(490) “人がひとりでいるのは良くない。”

 聖書は様々な角度から「共に生きる」ことの大切さを説いています。イエス・キリストも何度も弟子たちに「互いに○○し合いなさい」と命ぜられました。よく言われることですが、『人』という漢字は「互いに支え合っている様子」を表しています。  神が私たち1人1人を創造された時、それぞれに「優れたポテンシャル」を授けられました。そしてそれらのポテンシャルは、私たちが独りよがりで生きるならば、決して発揮されないものです。人間の『真価』は本来人との関係の中で発揮されるものだからです。  文明が発達し、様々な面で生活が便利になったことは喜ばしいことではありますが、それによって徐々に「他人の助けが要らない」「自分独りで生きて行ける」と錯覚しそうになることは悲しいことです。「人付き合いは面倒くさいから、できるだけ避けたい」と思われがちですが、その「面倒くさい人付き合い」を通してこそ、私たちは『忍耐』や『親切心』、そして『愛』や『憐れみ』といった、まさに神が私たちの人間性の内に育てたい要素を学んで行けるのです。そしてまた、私たちが日々の生活の中で体験できる「本当の喜び」といったものも、人と人との関係の中でこそ体験できる、神様からの素晴らしいプレゼントなのです。

(489) “あなたの唇が公正を語るなら、私の心は喜びに踊る。”

 ご存知でしたか?アメリカ歴代大統領の中で、任期半ばで辞任を余儀なくされたのは、たった1人だけだということ。この不名誉な歴史を刻んだ人物は『ニクソン大統領』です。優れた大統領であった彼が辞任に追い込まれた理由は、1本のテープに吹き込まれた彼の『言葉』だったそうです。「口は禍の元」と言われますが、一旦口を出て行った言葉は決して取り戻すことはできない。恐ろしいですねぇ。  聖書の中の『箴言』という書物には「口から出る言葉」に関する警告が150回も出てきます。いかに私たちが「自分の語る言葉」に注意を払わなければならないかを思い知らされます。調べによると、ごく普通の人が50年間に語る言葉を集めると、300ページの本12000冊分にも及ぶそうです。いわば私たちは1人1人、これだけの歴史、また財産をこの世に遺しているということができます。ある人は「自分の語る言葉なんて取るに足りないものだから…」と思うかもしれませんが、そのような人が語った言葉のいくつかも、実際誰かにとって「決して忘れられないひと言」になっていることがあるのです。  「語る内容」だけではありません。私たちが語る言葉が、「誰に対して」「誰について」「いつ」「どこで」「どのように」語られたかも、人々の人生に関わってきます。改めて「自分が語る言葉」をよぉく吟味していきたいですね。

2022710 「孤立はダメ!」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ      「孤立はダメ!」     (10/07/2022) [マルコ 14:10~16] ◆『最後の晩餐』の前に(先週の「女がイエスに称賛された出来事」を思い出そう!)  ①ユダの反応(10節)   ・ヨハネの福音書によると、女の行動を批判したのは彼だった。彼はイエスの心を共有できずにいたようだ。  ②他の弟子たち(12節)   ・皆「年に1度の過越の食事」を楽しみにしていた。それはイエスも同じ [ルカ22:14-15]。 ◆分かち合う   ・何故ユダは「心の中の葛藤」を他の仲間と分かち合わなかったのだろう?他をみくびっていた?もしくは『劣等感』の故に、見下されるのを恐れていたのだろうか?だとすれば、周囲からの声掛けを必要としていたはず。   ・人が誰かにつまずく(この場合はユダがイエスに)時、ほとんどの場合その原因は『誤解』(コミュニケーション不足)。自分を閉ざしてはならない。私たちは『神の家族』。そして『家族』は「喜びも苦しみも共有する」ための共同体。[箴言17:17] 喜びは分かち合うと倍増し、苦しみは半減する。   ・サタンが狙うのは「群れから離れた獲物」。だから「孤立すること・させること」はどうしても避けなければダメ! ✰今日のみことば: 箴言 17章17節 ◎更に深い学びのために  ①「ナルドの香油の出来事」の後、弟子たち1人1人にどのような思いが浮かんでいたか、想像してみましょう。  ②ユダが自分の心の葛藤を打ち明けなかったことと、彼が悪魔に心を奪われたことは、どう関係があるでしょう?  ③あなたは『心の葛藤』を分かち合える人がいますか? また、あなたを必要としている人が周囲にいませんか? Outline of the sermon      “Do not isolate yourself!”      (10/07/2022) [Mark 14:10~16] ◆What happened before “the Read more…

(488) “信じる者は、慌てることがない。”

 人体とは非常によくできているもので、急がなければならない状況になると、体中に「緊急事態」が発令される仕組みになっており、ストレスホルモンから特別なアドレナリンが放出され、危急な状況に対応できるように準備されるそうです。但しこの体の仕組みは、その「緊急事態」が肉体に関するものなのか、心の不安や環境によるストレスのものなのかという原因を見極めることはできません。ですから、肉体的に一時的に身を守るためには大変効果的なのですが、長期に渡るストレスによってこの「緊急事態」が継続されると、むしろ様々な肉体的疾患の原因となります。  では、そうならないためにはどうすれば良いのでしょうか?それは何よりもまず、そのような「継続的なストレス」の原因を正しく見定めて、きちんと除去することです。この点においても「愛に満ちた全能者であられる神」に信頼しているということは、大きな助けになります。「自分にとってどうしても必要なものは、神様がちゃんと取っておいてくださる」と信じられるからです。  私たちは宣教師として、日本を離れることが多かったため、何度も引っ越しを余儀なくされました。帰国するたびに住むための貸家を探すのですが、不動産屋さんで良い物件を紹介されるたびに、「これは滅多に出ない良い物件なので、一刻も早く決めないと、すぐ別の人に決まってしまいますよ!」と言われ(脅され?)ました。初めのうちはとても不安になって「手付金のようなものを払っておこうか?」などと考えたのですが、やがて「いや、神様がちゃんと1番良いものを取っておいてくださる。もし別の人に決まってしまったなら、他にもっと良い物件があるということだ!」と考え直しました。そして事実、毎回神様は私たち家族のために最高の物件を用意してくださっていました。(ある時は、予算オーバーの物件の値引きさえしてくださいました!)  神に信頼して生きるとは、「急ぐ必要のない生き方」であり、ストレスや不必要な病気から守られて生きることなのです。

2022年7月3日 「それぞれの応答」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ      「それぞれの応答」     (03/07/2022) [マルコ 14:1~9] ◆イエスを取り巻く3種類の人々  ①祭司長・律法学者たち(1~2節)   ・彼らを動かしていたのは、「信念」や「欲得」。この動機付けで生きるなら「イエスの真の姿」は見えてこない。  ②弟子たち(3~5節)   ・彼らを動かしていたのは、「資産の運用」や「働きの進展」。多くの企業人また教会でさえ、こういったもので動いている。しかし私たちは『働き』に仕えているのではなく、『主イエス』に仕えている。  ③ある女の人(べタニアのマリア)   ・300デナリ以上もの価値ある香油(300万円以上?)。弟子たちがあきれたのもうなずける。 ◆イエスの評価 [8~9節]   ・イエスは私たちに「個人的な応答」を望んでおられる。それは第3者には『ムダ・愚か』に見えるかもしれない。   ・また、私たちの『信仰』は「愛の道を通って」表現されるべき。[ガラテヤ5:6] 私たちはつい「何が正しいか」という測りで測ってしまいがちだが、イエスは別のものさしを持っておられる。 ✰今日のみことば: コロサイ人への手紙 3章23節 ◎更に深い学びのために  ①この女は、どんな思いをもって「なけなしの香油」をイエスに注いだのだと思いますか?  ②なぜ弟子たちは、女の行動の価値を理解できなかったのでしょう? 私たちを真理から阻むものは何ですか?  ③一体どのような意味で、この女の行動は「福音が宣べ伝えられるところで記念として語られる」のでしょう? Outline of the sermon      “Various responses to Jesus.”      (03/07/2022) [Mark 14:1~9] ◆Each of us is Read more…

(487) “待ち望め、主を。”

 昭和中期(?)に生まれた私たちの世代から見て、現代人の大きな1つの特徴は、「待てない」ということです。あるクリスチャンがこんなお祈りをしたという笑い話があります。「神様、どうぞ私に『忍耐』を与えてください。今すぐに!」 きっと神様はこの祈りに「すぐには答えない」という形で答えてくださったと思います。  実際、『待つ』ということから私たちは多くを学ぶ(得る)ことができます。日本語にも「急いては事を仕損じる」ということわざがありますが、待ち切れなくて性急に行動を起こすことで望まない結果を生むことは多々あります。車のスピードを上げれば上げるほど運転手の視界が狭められてしまうのと同じように、急いで行動すればするほど、周囲が見えなくなるものです。  しばしば「待つこと」には勇気が要ります。「こんなにゆっくり行動していて、手遅れになってしまったらどうしよう…」という不安と戦わなければなりません。聖書が「主を待ち望め」と教えるとき、そこには「あなたを愛し、あなたに最善を成してくださる神(天の父)に信頼しなさい。『神のタイミング』『神の方法』が知らされるまで、落ち着いて周囲を見回しなさい。」というメッセージが込められています。『待つ』とは、成熟した人間がより良い結果を残すための「信頼の行為」なのです。

2022年5月1日 「目を覚ましていなさい」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ      「目を覚ましていなさい」     (01/05/2022) [マルコ 13:32~37] ◆『その時』は、イエスも知らない [32~33節]   ・「世の終わりの予言」は数多くあるが、いずれも当たった試しがない。何故?それは、イエスが「その日は誰も(自分さえも)知らない」とおっしゃったから。恐らく御父さえも『いつ』とは決めておられないのでは?   ・イエスご自身も『その日』を知らないとは驚きである。彼も、私たちと一緒に『その日』を心待ちにしながら「目を覚まして」おられる。ここにも、主イエスが「私たちと共に歩みたいと願っておられる」という心が感じられる。 ◆私たちは「何を」待つのか? [36~37節] (イエスは「すべての人に」言っている!)   ・使徒パウロでさえ「『その日』は自分が地上にいる間に来るに違いない」と思っていた。それが何故まだ来ないのか?その理由を知る手掛かりも、やはりみことばの中にある。[Ⅰテモテ2:4,Ⅱペテロ3:9] では、遅ければ遅いほど良いのでは? ⇒ 結婚式を先延ばしにしたい新郎新婦はいない!   ・私たちが『終わりの時』というとき、「出来事」について考えがち。しかし実際に私たちが待ち望むべきは、様々な「終わりの前兆」ではなく、私たちを『花嫁』として迎えに来られる「主イエス・キリスト」。周囲の状況を頼りにして不安定な生き方をするのではなく、やがて必ず来られるお方を待ち望みつつ「目を覚まして」生きよう! ✰今日のみことば: ピリピ人への手紙 3章20節 ◎更に深い学びのために  ①様々な「世の終わり」の予言がことごとく成就しなかった理由は何でしょうか?  ②何故「世の終わり」がなかなか起こらないのでしょう? またその理由についてあなたはどう思いますか?  ③「世の終わり」を正しい姿勢で待ち望むために、私たちはどのような態度を心掛けるべきですか? Outline of the sermon         “Stay awake!”         (01/05/2022) [Mark 13:32~37] ◆No one knows when “the time” Read more…

(486) “わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。”

 『喜び』というものは、私たちの人生の「燃料」のようなものです。これが失われると、私たちはただ「生物学的に生きているだけの人生」を送るようになってしまいます。車を運転する時には、時々燃料タンクのメモリをチェックしながら「ガス欠になっていないかどうか」を随時確かめておく必要がありますよね?それと同じように、私たちの心の内に『喜び』が失われていないかどうかを日々チェックする必要があるのです。  イエス・キリストが多くのことを教えられたのは、「自分が持っている喜びが私たちの内に満ちあふれるためである」とおっしゃいました。キリストの地上での人生は決して楽しいことばかりではありませんでした。定住の地はなく、ほとんどゆっくりと休む暇もなく、敵もたくさんいました。けれども彼の内にはいつも「他の人に分け与えないではいられない喜びと愛」に満ちていたのです。一体その秘訣は何だったのでしょう?それは、いつも変わらずに彼と共におられた『父なる神との愛の関係』です。そしてイエス・キリストがいつも教えておられたことは、この「『父なる神との愛の関係に生きること』からやってくる祝福について」だったのです。  この世界が私たちに提供してくれる『喜び』もありますが、それらはいつも周囲の状況に依存した「一時的なもの」です。しかしキリストが私たちに提供してくださる『喜び』は上から注がれるものであり、周囲の状況にかかわらず私たちの心のうちに泉のように満ちて行くのです。それは永遠に私たちの内にとどまり、将来の不安や死に対する恐れさえも消し去ってくれるのです。  あなたもそのような『喜び』を心に満たして生きたくはありませんか?

2022年4月24日 「真打ち・キリスト」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ  「真打ち・キリスト」 (24/04/2022) [マルコ 13:24~31] ◆終わりに起こること [24~27節]   ・「真の神を知らない人々が拝んでいた(希望を置いていた)もの」がことごとく崩れ去る。[24~25節] その時、真の権威を持つ『人の子(キリスト)』が「神の栄光」に満ちて現れる。[26~27節] その場面に居合わせる『選ばれた者たち』は歓喜の声を上げるに違いない!使徒パウロはこの時の様子を思い浮かべて、次のように書いている。[Ⅰテサロニケ4:16-17] ◆『その日』を迎える心構え [28~31節]   ・この章の始めの方では「産みの苦しみの始まり」という表現が出てきたが、ここでは「戸口まで近づいている」と言っている。しかし「これらのことがすべて起こるまで、この時代は過ぎ去ることはない」のだから、コロナ蔓延で「終わりが近い!」と騒いでいる人たちは、聖書を中途半端にしか分かっていない。   ・イエスは「天地は消え去る」とおっしゃった。それ故「やがて地上が天国のようになる」と教えている人たちは、大きく間違っている。『いつまでも残るもの』は「今目に見えている世界」ではなく、『キリストのことば』である。だから「終わりの時のために今できる最善」は、この『キリストのことば』をできるだけ蓄えることなのだ! ✰今日のみことば: コロサイ人への手紙 3章16節 ◎更に深い学びのために  ①「産みの苦しみの始まり」の出来事(5~8節)と「戸口まで近づいている」時(24~27節)とを比較してみましょう。  ②弟子たちと共に地上におられた時と、この時「偉大な力と栄光と共に来られる」イエスはどう違うと思いますか?  ③「決して消え去ることがないもの」は何ですか? どのようにそれらに根差して生きることができるでしょう? Outline of the sermon      “Christ, the Headliner.”      (24/04/2022) [Mark 13:24~31] ◆Christ comes with glory. [Verses 24~27]   ・All the temporary Read more…

(485) “見よ、わたしはすべてを新しくする。”

 この前の日曜日は、クリスチャンの大きなお祭りの1つである『イースター(復活祭)』でした。イエス・キリストが十字架において死なれ、墓に葬られた後、3日目によみがえられたことを祝う「喜びの祝祭」です。今日はこの「キリストの十字架と復活」について少し考えてみたいと思います。  聖書はまず「神が天と地を造られ、人間を(神のかたちに)造られた」と述べていますが、神が人(私たち)を造られた『第1の目的』は何だと思いますか?それは、神の最大のご性質である『愛』というものを、互いの『関係』の中で表現し合うためです。「愛の表現」が単に「セックスをすること」だけだとしたら、それは他の動物たちにだってできます。人間は「相手を思いやり、相手の最善を願って、自分自身を犠牲にしてでも相手をサポートする」という形で『愛』を表現することのできる、唯一の被造物です。  ところが、『最初の人』であるアダムとイブが神に反逆して以来、神が意図しておられたこの麗しい「愛の関係」というものが、人と神の間においても、人間同士においても歪んでしまい、人は『関係』というものを「自己中心的に」用いるようになってしまいました。これが聖書の言うところの「人の罪とその結果」なわけです。  神がご自身のひとり子『イエス・キリスト』を人間の姿でこの世にお送りになられたのは、「神の力とご性質をデモンストレーションするため」であると共に、この「壊れてしまった『関係』というもの」を修復するためでもあったのです。キリストは「人の神に対する反逆の罪」と、その結果である「歪んでしまった関係」の清算をするために、私たちの身代わりに十字架にかかって、そのいのちの代価によって全ての償いを済まされたのです。そして私たちがもう1度、最初に神が計画しておられた通りの、本来の豊かさと純粋さをもった「神との関係」そして「人間同士の関係」へと再スタート(回復)することができるようにと、死を打ち破ってよみがえってくださったのです。私たちはイエス・キリストをこのような『救い主』として信じることによって、人生をもう1度新しく出発することができるのです!