2023年12月17日 「神との関係はリアクションに現れる」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ 「神との関係はリアクションに現れる」 (17/12/2023) ◆「神との関係」のレベル  ・『神との関係』というものを「知的なレベル」で捉えようとしている人は、「神からの語りかけ・導き」というものを『アタマ』で考えようとする。しかし、「神様の思い」を私たちの小さな頭で推し測りようがないのは明らか。  ・また『神との関係』を「感情的なレベル」でつかもうとする人、すなわち神のみこころや導きを「心の高揚」によって判別しようとする人もいる。この手の人々はよく[ピリピ2:13]のみことばを引用する。しかし「神のみこころ」と「自分のお心」を見分けることは非常に困難。  ・『神との正しい関係』を築くためには、「霊的レベル」におけるアプローチが必須。[ヨハネ4:24,Ⅰコリント6:17] ◆「神との関係」を育む  ・神との「霊的レベルでの交わり」を育むためには2つの主な要素がある。①霊の食物(みことば)と②信仰(自分の欲や好みを神に明け渡す)の2つ。そしてこれらの基盤となるのが「神は良い方である」という確固たる確信。  ・「神と共に歩む」ためには、いつものようにリラックスしつつ「霊的に目を覚まして」いる。1つ1つの出来事に対して知性や感情を超えたレベルで「何だか分からないけど、何か引っかかる」ような思いをキャッチし、思い切ってそれに従ってみる。[Ⅱコリント5:7] 「人と違っていること」を恐れるな。主イエスもそのように歩まれた! ✰今週のチャレンジ: 『霊的センス』を磨こう! ◎更に深い学びのために  ①私たちはどんなことを頼りに「神のみこころ」を判別しがちですか? それらのどこが間違っているのでしょう?  ②「神との正しい関係」を築き、「神と共に歩む」ために、どのようなセンスを磨く必要がありますか?  ③『霊的センス』を磨くために、どんな要素が必要ですか? そのために神はあなたに何を求めているでしょう? Outline of the sermon  “Relationship with God reveals in our reaction.”  (17/12/2023) ◆Your levels of “relationship with God”.  ・Some people try to Read more…

(554) “人はだれでも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい。”

 聖書は『怒り』というものをコントロールするための3つのカギとなる要素を教えているので、ちょっと詳しく見てみましょう。 ①「聞くのに早くする」  ・相手の話の途中でさえぎったり、慌ててリアクションしたり、自分の思いで決めつけてしまわないように気を付けましょう。心を落ち着けて「相手が伝えようとしている『真意』」をしっかりと汲み取ることを心掛けましょう。そして祈り心をもって「神様が自分を通して相手に伝えようとしていることは何か」ということを思い巡らしましょう。 ②「語るのに遅くする」  ・自分の考えに確信が無かったり、相手にどう答えたら良いか分からない時は、素直に相手にそのままを伝えましょう。古い中国のことわざで、「何も言わないで周りから愚かだと思われる方が、間違ったことを言って自分が愚かだということを証明してしまうよりもマシである」というものがあります。その場しのぎのために「私は何でも知ってるよ」という顔をすることは、後に大きな代償を支払わされる結果を生みかねません。 ③「怒るのに遅くする」  ・聖書は「決して怒るな」などとは教えていません。ただ『怒り』というものを「真に怒るべきことのため」に、「ふさわしい方法」で、「正しいタイミング」に表現するように勧めているのです。  自分の『怒り』というものをしっかりとコントロールするためには、自分の心の中にある「傷やわだかまり」というものにしっかりと対処しておかなければなりません。これらのものはしばしば『怒り』をふさわしくない方法で表現させる引き金となります。またある人々は、「『怒り』を表現する」ということそのものを「悪いこと」と決めつけ、「表現できなかった『怒り』」を心の中に溜め込んでしまうことによって、かえって「自分自身」や「人々との豊かな人間関係」を台無しにしてしまうことがあります。  私たちをお造りになり、この地上に生み出してくださった『創造主なる神』は、私たちをこよなく愛し、私たちの『体』だけでなく、私たちの『心』のことを深く気にかけておられます。そして「あなたの『喜怒哀楽』の全てをわたしにぶつけていいんだよ」とおっしゃいます。このお方に全てをぶちまけることによって「スッキリした心」を保ち、平安な心をもって周囲の人々との豊かな関係を築いて行きましょう。

(553) “あなたこそ、私の内臓を造り、母の胎の内で私を組み立てられた方です。私は感謝します。”

 世の中には「素晴らしいもの」はいくつもありますが、その中でも最たるものがこの『人体の神秘』ではないでしょうか?  スマホに内蔵されたカメラは日々精度を上げていますが、未だに「私たちの肉眼」で捉える映像の比ではありません。それは私たちの網膜が毎秒100億もの識別活動を行っているからです。また私たちの『鼻』は、空気中を漂っている「1ミリグラムの百万分の1」のニンニクの匂いの成分を「1万種の異なった香り成分」の中から嗅ぎ分けることができます。  私たちの体を覆っている『体毛』は「髪の毛1本の1000分の1」の重みさえも感じ取ることができます。そしてまた私たちを形作っている1つ1つの細胞では「毎秒1兆もの化学反応」が起こっているのです!数えきれないほどの数量や確率を描写する時に『天文学的数字』という言葉を用いますが、正にそのような『天文学的な営み』が、毎瞬間私たちのこの肉体において現実的に起こっているのです。一体『人体』とはどれほどに驚異的な存在なのでしょう!  聖書は、この人体は「神の傑作品である」と述べています。私たちは日々「神の驚くほど偉大なみわざ」を身をもって体験しているのです。この『創造主なる神』をほめたたえずにはいられないと思いませんか?

(552) “キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、…人間と同じようになられました。”

 12月になりました。巷では『クリスマス・セール』のシーズンとなり、クリスマスツリー、その他のデコレーションで湧きたっています。そのこと自体はワクワクして良いと思うのですが、いつもこの季節に感じることは、単に「はしゃぐための口実」としてだけでなく、「そもそもクリスマスとは何なのか?」ということにも思いを馳せて欲しいなぁ、ということなのです。  クリスマスを「イエス・キリストの誕生記念日」として知っている人は少なくないと思いますが、これをもっと正確に表現するなら「神のひとり子が、人の姿をして地上に現れた記念日」と言えます。本来「物理的にも時間にも縛られていなかった方」が、我々と同じような『1人の弱い人間(赤ん坊)』となって私たちの間に住まわれた。これはある意味「人類の月面着陸」よりも遥かに偉大で驚くべき出来事です!  キリストは何故このようなことをされたのでしょう?それは「私たち人間の弱さや限界、痛みや苦悩を理解するため」、もっと言うなら、「神は私たちの弱さや苦悩を見て見ぬふりをする方ではない。共にそれらを味わってくださり、またそこから救い出してくださる方である」ということを私たちが信じることができるようになるためではないでしょうか?  私たちは、順境の時には神のことを忘れ、逆境の時には「神は私のことを見捨てた」と文句を言う、そんな自分勝手な存在です。しかしこのクリスマス・シーズン、私たちの心に近づくために「神としてのあり方を捨てて人となられたイエス・キリスト」のことを思い起こして欲しいのです。

(551) “あなたがたは神に愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を身に付けなさい。”

 あなたには「苦手なタイプの人」「いつも自分に意地悪をしてくる人」「『あの人さえいなければ私の人生ハッピーなのに…』と思えるような人」など、いわゆる『敵』とも呼べる存在の人がいるでしょうか?きっと誰にでも1人や2人はいるのではないかと思います。そういう人をこの世から抹殺するわけにはいきませんが、解決の方法はあります。それは「その人のことをよぉく知ること」です。  ちょっと想像してみてください。仮に私たちが、自分の『敵』の「これまでの隠された人生の足跡」を観ることができたら、その相手に対する印象がずい分変わると思いませんか?自分で好んで意地悪になったり、わざわざ人に嫌われるような生き方をする人はいません。それらの背後には必ず「人には言えない(または自分でも忘れてしまっている)幼児体験や心の傷」があるはずです。その人の意地悪は、その「心のうめき」が形になって外に現れてしまっているのです。もしそのような『心の痛み』の原因を探り当てることができ、その痛みに優しく寄り添ってあげられたとしたら、私たちの周囲から『敵』は徐々に減っていくのではないでしょうか。  「神様は、どうして善人も悪人も同じように愛せるのか?」と思っている方もいるかもしれません。恐らくその理由は、神様はすべての人の1日1日を見守っておられ、その生い立ちをも知っておられるからに違いありません。神様こそ、私たち1人1人を『良い作品』として形造り、この地上に送り出してくださった方なのです。その『神の作品』を歪めてしまうのはいつでも「この世の人間」、つまり私たちなのです。神様は私たちが、ご自身の作品を「損なう存在」ではなく「修復する存在」となることを望んでおられます。そのために神様は私たちの心の痛みをも汲み取ってくださり、時にあなたが他の人に「心無い言葉」を吐いてしまう時も、あなたの心に寄り添ってくださるのです。

2023年11月19日 「忍耐の源」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ      「忍耐の源」      (19/11/2023) [へブル人への手紙 10章32~39節] ◆私たちの戦い(32~35節)  ・この時代、ユダヤ人クリスチャンたちは多くの迫害を経験していた。それらはローマ帝国からの圧力だけでなく、同胞のユダヤ人からのものもあったが、かえってそれらの困難は『神の家族』の間での絆を強くしていたと言うこともできる。  ・私たちはこのNZや日本にあってはこのような「肉体的な試練」に直面することはあまりないが、霊的には「神か らしか受けることのできない祝福」というものを受け取り損ねているかもしれない。私たちが「神のわざを待ち切れ ないで、つい人間的な解決の方法に甘んじてしまう」のは、大きな『霊的損失』と言える。 <イェジュの証し> ◆なくてはならないもの(36~39節)  ・私たちの真の必要は「物や出来事(神のわざ)」ではなく、「神が顧みてくださっている」という内面的な確信。「試練そのもの」ではなく、その中で私たちをご自身の勝利に招き入れてくださる主イエスにしっかり結ばれいるべきである。[ヨハネ16:33b] 神が、時には私たちの祈りに応えて物質的な祝福を与え、時には祈りの答えを遅らせて私たちに試練を通らせるのは、どちらも私たちをご自分のみそばへと引き寄せるためなのである。[へブル12:7-8] ✰今週のチャレンジ: あなたの真の希望はどこにありますか? ◎更に深い学びのために  ①「肉体的な迫害」のない時代・場所で暮らしている私たちにとっての『試練』とは、どのようなものですか?  ②イェジュさんの証しを振り返ってみましょう。彼女の経験した「試練」また「勝利」とはどのようなものでしたか?  ③私たちの地上での「信仰の歩み」に切実に必要とされているものは、一体何でしょうか? Outline of the sermon      “Source of endurance.”      (19/11/2023) [Hebrews 10:32~39] ◆Our struggle.(Verses 32~35)  ・In those days Jewish Christians were facing persecutions from Jews as well Read more…

(550) “わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。”

 「聖書の中で最も大切な教えは何ですか?」と訊かれたら、恐らく多くの方々(私自身も含めて)は上記の1節を挙げるでしょう。イエス・キリストは地上での歩みの中で『神の愛』を具体的に表現され、そして私たちに「自分が愛されたように、人々に『愛』というものを表現するように」とおっしゃったのです。  私たちは「緊張感やプレッシャー」の中では、なかなか本来の実力を発揮できないものです。今までに一体何人のオリンピック選手が「国民の代表」というプレッシャーに押しつぶされて、本番の大舞台で本来の力を発揮できずに涙をのんだことでしょう。そして同様のことは、そのような大舞台だけではなく、日常生活の中、しかも私たちの身近で起こっているのです。  ほとんどの親たちは、自分の子供たちに成功を収めて欲しいと思っていることでしょう。ですから悪気はないのですが、知らず知らずのうちに「もっと頑張りなさい」とか「あの子に負けちゃダメよ」とか「どうしてこの前教えた通りにできないの!」などの声をかけ、子供たちに「負い切れないプレッシャー」を負わせてしまっています。しかし子供たちの力を伸ばし、「ここぞ!」という時に本来の実力を発揮させるには、そのようにプレッシャーを与えるのではなく、むしろ「失敗しても大丈夫。何かが出来ても出来なくても、あなたのことを大好きよ。」と安心させ、リラックスさせることが大切です。  子供についついそのようなプレッシャーを与えてしまうのは、恐らくその親自身がそのようなプレッシャーの中で育って来たからなのかもしれません。誰でも「自分が受けたもの」しか、他の人に与えることができません。「ありのままを受け入れてもらう経験」がなければ、自分の子供でさえも「ありのまま受け入れること」は出来ないのです。では、どうすれば良いのでしょう?私たちは誰のところに行けば、このようなプレッシャーから解放されることができるのでしょうか?  イエス・キリストはおっしゃいました。「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と。イエス・キリストは今日もあなたを招いておられます。彼はあなたがこの地で「本来の実力を存分に発揮して生きるため」に、不必要なプレッシャーを取り除いてくださいます。そしてまた、これが「誰かを愛する」ということの1つの具体的な表し方なのです。