(661) “私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。”

 多くの方々は「誰かの力になりたい。助けになってあげたい。」と思っておられると思います。ただ日本に住む日本人の方々は結構「出過ぎた真似はしたくない」という気持ちがブレーキになって、なかなか実際には『人助け』をできずにいるのではないでしょうか?  私の住むニュージーランド・クライストチャーチには、日本からの訪問者・留学生・ワーキングホリデーの若者などが毎年大勢押し寄せます。恐らく私が新しく知り合う人の合計は1年で100人近くいるのではないでしょうか?そんなわけでついついお世話をすることが多くなります。そんな中で気付いたのは、皆さん初めは「あまり知らない人に一方的にお世話になる」ということに抵抗があるようで、本音は「助けてもらえれば有難い」のに、「いやぁ、申し訳ないから…」とおっしゃるんですよね。そんな時に私がいつも申し上げることは次のことです。  「よく聞いてくださいね。現在ここクライストチャーチに住んでいる方々も、初めは皆さんのように『新参者』だったんです。でも当時既にクライストチャーチに住んでいた方々から親切にしていただき、『いつかは自分も後から来た人たちを同じように助けてあげよう』と感じていたんですよ。私もその1人です。ですから今は甘んじてその親切を素直に受け取って、やがて自分がこちらでの生活に慣れた頃に、新しくやってきた人たちを助けてあげてくださいね。」  私たちは皆、まず『愛されること』が必要です。そしてその経験が「愛したい!」という動機付けへとつながります。神は私たちがご自身に似た者(すなわち『愛する者』)となって欲しいと願いつつ、まずひとり子キリストを通して「愛して」くださいました。ですから、自分自身が『誰かの力になってあげられる存在』となるために、「誰かから助けてもらうこと」を遠慮なく受け取れる人になりましょうね!

2026年7月5日 「アウトリーチ」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ     「アウトリーチ」     (05/07/2026) [『3つの関係』において成長する③] ・いわば『アウトリーチ』。(待っていないで、こちら側から働きかける) ◆『愛』のExtension.(ヨハネ13:35)  ・私たちが互いに愛し合うことが、まず『神との関係』に由来していたように、アウトリーチも、「神の家族の間での深い愛による結び付き」に基づいている。(使徒2:44-47)  ・アウトリーチの目的は「宣教」でも「奉仕」でもなく、『愛すること』。「救い」とか「成長」は、「結果(副産物)」に過ぎない。「活動そのもの」が目的になってしまうと『結果』に気を取られ「不満・落胆・挫折」に襲われる。しかし聖霊による『愛』に促されるなら、たとえ見えるところで事がうまく運ばなかったとしても常に『御霊による喜び』がある。 ◆アウトリーチの要素  ・アウトリーチには大きく分けて2つの側面がある。1つは「言葉による福音宣教」。そしてもう1つは「具体的な必要に仕える『愛の奉仕』」。ここでも「主キリストとの個人的な関係」がカギ。「アタマだけの信仰」で言葉を並べるのではなく、自分の内側に燃えている「イエス・キリストにある希望」を味わいつつ証しする。(Ⅰペテロ3:15)  ・またアウトリーチは「チームワーク」でもある。口が上手い人のためだけではない。『愛の奉仕による宣教』には「キリストのからだの各器官」が必要とされる。「介護・医療・料理人…」JCFはそんな人々で満ちているのでは? 今日の真理: 『アウトリーチ』の目的は「宣教」でも「奉仕」でもなく、『愛すること』 ◎更に深い学びのために  ①「神の家族以外との関係」において成長して行くために、私たちにまず必要とされることは何でしょう?  ②『アウトリーチ』とは、どのようなものですか? また『アウトリーチ』の根本的な目的はどんなことでしょうか?  ③『アウトリーチ』の主な要素は何ですか? それらを実践するためには、どのような実質が必要とされますか? Outline of the sermon      “Outreach.”       (05/07/2026) [Grow in “3 relationship”②] ・We call this “Outreach”. Not just “waiting for them” but “going out” to reach them! Read more

(660) “主はあわれみ深く、情け深い。怒るのに遅く、恵み豊かである。”

 聖書の神を表現することばで、よく『恵み』とか『あわれみ』とかが用いられますよね?どちらの言葉からも「優しくて寛容」といった印象を受けますが、一体この2つの言葉には何か違いがあるのでしょうか?実は厳密に言えば、あります。  『恵み』というのは、別の言い方をするならば「無償の」という意味で、更に深い意味を付け加えるならば「本来受けるに値しない人が受けることができる」という祝福です。ですからある意味私たちが不完全な者でありながら神様から受ける祝福はすべて『恵み』と呼ぶことができるわけです。この世に生を受けることも、太陽や酸素が与えられていることも、日々活動する力や知恵が与えられていることも、全て「神の恵み」によっているわけですね。  一方『あわれみ』というのは、「本来私たちが受けなければならない罰や災難を免れる」という祝福です。いうなれば「見逃してもらう」ということですね。これはしばしば『弱者』に対して注がれるものかもしれませんね。生活保護であったり、被災地支援だったり、子供や孫の無邪気ないたずらを大目に見たりなど、私たちも日常で経験することがあるのではないでしょうか?きっとこれらは「神のかたちに似せられて造られた」という人間に潜在的に備わった性質でもあるのかもしれません。  そしてこの神の『恵み』と『あわれみ』が最も顕著に表されたのが、「イエス・キリストの十字架」です。神に対する私たちの不信仰や不従順、そして神がこよなく愛しておられる『人々(自分自身を含む)』を不当に扱ったり、傷つけたりしてしまう私たちが、当然受けるべき『罰』をキリストが代わりに受けてくださったことによって、私たちは神の前に「赦された者」となり『神の子』として受け入れられる。これこそ究極的な『恵み』であり、神の『あわれみ』の表現です。  人間が作り上げた『宗教』のほとんどは、「自分の力や努力・修行によって『救い』を勝ち取る」というものです。しかし聖書は「人がそのようにして『救い』を勝ち取ることができるなら、そのような人は必ず、神が最も嫌う『高慢』に陥る」と警告しています。本来『救い』というものは、神の『恵みとあわれみ』によって一方的に与えられるものなのです。

2026年6月28日 「コイノニア」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ     「コイノニア」     (28/06/2026) [『3つの関係』において成長する②] ・『人間関係』は最も大切かつ難しい。神の助けが不可欠。(Ⅰヨハネ4:19) ◆イエスによる「新しい戒め」(ヨハネ13:34-35)  ・「新しい戒め」と呼んだのは「古い戒め」があったから。それはイエスが『律法の中で最も大切な戒め』として指摘された「神を愛すること」。そして「神を愛する」とは「神が愛しているものを、神が愛しているように愛すること」である。では「神が最も愛しておられるもの」とは?それはご自身の子供である『私たち』である。(Ⅰヨハネ5:1-3)  ・イエスは正に「神が愛するように私たちを愛して」くださった。そして「イエスが愛されたように互いに愛し合う」とは「互いのために命を捨てる」ということ。(Ⅰヨハネ3:16-18) ◆神の家族との関係(コイノニア)  ・「命を捨てる」とは「相手のために死ねばよい」という事ではなく、「相手の最善のために、自分の持っているものを惜しみなく与える」ということ。そして「人間にとっての『最善』」とは、「神に近づくこと」に他ならない!  ・1つのギリシャ語を紹介しよう。それは『コイノニア』。いわゆる『交わり』を指すが、それ以上のもの。すなわち「互いの喜びや痛みを分かち合い、具体的に時間その他の犠牲を払って支え合う親密な関係」(箴言17:17)。 J・C・Fの『F』(fellowship)は、お互いが更に神に近づくために、この『コイノニア』を表現するものであって欲しい。 今日の真理: 神の願いは、私たちが深く愛し合うこと ◎更に深い学びのために  ①何故イエスがおっしゃった『新しい戒め』が、「律法の中で最も大切な戒め」を包括するものとなるのでしょう?  ②「イエスが愛されたように愛し合う」とは、具体的にどうすることですか? あなたにはどんなことができますか?  ③JCFが「神の望まれる『コイノニア』」に近づいて行くために、どのような点で成長する必要があるでしょう? Outline of the sermon      “Koinonia.”       (28/06/2026) [Grow in “3 relationship”②] ・“Relationship” is so important but very hard.  God’s help is necessary!(ⅠJohn 4:19) ◆“New Commandment” by Read more

(659) “わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。”

 通常ある活動や役割に長く携われば携わるほど、その活動や役割において熟練し、自信が付き、他に頼らずに自分で切り盛りできるようになるわけですが、面白いことに『クリスチャン』として生きる人生においては、その逆である場合があります。どういうことかと言うと、『クリスチャン』として「神との関係」の中で生きることが長くなればなるほど、自分の弱さに気付かされ、また「正しさや愛情深さ、そして聖さにおいてもっと成長したい」という願いも強まるにつれ、「自分の力では無理!神様の助けがもっと必要!」というようになって行くわけです。  神様を知らずに生きる人生においては、「向上心の目安」は大抵『自己満足レベル』、またはせいぜい「周囲に満足されるレベル」なわけですが、クリスチャンにとっての『向上心』は、「神に造られた作品としての完成レベル」を目標としています。クリスチャンになったばかりの頃はこのイメージはぼんやりしていますが、神様との歩みを重ねて行くに従って明らかにされて行き、ついには「これは自分の力ではどうしようもない。でも神様はこの『ご自身のご計画』を成し遂げられるために力を与えて下さる方だ!」という信仰が与えられ、自分自身を神の力強い御手に明け渡し、『自分を通して現される神のわざ』を体験する者とされて行くのです。  神はこのような「自分自身の真の『弱さ』に気付いた者」を通して、ご自身のみわざを現されるお方なのです。

2026年6月21日 「神との正しい関係」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「神との正しい関係」    (21/06/2026) [『3つの関係』において成長する](①神との関係 ②神の家族との関係 ③神の家族以外との関係)  ・[ヨハネ13:33-38] この箇所には『3つの関係』のすべてが登場しているが、今日はこのペテロに注目しよう。彼はイエスを深く愛しており、どこまでも付いて行こうと決心していたが、果たせなかった。イエスは「あなたは今は付いて来られないが、後には付いてくる」とおっしゃった。『後に』とは、聖霊が臨まれた後のこと。  ・[マタイ7:21-23] 「イエスの名によって悪霊を追い出し奇跡を行うこと」は当然『神のみこころ』だと思ってしまうが、それは違う。『神のみこころ』の主役は「わざ」ではなく、『神ご自身』。そこに『私』が混入するとズレてしまう。 ◆『自分主導』と『神主導』(ヨハネ7:6)  ・『神のみこころ』は、「私たちが行うもの」ではなく、「神の主導で成就されるもの」であり、それを成就なさるのは「神の御霊(最高の賜物)」である。また御霊が私たちを通して『神のみこころ』を成就なさるためには、私たちの側の準備が整っている必要がある。それはペテロのような「主に従おうという強い思い」ではなく、「あなたが望む時・望む方法でこの身をお使いください」という『明け渡し』である。これこそが「『神との関係』に生きる」ということ。  ・ここで大切なのが「神は良いお方で、最善以外はなさらない」という確信。これを正しく信じていないために私たちはつい「自分のことは自分でやった方が…」と独りよがりに先走ってしまう。『最良のお方』に明け渡して歩もう! 今日の真理: 神が注目されるのは『明け渡された心』 ◎更に深い学びのために  ①私たちが成長すべき『3つの関係』とは、どのようなものでしたか? もう1度「JCFの目標」を復習しましょう。  ②『神のみこころ』に関してどんな思い違いをしがちですか? 「みこころの成就」のためにどうすれば良いでしょう?  ③「神との正しい関係に生きる」とは、どういう事ですか? そのためにあなたに必要な変化は何ですか? Outline of the sermon   “Proper relationship with God.”   (21/06/2026) [Grow in “3 relationship”] ①Relationship with God. ②Relationship in God’s family. ③Relationship outside Read more

(658) “高慢になって、悪魔と同じさばきを受けることにならないようにするためです。”

 私がまだ聖書やキリストと出会う前は、『悪魔』と聞くと、「ホラー映画の世界」または「しっぽの先に弓矢の先のようなものが付いた、マンガの虫歯菌のようなもの」というイメージでした。ところがキリストを出会って『霊の目』が開かれてからは、自分や人々に対する悪魔の働き(主に『誘惑』)を見分けられるようになってきました。  悪魔(聖書では『この世の神』とか『暗闇の世界の支配者』と呼ばれている)は確かに実在します。しかしホラー映画の中でのように「無理矢理人間を操って殺戮を行わせる」というようなことはごく稀で、主に私たちの『欲』につけ込んで誘惑し、犯罪を犯させたり、人生を破壊したりします。いわゆる「魔が差す」というような感じですね。  聖書によると「悪魔の起源」は、ある非常に美しい天使が、そのあまりの美しさに「自分は神に取って代われるのではないか」と思って、3分の1の天使たちをそそのかして天の世界において反逆を起こし、神に落とされて『悪魔(他の天使たちは「悪霊」)』となった、と言われています。それ故悪魔は神に対し強い恨みの念を持ち、常に神のみわざの邪魔をしようとします。とりわけ悪魔は、「神が愛してやまない『人間』」に対して激しい嫉みを抱いており、人が神の祝福を受けることを妨げようとします。それは何か力づくでバリアを張るとかではなく、私たちの欲につけ込んで「嫉み」を起こさせたり「高慢」に陥らせたりすることによって、私たちの心が神から離れるように仕向けるわけです。  人は自力で悪魔に対抗することはできません。ある意味悪魔は私たちよりも遥かに賢くて優れているからです。悪魔の策略に対抗する唯一の道、それは「自分の人生を神に明け渡し、イエス・キリストを信じることを通して与えられる『神の国の権威』を用いること」によってです。そういう意味でも、私たちの人生にはどうしても『イエス・キリストによる救い』が必要なのです。

2026614 「神がJCFを通してなさろうとしておられること」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「真の『イエスの家族』とは?」   (07/06/2026) [ルカの福音書 8章19~21節] ◆肉による家族  ・聖書には『肉の家族』を重視する多くの記述がある(両親を敬う,妻を愛する,子供を正しく教育する…)。それ故もちろんイエスはここで「家族は軽視して良い」と言っているわけではない。むしろ『家族(母や兄弟)』が重要であるからこそ、その言葉を用いて「神のことばを聞いて行うこと」の重要性を説いているのである。ではその『真意』は? ◆霊による家族  ・キリストを個人的な救い主として受け入れた人は『神の子』とされ、また「イエスの兄弟」「神の家族」の中に招き入れられる。[ヨハネ1:12-13] そして驚くべきことに、神の国の視点では、この『霊的家族関係』は『肉による家族関係』に優っている。そしてこの家族関係は「神(御父)のことばを聞いて行う」ということによって特徴づけられる。  ・考えてみると、神にとってみれば「夫婦関係」よりも先に『教会がキリストの花嫁である』というアイディアがあり、「地上での『肉による家族』よりも先に、『キリストによる神の家族』という概念があったに違いない。  ・私たちは日々の「家族や夫婦の交わり」を通して、「本来の『神の家族』のあるべき姿」、また「本来の『キリストと自分の親しい関係』のあり方」を見直し、より「神が本来望んでおられる形」へと近づけて行くべきなのだ! 今日の真理: 「霊の家族」こそ『家族』の原型 ◎更に深い学びのために  ①[21節]のイエスのことばの『真意』は、どのようなものでしょう?  ②「教会がキリストの花嫁である」という概念は、『夫婦関係』のあるべき姿をどのように描写しているでしょう?  ③JCFが『神の家族』、『キリストのからだ』としてふさわしく機能して行くために、あなたにできることは何ですか? Outline of the sermon    “Jesus’ real family.”    (07/06/2026) [Luke 8:16~18] ◆Biological family.  ・Bible tells us the importance of “biological family” in many verses so Read more

(657) “失望せずに善を行いましょう。あきらめずに続ければ、時が来て刈り取ることになります。”

 「肉体において体験した記憶」というものは、身体に記憶されるのではなく、実は脳に記憶されるそうです。つまり、何度も何度も繰り返し練習したことは「身体が覚えている」と言いますが、その「身体が…」という概念自体が脳の働きだそうです。例えば「朝起きたら顔を洗って歯を磨く」などの習慣的行動から、「ピアノやバイオリンを繰り返し練習する」などの訓練に至るまでしっかりと脳に記憶されていて、たとえ一時的な記憶喪失などになったとしても、それらの記憶は失われずに覚えられていて「自然と体が動く」ということになるそうです。  『1万時間の法則』という言葉を聞いたことがあるでしょうか?心理学者によると、どんなことでも1万時間繰り返し練習し続けるなら、そのエキスパートになれるそうです。このことは「どんな人でも、努力して練習し続ければ、その道に熟練できる」という希望を与えると同時に、「あることに熟練するために、決して『近道』は無い」ということでもあるわけですね。ですから『才能』という言葉に惑わされないようにしましょう。「努力を継続できること」こそ、真の『才能』と呼べるのかもしれません。  これらのことは、私たちの「信仰生活」にも応用できます。信仰において成長するためには『祈り』『聖書通読』といったことは不可欠ですが、そのような新しい習慣は「イエスを信じた人には自動的に備わる」といったものではありません。初めのうちは自分で意識して「祈り」、また「聖書を開いて読まなければ」なりません。しかしあきらめずにそれを継続するならば、やがて牧師や宣教師たちにも劣らない「信仰の高嶺」に辿り着くことができます。これもまた、神が私たち1人1人に等しく与えて下さった『才能(賜物)』と呼べるのかもしれませんね。

2026年6月7日 「真の『イエスの家族』とは?」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「真の『イエスの家族』とは?」   (07/06/2026) [ルカの福音書 8章19~21節] ◆肉による家族  ・聖書には『肉の家族』を重視する多くの記述がある(両親を敬う,妻を愛する,子供を正しく教育する…)。それ故もちろんイエスはここで「家族は軽視して良い」と言っているわけではない。むしろ『家族(母や兄弟)』が重要であるからこそ、その言葉を用いて「神のことばを聞いて行うこと」の重要性を説いているのである。ではその『真意』は? ◆霊による家族  ・キリストを個人的な救い主として受け入れた人は『神の子』とされ、また「イエスの兄弟」「神の家族」の中に招き入れられる。[ヨハネ1:12-13] そして驚くべきことに、神の国の視点では、この『霊的家族関係』は『肉による家族関係』に優っている。そしてこの家族関係は「神(御父)のことばを聞いて行う」ということによって特徴づけられる。  ・考えてみると、神にとってみれば「夫婦関係」よりも先に『教会がキリストの花嫁である』というアイディアがあり、「地上での『肉による家族』よりも先に、『キリストによる神の家族』という概念があったに違いない。  ・私たちは日々の「家族や夫婦の交わり」を通して、「本来の『神の家族』のあるべき姿」、また「本来の『キリストと自分の親しい関係』のあり方」を見直し、より「神が本来望んでおられる形」へと近づけて行くべきなのだ! 今日の真理: 「霊の家族」こそ『家族』の原型 ◎更に深い学びのために  ①[21節]のイエスのことばの『真意』は、どのようなものでしょう?  ②「教会がキリストの花嫁である」という概念は、『夫婦関係』のあるべき姿をどのように描写しているでしょう?  ③JCFが『神の家族』、『キリストのからだ』としてふさわしく機能して行くために、あなたにできることは何ですか? Outline of the sermon    “Jesus’ real family.”    (07/06/2026) [Luke 8:16~18] ◆Biological family.  ・Bible tells us the importance of “biological family” in many verses so Read more