2024年1月14日 「アブラハムの信仰」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ  「信仰によって生きる」  (07/01/2024) [へブル人への手紙 11章1~7節] ◆信仰とは?  ・[1~2節] 『肉眼』は「目に見えるもの」を人に確信させ、『信仰』は「目に見えない事柄(神に属するもの,将来のことなど)」を人に確信させる。『信仰』は単に「主観的・個人的確信」ではなく、『神の約束』という確かなものの保証に裏付けられている。それは、私たちの『救い』が「キリストの十字架」に保証されているのと同じ。これらのことから、『信仰』というもの分かりやすい定義は:「まだ見ていない『神の約束の成就』を確信して今を生きること」。  ・「信仰の実体」は、「信仰によって生きた人々」を通して知ることができる。ここからはその『信仰者たち』の記録。 ◆見倣うべき信仰者たち  ・[4節] カインとアベルの違いは「神へのささげ物そのものの差」というよりも、「神に対する心の態度の差」。カインの心にはアベルに対する『対抗意識』があったと思われる。「人との比較」は、私たちの『信仰』を歪める。  ・[5節] これに対しエノクは、創世記5章の記述も参考にすると、「神とともに歩んだ」。[ミカ6:8]  ・[6節] 『信仰』は、ただ神を求め、神を深く知り、その神に魅了されて心を動かされ、自然な反応として現れるもの。この『信仰』が神の心を揺さぶる。「正しく神を知り、正しく応答すること」を神は望んでおられる。  ・[7節] ノアはアベルのようにまっすぐに神を見つめ、エノクのように神と共に歩んだ。彼のように「たとえこの世の流れに逆らい、人々から嘲られたとしても、神に従う」という姿勢を、今年は見倣って生きよう![Ⅱコリント5:7-10] ◎更に深い学びのために  ①『信仰』というものの性質を分かりやすくもっと具体的な言葉で言い換えると、どのように表現できますか?  ②今日登場した3人の「信仰によって歩んだ人々」から、『信仰』についてどんなことを学ぶことができますか?  ③この2024年にあなたが自分自身の『信仰』に関して「更に成長したい」と感じる点はどのようなことですか? Outline of the sermon     “Living by faith.”     (07/01/2024) [Hebrews 11:1~7] ◆What is “Faith” all about?  ・[Verses1~2] “Eyes” assures what Read more…

(557) “あなたは…知性を尽くして…あなたの神、主を愛しなさい。”

 神は私たちを「日々新しい知識を得るように」とデザインし、創造されました。それは何も「学生時代だけ」とか「定年まで」とかではなく、「死ぬまで」です。このことを軽んじることは実に愚かなことです。人間の脳の平均重量はたったの1.4キロしかありませんが、神経科医たちの研究によると、私たちは皆毎秒新しいことを学ぶことを3億年間続けられるほどの「学ぶ力」が備わっているそうです。物凄いと思いませんか?もし『学ぶこと』をやめてしまったら、それはあなたの人生における損失なだけでなく、この世界にとっても大きな損失なのです。  よく「私たちは日常、自分の脳のわずかなパーセンテージしか活用していない」と言われますが、確かなことは、私たち1人1人は私たちが想像している『最高の自分自身』よりもはるかに優れた可能性を秘めているということです。それなのに何故それを生かせないのか?それはほとんどの人間が、それらの「未知の可能性」に注目しないで、「記憶(既に学んだ事)」に頼って生きているからです。「新たな事を学ぶ意欲」を失った瞬間、私たちはある意味「死に向かい始めて」いるのです。  聖書は「神を知ることが『知識』の初めである」と述べています。私はクリスチャンとしての歩みを始めて40年以上経ちますが、神のことを知れば知るほど「自分は神のことが全然分かっていない」と痛感させられます。そして「もっともっと神のことを知りたい」と思わされるのです。ある意味「自分が無知であることを思い知らされる」というのは『痛い経験』ですが、考えようによっては、「どれだけのことを知っているか」よりも「まだどれだけ知らないことがあるのか」ということを知る方が価値があるのかもしれません。  この新しい年の初めに当たって、「まだ知らないこと(特に『神』という存在について)をもっと知って行こう」という意欲をもって更に高嶺を目指して行きましょう!

2024年1月7日 「信仰によって生きる」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ  「信仰によって生きる」  (07/01/2024) [へブル人への手紙 11章1~7節] ◆信仰とは?  ・[1~2節] 『肉眼』は「目に見えるもの」を人に確信させ、『信仰』は「目に見えない事柄(神に属するもの,将来のことなど)」を人に確信させる。『信仰』は単に「主観的・個人的確信」ではなく、『神の約束』という確かなものの保証に裏付けられている。それは、私たちの『救い』が「キリストの十字架」に保証されているのと同じ。これらのことから、『信仰』というもの分かりやすい定義は:「まだ見ていない『神の約束の成就』を確信して今を生きること」。  ・「信仰の実体」は、「信仰によって生きた人々」を通して知ることができる。ここからはその『信仰者たち』の記録。 ◆見倣うべき信仰者たち  ・[4節] カインとアベルの違いは「神へのささげ物そのものの差」というよりも、「神に対する心の態度の差」。カインの心にはアベルに対する『対抗意識』があったと思われる。「人との比較」は、私たちの『信仰』を歪める。  ・[5節] これに対しエノクは、創世記5章の記述も参考にすると、「神とともに歩んだ」。[ミカ6:8]  ・[6節] 『信仰』は、ただ神を求め、神を深く知り、その神に魅了されて心を動かされ、自然な反応として現れるもの。この『信仰』が神の心を揺さぶる。「正しく神を知り、正しく応答すること」を神は望んでおられる。  ・[7節] ノアはアベルのようにまっすぐに神を見つめ、エノクのように神と共に歩んだ。彼のように「たとえこの世の流れに逆らい、人々から嘲られたとしても、神に従う」という姿勢を、今年は見倣って生きよう![Ⅱコリント5:7-10] ◎更に深い学びのために  ①『信仰』というものの性質を分かりやすくもっと具体的な言葉で言い換えると、どのように表現できますか?  ②今日登場した3人の「信仰によって歩んだ人々」から、『信仰』についてどんなことを学ぶことができますか?  ③この2024年にあなたが自分自身の『信仰』に関して「更に成長したい」と感じる点はどのようなことですか? Outline of the sermon     “Living by faith.”     (07/01/2024) [Hebrews 11:1~7] ◆What is “Faith” all about?  ・[Verses1~2] “Eyes” assures what Read more…

(556) “どうか教えてください。自分の日を正しく数えることを。”

 貧富の差や能力の違いはあるにしても、すべての人間に等しく与えられているものがあります。それは『時間』です。私たちには皆、1日24時間(1440分,86400秒)が与えられています。これらの時間をどう使うかが、積もり積もって私たちが「どう人生を生きたか」ということにつながって行くわけです。  与えられている「限られた時間」というものを賢く使うための1つのヒントは、朝ごとに次のように自問自答することです。「もし明日私が人生の終わりを迎え、神の御前に立つとしたら、今からの24時間をどう過ごすべきだろうか?」 この質問に対する答えは、自分の『人生の優先順位』というものを反映しているのです。  ちょっと立ち止まって考えてみてください。もし今日あなたの車が盗まれてしまったとしても、また新しい車を手に入れることはできます。仮に財布を失くしてしまったとしても、銀行やカード会社などに電話をして問題を解決することは可能です。ところが、無駄に使ってしまった『時間』は、誰に頼んでも取り戻すことはできません。まさに「時間をどう使うか」は、「人生をどう生きるか」に直結しているのです!  この新しい年、次の2つのことを心掛けてみてはいかがでしょう?  ①すべての人に『Yes』と言うことをやめる   ・誰でも他の人に嫌な思いをさせることを好みません。しかしあなたの本心が『No』と叫んでいるのに、その人を喜ばせるために『Yes』と言うべきではありません。イエス・キリストの地上での歩みはまさにそのようでした。だからこそキリストは地上での生涯の終わりに、「父よ、わたしは地上であなたのみこころをすべて成し遂げました」と言うことができたのです。  ②『優先すべきこと』をはっきりさせ、それをキチンと優先させる   ・人間の「成熟度」というのは、『真に成すべきこと』を、たとえ気が進まない時でも全力で行えるかどうか、で測ることができます。今年の終わりにできるだけ「後悔すること」を減らすために、今こそ心を定めて1日1日を全力で生きて行きましょう!

2023年12月31日 「教会 ― キリストのからだ」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「教会 ― キリストのからだ」    (31/12/2023) ◆もう1つの大切なこと  ・前回「最も大切なこと」として『神との個人的な関係』について話したが、今日はそれと同様に大切なこと(Ⅰコリント12:27)について話す。この聖書箇所には2つの要素が含まれている。   ①私たち(教会)は「キリストのからだ」である。御父は御子イエスが地上におられた時には彼を通してみわざを行われたが、現代は「キリストのからだ」である私たちを通して、そのみわざを継続しておられる。   ②私たち1人1人は「からだの部分」である。私たちは「神のみわざ」を成就するためにお互いを必要としている。[Ⅰコリント12:7] 「個人プレー」ではなく、『神の愛』によって互いを生かし合う「神の国のチームメイト」。 ◆1人1人に与えられた責任(タラントのたとえ)  ・『牧師』に「群れを統括する」という責任があるように、1人1人にも「神から与えられた『御霊の現れ』を互いの益のために用いる責任」がある。(「牧師がかしら」なのではない!)  ・2024年は、各自がまず「熱心に神を求めてみことばを学び」、そして「主イエスが自分と一緒にやりたいと思っている」と感じることに大胆に挑戦していく年としよう!そして1年後には「自分はJCFというキリストのからだの、こういう部分なのだ!」と胸を張って宣言できるようになれたら、何と幸いなことだろう。 ✰今年の年間聖句: [ローマ人への手紙 12章5節] ◎更に深い学びのために  ①何故「教会はキリストのからだである」と言えるのでしょう?  ②私たち1人1人が「キリストのからだの部分である」とは、一体どういう意味でしょうか?  ③「キリストのからだの部分」として自分が機能するために、心掛けるべきことはどんなことですか? Outline of the sermon    “Church ― Body of Christ.”    (31/12/2023) ◆One more important thing.  ・Last week we learned “the most important Read more…

(555) “「その名は『インマヌエル』と呼ばれる。それは訳すと、『神が私たちとともにおられる』という意味である。」”

 皆さんはこのクリスマス・シーズンをどのように過ごされていますか?  ニュージーランドで暮らすようになって気が付いた日本との1つの違いは、若い人たちにとって日本では「クリスマスは恋人と一緒に過ごす」というのが定番になっているのに対し、ニュージーランドでは多くの場合「実家に帰って家族と過ごす」というのが常識になっているということです。ちょっと日本のお正月やお盆と似てますよね?  では「我が家はどう過ごしたか」と言いますと、クライストチャーチには日本から短期でやってきている留学生やワーキングホリデーの若者たちがたくさんいるので、それらの知り合いの中で「クリスマスに一緒に過ごす相手がいない」という人たちを招いて『クリスマスBBQ』をしました。幸い晴天に恵まれたので、大変有意義で賑やかな楽しいひと時を過ごしました。  そもそも『クリスマス』は「イエス・キリストの誕生日」、もっと正確に言うならば「神がそのひとり子イエス・キリストを人として地上に遣わされたことを記念する日」です。この出来事は何百年も前から預言されていて、その預言の中でイエス・キリストは『インマヌエル』と呼ばれると書かれています。そしてその名前は、「神が私たちとともにおられる」という意味なのです。  「苦しい時の神頼み」という言葉がありますが、確かに私たちは順境では『神様』のことなどスッカリ忘れて日々を過ごします。しかし苦しみに直面した時、思わず「神様、助けて!」と叫ぶ人が多いのではないでしょうか?もしかすると、この「クリスマス・シーズンのお祭り騒ぎ」のただ中で、孤独感にさいなまれ、また悲惨なクリスマスの思い出に頭を悩ませている方もおられるかもしれません。そんな時、ぜひ思いを馳せていただきたいのです。『真のクリスマス』は、そのような「お祭り騒ぎの中」にあるのではなく、「神様、こんな私と共にいてください。私を支えてください」というような、差し迫った思い出神を求める心とともにあるのだ、ということを。  「クリスマス・スピリット」、それは、「神は私とともにおられることを私たちに知らせるために、ひとり子イエス・キリストを送られた」ということに思いを馳せることなのです。

2023年12月17日 「神との関係はリアクションに現れる」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ 「神との関係はリアクションに現れる」 (17/12/2023) ◆「神との関係」のレベル  ・『神との関係』というものを「知的なレベル」で捉えようとしている人は、「神からの語りかけ・導き」というものを『アタマ』で考えようとする。しかし、「神様の思い」を私たちの小さな頭で推し測りようがないのは明らか。  ・また『神との関係』を「感情的なレベル」でつかもうとする人、すなわち神のみこころや導きを「心の高揚」によって判別しようとする人もいる。この手の人々はよく[ピリピ2:13]のみことばを引用する。しかし「神のみこころ」と「自分のお心」を見分けることは非常に困難。  ・『神との正しい関係』を築くためには、「霊的レベル」におけるアプローチが必須。[ヨハネ4:24,Ⅰコリント6:17] ◆「神との関係」を育む  ・神との「霊的レベルでの交わり」を育むためには2つの主な要素がある。①霊の食物(みことば)と②信仰(自分の欲や好みを神に明け渡す)の2つ。そしてこれらの基盤となるのが「神は良い方である」という確固たる確信。  ・「神と共に歩む」ためには、いつものようにリラックスしつつ「霊的に目を覚まして」いる。1つ1つの出来事に対して知性や感情を超えたレベルで「何だか分からないけど、何か引っかかる」ような思いをキャッチし、思い切ってそれに従ってみる。[Ⅱコリント5:7] 「人と違っていること」を恐れるな。主イエスもそのように歩まれた! ✰今週のチャレンジ: 『霊的センス』を磨こう! ◎更に深い学びのために  ①私たちはどんなことを頼りに「神のみこころ」を判別しがちですか? それらのどこが間違っているのでしょう?  ②「神との正しい関係」を築き、「神と共に歩む」ために、どのようなセンスを磨く必要がありますか?  ③『霊的センス』を磨くために、どんな要素が必要ですか? そのために神はあなたに何を求めているでしょう? Outline of the sermon  “Relationship with God reveals in our reaction.”  (17/12/2023) ◆Your levels of “relationship with God”.  ・Some people try to Read more…

(554) “人はだれでも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい。”

 聖書は『怒り』というものをコントロールするための3つのカギとなる要素を教えているので、ちょっと詳しく見てみましょう。 ①「聞くのに早くする」  ・相手の話の途中でさえぎったり、慌ててリアクションしたり、自分の思いで決めつけてしまわないように気を付けましょう。心を落ち着けて「相手が伝えようとしている『真意』」をしっかりと汲み取ることを心掛けましょう。そして祈り心をもって「神様が自分を通して相手に伝えようとしていることは何か」ということを思い巡らしましょう。 ②「語るのに遅くする」  ・自分の考えに確信が無かったり、相手にどう答えたら良いか分からない時は、素直に相手にそのままを伝えましょう。古い中国のことわざで、「何も言わないで周りから愚かだと思われる方が、間違ったことを言って自分が愚かだということを証明してしまうよりもマシである」というものがあります。その場しのぎのために「私は何でも知ってるよ」という顔をすることは、後に大きな代償を支払わされる結果を生みかねません。 ③「怒るのに遅くする」  ・聖書は「決して怒るな」などとは教えていません。ただ『怒り』というものを「真に怒るべきことのため」に、「ふさわしい方法」で、「正しいタイミング」に表現するように勧めているのです。  自分の『怒り』というものをしっかりとコントロールするためには、自分の心の中にある「傷やわだかまり」というものにしっかりと対処しておかなければなりません。これらのものはしばしば『怒り』をふさわしくない方法で表現させる引き金となります。またある人々は、「『怒り』を表現する」ということそのものを「悪いこと」と決めつけ、「表現できなかった『怒り』」を心の中に溜め込んでしまうことによって、かえって「自分自身」や「人々との豊かな人間関係」を台無しにしてしまうことがあります。  私たちをお造りになり、この地上に生み出してくださった『創造主なる神』は、私たちをこよなく愛し、私たちの『体』だけでなく、私たちの『心』のことを深く気にかけておられます。そして「あなたの『喜怒哀楽』の全てをわたしにぶつけていいんだよ」とおっしゃいます。このお方に全てをぶちまけることによって「スッキリした心」を保ち、平安な心をもって周囲の人々との豊かな関係を築いて行きましょう。

(553) “あなたこそ、私の内臓を造り、母の胎の内で私を組み立てられた方です。私は感謝します。”

 世の中には「素晴らしいもの」はいくつもありますが、その中でも最たるものがこの『人体の神秘』ではないでしょうか?  スマホに内蔵されたカメラは日々精度を上げていますが、未だに「私たちの肉眼」で捉える映像の比ではありません。それは私たちの網膜が毎秒100億もの識別活動を行っているからです。また私たちの『鼻』は、空気中を漂っている「1ミリグラムの百万分の1」のニンニクの匂いの成分を「1万種の異なった香り成分」の中から嗅ぎ分けることができます。  私たちの体を覆っている『体毛』は「髪の毛1本の1000分の1」の重みさえも感じ取ることができます。そしてまた私たちを形作っている1つ1つの細胞では「毎秒1兆もの化学反応」が起こっているのです!数えきれないほどの数量や確率を描写する時に『天文学的数字』という言葉を用いますが、正にそのような『天文学的な営み』が、毎瞬間私たちのこの肉体において現実的に起こっているのです。一体『人体』とはどれほどに驚異的な存在なのでしょう!  聖書は、この人体は「神の傑作品である」と述べています。私たちは日々「神の驚くほど偉大なみわざ」を身をもって体験しているのです。この『創造主なる神』をほめたたえずにはいられないと思いませんか?