読む限り、「リスクを冒さずに生きること」はできないし、また仮にできたとしてもそれはとてもつまらない人生でしかないと言えるのではないでしょうか?リスクは人を成長させ、その人のうちに埋もれている可能性を掘り起こす助けとなるものです。人生で偉業を成し遂げた人々の人生は、しばしば苦難とリスクに満ちていました。  神は私たち1人1人を、心を込め愛を込めてお造りになりました。『愛』というのは「相手を甘やかす」ということではなく、「常に相手の最善を願う」という意味です。ですから神は、私たち1人1人が『自己最高の人生』を生きられるようにと、時に応じて試練をお与えになります。私たちがその試練に勇敢に立ち向かい、敢えてリスクを冒すことによって、それまで私たちの内に眠っていた可能性を呼び覚ますためです。そして私たちがその試練の渦中でどうしても助けが必要となり、神を呼び求める時こそ、私たちが『神との新しい出会い』を体験する機会となるのです。

2026年5月17日 「種を良い地に」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「種を良い地に」   (17/05/2026) [ルカの福音書 8章4~15節] ◆『良い地』に種を蒔く  ・この箇所からは「4種類の土地(人の心)」のことが語られることが多いが、既に主イエスが解説しておられるので今日は『良い地』ということに注目して理解を深める。まず私たちは委ねられた『種(神のことば)』を「良い地(心が整えられている人)」に蒔かなければならない。では、どんな人が「心が整えられている人」だと言えるのか?  ・『GMOの祈り』というものがある。神に「心が整えられている人にみことばを語る機会を与えて下さい(Give Me Opportunity)」と祈ること。そして自分自身は「いつでもみことばを語れるように」備えておく。[Ⅰペテロ3:15] ◆自分が『良い地』になる  ・種や苗を植えたことがある人なら知っているが、まず重要なのは「地を耕す」こと。地の中には良いものもあるが様々な邪魔物(雑草の根など)がある。これらのものを抜き取る必要がある。私たちのうちにある『神の種』の成長を阻む「雑草(偶像)」とは、「『神との親しい関係』以上に欲しているもの」のこと。これを見極め、抜き取る。  ・イエスは言われた。(ヨハネ12:24) これは「麦が死ぬ」わけではなく、「麦の中のいのちが現されるために、覆っているものが死ぬ」の意味。私たちが「多くの実を結ぶ者」とされるため、邪魔物を取り除いて『良い地』となろう! 今日の真理: 求めるべきものは、何よりも「神との親密な関係」! ◎更に深い学びのために  ①なぜ『良い地』に蒔く必要があるのですか? 『良い地』に「神のことば」を蒔くためには、どうすれば良いですか?  ②私たちの心を『良い地』に保つために「邪魔物」となっているのは何ですか? それをどうすれば良いですか?  ③あなたにとって、どんなものが『偶像』になり得ますか? どのようにしてそれを取り除くことができますか? Outline of the sermon   “Sow into good soil.”   (17/05/2026) [Luke 8:4~15] ◆Sow into “good soil”.  ・Jesus already explained about Read more

(653) “この世と調子を合わせてはいけません。”

 日本には「出る杭は打たれる」という言い回しがありますよね?調べてみるとどうやら江戸時代から存在する言葉らしく、「異質なものを排除しようとする社会の風潮」を言い表しているようです。  私は20歳の時にキリストと出会いクリスチャンになりましたが、それ以前の学生時代いつも心の中で「自分らしく生きたい。正しいことを正しいとし、間違っている事には断固として『No』と言いたい」と感じてはいたものの、大抵の場合いつのまにか周囲に流されてしまい、「本当はこうありたいのに…」というジレンマに悩まされていました。ところがクリスチャンになった頃からそれが変わり始めたのです。周囲がある方向へと向きかけた時、自分の心の中で「何かおかしい」と感じた時に、それを思い切って口に出すことができるようになってきました。また、道を歩いている時や公園を散歩している時などにゴミ屑が落ちているのを見かけると拾ってゴミ箱に捨てに行ったり、独りぼっちで寂しそうにしている人に声をかけたりするようになりました。今振り返って考えてみると、「唯一全能の神が自分と共におられて見守ってくださっている」ということが、心の中で強い確信になり、いろいろなことに自信が持てるようになったのだと思います。(その後、30年の外国生活を経て、このユニークな性格は更に助長されているようですが…)  神は私たち1人1人を「ご自身のかたちに似せて」、しかも「ユニークな存在として」創造なさいました。しかし『この世の風潮』はそのような貴重で尊い存在である私たちを『この世の型』に押し込めようとする傾向があります。この圧力から脱するには『神の助け』が必要です。「イエス・キリストを救い主として受け入れる」とは、単に「天国への切符を手に入れる」ということではなく、「この世にあって『神の子』として、父である『神』の栄光を表現しながら生きる者とされたこと」も含んでいます。神は私たち1人1人を通して成し遂げたいご計画をお持ちなのです!

(652) “母はこれらのことをみな、心に留めておいた。”

 この記事を読んでおられる皆さんは、今度の日曜日が『母の日』であるということをご存知でしょうか?『父の日』は国によって違うようで、日本では「6月第2日曜日」ですが、ここニュージーランドでは「9月第1日曜日」です。しかし『母の日』は世界共通して「5月第2日曜日」に祝われています。『母の日』の起源はあまり古くなく、20世紀初頭にアメリカで『アンナ・ジャービス』という女性が、亡き母を偲んで白いカーネーション贈ったという出来事によるもので、アメリカでは1914年に祝日として制定されました。日本では1937年頃から広まったようです。  実は今朝、教会が主催している「若いお母さんたちの集い」で聖書のお話をさせていただくにあたって、10人くらいのお母さんたちに「皆さんは今度の日曜日が何の日かご存知ですか?」とお尋ねしたら、皆お互いに顔を見合わせながら「何の日だっけ?」と全く心当たりがない様子でした。これには私も驚かされました。恐らく皆さん「感謝される」という見返りなど気にも留めずに、日々『母親業』に没頭しておられるのでしょうね。  聖書では『母親だけ』にフォーカスを当てた教えはあまりなく、大抵は『両親双方』に対して書かれています。ただ興味深いのは、イエスの母マリアに関してはいくつかの記述があり、神の不思議なみわざによって「処女であったにも関わらずイエスを身ごもり、出産した」せいかイエスが幼い頃から1つ1つのエピソードを「心に留めておいた」と書かれています。イエスの地上での人生の1番の理解者は、きっと「母マリア」だったのでしょうね。『ネグレクト』や『毒親』などという言葉で母親の「不適切な子育て」が騒がれている昨今ですが、一般的にはやはり「子供に対する母親の愛情と労苦」は、多大な評価と称賛に値するものではないでしょうか?  世の『お母さん』たち、本当にありがとう!皆さんはこの地上において「人類を創造された神のみわざの大切な一端を委ねられている存在」です。これほど価値ある使命は、他にはありません。あなたがたの日々のたゆみない労苦の1つ1つに、神様が豊かに報いてくださいますように!

2026年5月3日 「最初の福音宣教団」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「最初の福音宣教団」   (03/05/2026) [ルカの福音書 8章1~3節] ◆神の国の福音(1節)  ・現代では『福音』と言えば「十字架による救い」と考えるが、イエスが宣べ伝えた『福音』とは? ⇒ [マルコ1:14-15]  ・「時が満ちた」とは、「神の究極のご計画実現の時が来た」という意味であり、それが『キリストによる贖い』。それはこの世界が創造される前からの神の計画(エペソ1:3-4)であり、それがいよいよ実現することが『福音』。その『福音』を自分のものとするためには「自分中心」から『神中心』への生き方へと方向転換しなければならない。 ◆イエスに仕えていた女たち(2~3節)  ・「イエスの宣教チーム」というと、つい12人の男性たちがクローズアップされるが、そこには「多くの女たち」もいた。この女性たちは「イエスに仕えていた」のではなく、「彼ら」すなわち「チームの必要」に仕えていた。  ・先週「多くの罪を赦された女が、そのこみ上げてくる感謝と愛によってイエスに香油を塗った」という記事を読んだが、ここに登場している女たちも同様。「奉仕そのもの」が目的ではなく、「内側から溢れ出る感謝と愛」に押し出されて仕えていた。『福音宣教』は、教会(神に呼び出された者たち)に与えられた最大の使命であり、「個人の力量」によってではなく、愛と喜びに押し出されつつ「チーム一丸となって」進められるべき働きなのだ! 今日の真理: 『福音宣教』は、チームワーク ◎更に深い学びのために  ①イエスが宣べ伝えた『福音』とは、どのようなものだったでしょう?  ②「イエスの宣教チーム」には、どのような人々が含まれていましたか?  ③どうして「福音宣教はチームワークである」と言えるのでしょうか? あなたはどんな役割を担っていますか? Outline of the sermon   “Very first team of evangelists.”   (03/05/2026) [Luke 8:1~3] ◆The gospel of the kingdom of God.(Verse1)  ・Our “gospel” of Read more

(651) “わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。”

 皆さんは『コバンザメ』という魚をご存知でしょうか?頭に吸盤のようなものが付いている魚で、大きなサメのあごの下(時には逆さまになって、サメの頭の上)に貼り付いて移動することができます。  コバンザメは、サメのあごの下に貼り付いてしまえば、もはや食べ物の心配をする必要がありません。サメが獲物を捕らえて食べる時に口からこぼれ落ちる食べかすをいただくことができるからです。また自分で苦労して泳いで移動する必要もありません。本来自分では行くこともできないような遠くまで、サメが連れて行って(?)くれるからです。しかも敵からの攻撃にビクビクしている必要もありません。何よりも強い味方がいつも一緒にいるからです。  もちろんコバンザメは、自分で食料を捕まえることもできなくはないし、泳ぐことだってできます。でも敢えてサメに貼り付くのです。何故ならその方が「自分の力では到底無理なご馳走にありつけるし、辿り着けないような場所へと移動もできるし、何よりも身の安全が保障されるからです。  これはまるで、神に信頼し、ひたすら神に寄り添って歩む私たちの人生のようです。私たちは「神の口から『こぼれ落ちる』生けるみことば」によって日々養われ、神の導きに従って「自分では思ってもいなかったような人生の高み」へと引き上げていただくことができ、どんな試練や敵が襲って来ても、恐れる必要がないのですから。  コバンザメと同様、私たちは自分の力でも「それなりの人生」を歩むことができます。けれども「自分の思いを超えたような豊かな人生」を、全能の神の御手に守られて生きる方が、遥かに優っていると思いませんか?

2026年4月26日 「イエスと出会って新しく造られる」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「イエスと出会って新しく造られる」   (26/04/2026) [ルカの福音書 7章36~50節] ◆何が起こっているのか?  ・イエスのたとえ話から考えるなら、「赦されること」と「愛すること」はどちらが先か?彼女は「多く愛したから赦された」のではなく、「多く赦されたから、愛さずにはいられなかった」。では、彼女は「いつ」赦されたのか?  ・恐らくこの女は以前どこかでイエスが「神の憐れみと信仰による赦し」について語っているのを聞いて信じ、『罪の赦し』を自覚していたのだろう。そして思い切って香油の壺を持ってイエスの許へ行き、喜びと感謝の故にこみ上げてくる涙で御足を拭い、イエスへの慕わしさの故に口づけをしたに違いない。 ◆この出来事から受け取るべきメッセージ(47~50節)  ・では「もっとイエスを愛するためには、もっと『罪深い者』でなければならない」のか?人々は「イエスが罪を赦した」と解釈したが、イエスは「この女は赦されている」と言ったに過ぎない。それはこの女自身の内側に生じた「悔い改めと信仰」のゆえ。それは「彼女だけの宝物」であり、このような『宝物』を持っているかどうかがカギ。  ・『イエスとの関係』は個人的なものであり、交換も分けることもできない。今日も「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」というイエスの言葉に励まされ、『新しく造られた者』としての人生へ歩んで行こう! 今日の真理: イエスと出会うと『リフォーム』される ◎更に深い学びのために  ①イエスと、この『罪深い女』との間に、どのようなことがあったと考えられますか?  ②「赦されること」と「愛すること」とは、どのような相関関係があるでしょう? また、それは何故でしょうか?  ③「主イエスとあなたとの関係」は、最初に信じた時から現在に至るまでに、どのように変化してきましたか? Outline of the sermon   “Reformed by Jesus.”   (26/04/2026) [Luke 7:36~50] ◆What is happening?  ・This woman is not forgiven because she loved Jesus.  She couldn’t Read more

(650) “この方は恵みとまことに満ちておられた。”

 聖書の神のご性質で際立っていることの1つは『約束を必ず守る神』ということです。神は聖書の中で「個人に」「民族に」、そして「すべての人々に」対して様々な『約束』をされています。そのいくつかはすぐさま成就し、多くは何年か後に成就し、そして将来やがて成就するもの(『神の国の到来』など)もたくさんあります。  私たちもよく『約束』をしますが、結構守れないことがありますよね。都合が悪くなったり、自分の力不足が原因だったり、単に忘れてしまうこともあるわけですが、神には決してそういうことがありません。ある意味神は「自分の名誉にかけて」必ずご自分の約束を守られるのです。  ところで「必ず約束を守る」と聞くと、逆に「融通が利かない」というイメージもありますよね?いわゆる『お役所主義』という感じで、「前例がないから」とか、「そういう決まりだから」といった感じです。では『神の約束』も同様なのでしょうか?その答えは『イエス』&『ノー』です。  神は「絶対的に正しく、決して自分自身をごまかしたりしない方」ですから、人の顔色や言葉によって動揺したりうろたえたりすることはありません。ですからいわゆる「時と場合によっては変更もあり得る」というようなことはありません。ただそれと同時に神は私たちに対する「愛に満ちたお方」なので、常に私たちの最善を見越して備えをしてくださる方でもあります。すなわち『神の約束』自体がそもそも私たちの最善のためになされているのですが、神は私たちの弱さをもご存じなので、そこには『バックアップ・プラン』があるのです。その代表的な例が『十字架』です。神と人との間には「人は『罪』の代償を『死』で支払わなければならない」という『不動の契約』がありましたが、私たちが負うべきその『死』を、罪のないご自分のひとり子イエスに身代わりに負わせることによって、ご自身の『約束』を破ることなく、私たちを救うことにされたのです。  神は「必ず約束を守られるお方」だからこそ、私たちはこの神に全幅の信頼を置くことができると同時に、心からの誠実さをもってその愛に応えて行くべきなのです。

2026年4月19日 「イエスによる評価」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「イエスによる評価」   (19/04/2026) [ルカの福音書 7章24~35節] ◆バプテスマのヨハネに関して(26~27節)  ・先週は「バプテスマのヨハネがイエスのことをどう考えていたか」を見たが、この箇所では「イエスがバプテスマのヨハネをどう評価していたか」が告げられている。ヨハネは「やがて起こるメシアの到来」を告げた他の預言者たちと違って、「今まさに来られたメシア」の道備えをし、そのメシアご自身と顔と顔とを合わせることを許された者として『預言者よりも優れた存在』というイエスの評価を得た。しかし、今日のポイントはそこではない! ◆神の子ら(私たち)に関して(28節)  ・「神の国の子ら(新しく生まれた私たち)」は、その「最も小さな者」であっても、このヨハネよりも偉大だとイエスは評価された。これは「どちらが偉いか」という問題ではなく、「委ねられたメッセージの大きさ」を指していると思われる。ヨハネは「救い主の到来」を告げたが、私たちは「救いそのもの」というメッセージを委ねられているのだ。  ・[33~35節] ヨハネやイエスに対する態度が人々を2つに分けたように、私たちが語るメッセージも人々を2分する力を持っている。そのことを恐れてメッセージを歪めてしまいたくなる誘惑にかられるかもしれないが、「バプテスマのヨハネよりも偉大」という主イエスの評価に応えるためにも、福音の真理を真直ぐに伝えて行こう! 今日の真理: 『重大なメッセージ』を委ねられている ◎更に深い学びのために  ①イエスはバプテスマのヨハネをどのように評価していましたか? それはどうしてだと思いますか?  ②なぜ「神の国で1番小さい者でさえ、バプテスマのヨハネよりも偉大」なのでしょう?  ③主イエスはあなたをどのように評価していると思いますか? またあなたはその評価にどう応えたいですか? Outline of the sermon   “Our valuation by Jesus.”   (19/04/2026) [Luke 7:24~35] ◆Valuation of John the Baptist. (Verses 26~27)  ・We looked at “how John Read more