2019年9月1日 「神の国の福音」

メッセージをダウンロードして聴く メッセージをダウンロードせずに聴く 説教あらすじ       「神の国の福音」      (01/09/2019) [マルコ1:14~15] ◆『神の国』がやってきた!  『神の国』 = 「神の主権が働いている場所」 ― この時点では、イエスご自身 ・イエスのおられる所に『神の国』があった。イエスはそれを運び続け、人々に示し続けた。イエスの許にいた 人々は『神の国』(力あるわざ、平安、愛)を体験できた。イエスはいつも(今も)「わたしの許に来なさい」と招く。 ◆神の国の福音  『福音』 = 「良い知らせ」 *神の主権の下に身を置く者は、例外なく「神の国の民(神の子)」とされ、キリストと共に 神の国の権威を行使することができる。(天に対しても、地に対しても) ユダヤ民族の失敗に学べ! ― 「教え」や「しるし」が中心ではなく、『神ご自身との関係』が最重要。 「聖書の教えを守ること」にいのちがあるのではなく、『イエスの内』に「みことばを成就するためのいのち」がある。 [ヨハネ5:39-40] ・『福音』は「死んだ後に天国へ行けるための良い知らせ」なのではなく、 「今も、いつも、そして永遠に神と共に生きることができる」という驚くほどの『良い知らせ』。 ✰今日の大切なひと言: 「イエスと一緒にいることが、天国」   Outline of the sermon       “Good news of His kingdom.”      (01/09/2019) ◆“The kingdom of Read more…

(353) “それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。”

ある人が亡くなったお祖父さんから古い柱時計を相続しました。毎日その柱時計を眺めているうちに、左右に振れる重たそうな振り子に目が留まりました。「こんな重そうな振り子は外してあげた方が良いのではないだろうか?」そう思ってその振り子を外してやると、何とその時計は数日後に止まってしまったのです。慌てて振り子を元通りにしたとたん、時計は再び元気に時を刻み始めました。『重荷』に見えたその振り子は、実はこの時計に無くてはならない『原動力』だったのです。 私たちは「人生には楽しいことだけが起こって、苦しいこと(重荷)なんか無ければ良いのに」と思いがちです。しかし実際は、苦難を多く乗り越えた人ほど「人生の深みや生きがい」というものを味わっているものです。子供を真に愛している親が、自分の子を単に甘やかせることなく、しばしば我慢を強いるように、私たちの『父なる神』は、時に私たちが苦難に直面することを許し、私たちを内面的に成長させようとなさるのです。 そして素晴らしいことに、この神は単に「苦しんでいる私たちのことを、ただ指をくわえて眺めている」のではなく、私たちと共にその苦難のただ中にいてくださり、私たちの涙や叫びの意味を理解し、そして最終的には必ずその苦難を乗り越えさせてくださるのです。

2019年8月25日 「悪魔に対する『神の子』の戦い方」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「悪魔に対する『神の子』の戦い方」      (25/08/2019) [マタイ4:1~11] ◆イエスが知っていたこと  ①人は決して悪魔に勝てない。 ②悪魔は決して御父に勝てない。[ローマ8:31] ③御父は「ご自身に全き信頼を置く者」を通してしか御力を現さない。[Ⅱ歴代誌16:9] *だからこそ、悪魔に対する唯一の勝利の道は、『神に対する従順』。[ヤコブ4:7] ◆悪魔の策略。(悪魔だって、みすみす負けるつもりはない!) ⇒ 「神抜き」で戦わせようとする。   ①「あなたが神の子なら・・・」。(私たちが「誤った『神の子』としてのイメージ」を持っていたら、たちまち打ち負かされる!) ・私たちは何か特別な「神の子パワー」によって勝利するのではなく、御父に完全に依存することによって。 ・イエスの備えは「御霊に導かれ、断食をして・・・」[マタイ4:1-2] ― 己の力に頼ろうとしなかった。   ②目に見える祝福・繁栄を用いて誘惑した。(悪魔は『人』のことも『神』のことも、私たち以上に良く知っている) ・多くのクリスチャンは「神との交わり」以上に「この世の目に見える祝福」を望む。これぞ悪魔の思うツボ![ヤコブ4:4-7] ・イエスは「目に見えるもの」ではなく、すべて「神のことば」と「御父への信仰の姿勢」によって対抗した。 *この世にあって、私たち『神の子』が保持しておくべきものは、たった1つ = 御父に対する全き信仰と従順 ✰今日の大切なひと言: 「敵は『人』や『出来事』ではなく、『神との交わり不足』」   Outline of the sermon       “The right way to resist evil.”      (25/08/2019) ◆What Jesus knew.  ①Man Read more…

(352) “神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。”

『世界恐慌』が起こった1929年に、あるジャーナリストがアパラチア山麓で生活する極貧の老女を訪問しました。彼女は地面丸出しの上に建っている小さな小屋で、水道も暖房もなく暮らしていました。彼が彼女に「もし誰かがあなたに少しばかりの経済的援助をくれたとしたら、まず何のために使いますか?」と尋ねると、彼女はしばらく思案したあげくに、こう答えました。「きっと、誰か貧しい人に寄付すると思います。」 自分が抱えている問題にばかり注目していると、私たちはしばしばその問題が必要以上に大きく思えて押し潰されそうになります。しかし少しだけ目を外側に向けて、もっと広い世界を見渡してみると、その問題が思ったよりもちっぽけであることに気づくのではないでしょうか?ある人はこんな言葉を残しました。「『オレはまともな靴を1足も持っていない』と愚痴をこぼしていたら、ある日『足が無い人』と出会った」。 多くの場合、『試練』というものは「物事の見方を変える」ことによってくぐり抜けることができます。アメリカの有名な漫画『スヌーピー』の1つの物語で次のようなものがあります。ある日のスヌーピーの夕食はいつものように『ドッグフード』でした。ふと家の中を覗いてみると、家族は感謝祭のお祝いの『七面鳥』を美味しそうに食べています。スヌーピーは思いました。「ボクはどうして『犬』になんか生まれたんだろう。おかげで感謝祭だっていうのに、ボクは七面鳥の代わりに、相変わらずドッグフードしか食べさせてもらえない・・・」 ところが少し経ってから思い直して、こう言いました。「でもやっぱり『七面鳥』に生まれていたよりもよっぽどマシだな!」 あなたが今直面している『試練』はどれくらい耐えがたいものでしょうか?もしかしたらそれはあなたにゾウのように重くのしかかっているかもしれません。しかしゾウもスカイツリーのてっぺんから見れば『ゴマ粒』のようにちっぽけです。ぜひ神様から「新しい視点」をいただくことによって、今抱えている試練の「本当のサイズ」を見極め、神様と人々との助けをいただきながら乗り越えて行ってください。

(351) “さあ、あなたがただけで、寂しいところへ行って、しばらく休みなさい。”

『責任感』と『罪責感』。文字は少々似ていますが、意味合いには大きな隔たりがあります。『責任感』というものは、自分の「使命・責任」に対して忠実であろうとする、生きる上で大変重要な正しい態度です。一方『罪責感』は、何かの出来事や誰かの存在に対する恐れに根差した「負い目」のようなもので、これが高じると私たちの人生を破壊しかねない危険な心情です。 『スピード社会』と呼ばれる現代。私たちは「能率性」や「効率性」そして時に「不眠不休」を要求されます。私たちが幼い頃は『過労死』などという単語はありませんでしたが、今や誰もが知っています。一体何故そこまでして、ノンストップで活動し続けようとするのでしょうか?それはもはや『責任感』によるものではなく、かえって『罪責感』(自分が休んでしまったら、同僚や会社に迷惑がかかる)という感情が働くからではないでしょうか? 神は私たち人間を「活動し続けるように」ではなく、「7日に1日は休むように」造られました。電化製品を「取り扱い説明書」にしたがって使わないと、やがて故障してしまうように、私たちも休みなく活動し続けたら故障してしまうのです。ですからイエス・キリストは、休みなく人々の世話をしていた弟子たちに「休みなさい!」と命じられました。また『罪責感』から私たちを解放するために、私たちの罪を身代わりに負って十字架で死なれたのです。 仕事への「やりがいや喜び」の故ではなく、会社や団体、また他の人からの「批判に対する恐れ」の故に無理に休みなく働き続けることは、もはや『責任感』ではなく、『罪責感』です。そのような『恐れ』に動機付けられて「質の良い仕事」をすることができるはずがありません。それは自分自身にとっても、社会にとっても益をもたらしません。 この前あなたが丸1日休んだのは一体何日前ですか?もしそれが1週間以上前であるならば、さあ、今から静かなところへ行って、ゆっくり休みましょう。

2019年8月11日 「試練のもたらすもの」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「試練のもたらすもの」        (11/08/2019) ◆『神の子』は試練を経験する [マタイ4:1] ・イエスは「御霊に導かれて」試練の現場へ ⇒ 「神のみこころに従っていれば、試練は無いはず」は誤り。 ◆神が私たちに試練を経験させるのは、「神の子たちに対する愛」のゆえ。 ①私たちの内面を鍛えるため [ヘブル12:5-8,ローマ5:3-5] ②更にご自身に引き寄せるため ・試練のただ中でなければ見ることのできない『主の御手』がある。[ヘブル2:18] *私たちは自分で試練に「勝利」する必要はない。『勝利者』は主イエスただ1人![ヨハネ16:33] 私たちに必要なのは、いつもこの「勝利者なるイエス」に信頼し、彼の許に留まっていること。[Ⅰヨハネ5:4-5] ・信仰を「この世の祝福の手段」と考えている人がいるが、かえって信仰が深まるほど生きにくい。[Ⅱテモテ3:12] だがそんな試練の中でこそ「共にいてくださる主イエス」をよりリアルに体験できる。[マタイ28:20,ヘブル13:5] ✰今日の大切なひと言: 「試練の中で、もっと主と近くなれる」   Outline of the sermon     “What the trials bring to us.”    (11/08/2019) ◆ “Children of God” go through temptations (trials). [Matthew 4:1] ・Jesus Read more…

(350) “あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。”

ある女性が花屋に2種類の花束を注文しました。1つは最近新しい場所に新店舗を開いた友人のため、もう1つは別の友人のお葬式に贈る花束でした。ところがあろうことか、花屋さんの手違いでこれらの花束がそれぞれ逆の送り先へと送り届けられてしまったのです!葬儀の場所で受付をしていた人が、届いた花束に添えられていたメッセージを読むと、こう書いてありました。「以前よりステキな新しい場所への移転、おめでとうございます!」 私たち日本人は『死』という話題を極端に避けたがります。数字の『4』は「し」と発音されるため『死』を想起させるので、病院やホテルに4号室が無かったりするほどです。しかし、イエス・キリストを救い主と受け入れた人々にとって『死』はもはや「恐怖」ではなく、むしろ「希望」とも呼べるべきものです。何故なら聖書は彼らに『天国行き』を約束しており、そこには「もはや悲しみも叫びも苦しみもない」と書いてあるからです。まさに「もっと良い新しい場所への引越し」なのです。 もちろん、イエス・キリストを信じて生きる者にとって「天国へ行けること」は全てではありませんが、この地上において神との関係の中に生き、後の世では「神が私たちのために特別に備えてくださっている、今よりもずっと素晴らしい場所へ行ける」、こんなステキな希望を抱いてこの世での終わりを迎えられるなんて、素晴らしいと思いませんか?

2019年8月4日 「御父の約束」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「御父の約束」        (04/08/2019) [マタイ3:13-17] ◆バプテスマの意義 [問1] ・イエスはバプテスマ(洗礼)を受ける必要があったのか? ⇒ No! [問2] ・では何故イエスはバプテスマを受けたのか? ⇒ すべての正しいこと(義)を行うため。 ・『正しいこと(義)』 = 神からズレていないこと。  「洗礼を受けること」は、その1つ。 結果はどうなった? ①バプテスマを受けた → ②聖霊が注がれた → ③神に愛され喜ばれている『神の子』としての認証。 *「イエスの見ていたもの」 = 周囲の群衆でもパリサイ人でもなく、「父の御顔 と 約束の成就」。 イエスはきっと喜び踊ったはず。「やっぱり御父がおっしゃっていたことは、本当だったんだ!」 ◆父の約束 [使徒1:4-5] [問3] ・どんな約束? ― イエスが「神のひとり子」として地上での生涯を全うして戻って来た時、イエスを信じる 者たちのためにも「神の子としての歩み」を可能にする『聖霊』を注ぐ。 ・この約束は使徒2章で弟子たちの上に成就した![使徒2:32-33] ・この時、間違いなく弟子たちも、マタイ3章でイエスが得たのと同様な確証を得たはず。 「私たちの天の父は、必ず約束を守るお方!」 ・そしてペテロは人々に確信をもって命じた。[使徒2:37-38] この命令は今日の私たちにも語られている! ✰今日の大切なひと言: ①悔い改め ⇒ ②バプテスマ ⇒ ③聖霊 ⇒ ④『神の子』としての生涯   Outline of the Read more…

(349) “イエスは彼に言われた。「良くなりたいか?」”

ある日イエス・キリストが神殿の中を散歩していると、38年もの間寝たきりで、人々の助け無しには生活できないでいる男に出会いました。表題の言葉は、その時にイエスがその男にかけた言葉です。あなたがその男だったら、どんな反応をするでしょうか? 答えは明らかなように思えますが、実際この男は体以上に心が病んでしまっていました。この病があまりにも長い期間続いたので「オレがこんなになってしまったのは、環境のせい、周囲の人のせい、世間の冷たい扱いのせい」のように感じてしまっていたのです。 私たちは皆人生において、少なくとも2つの責任を負っています。1つは「自分の態度に対する責任」、そしてもう1つは「自分の選択に対する責任」です。どんな人にも少なからず「嬉しくない出来事」が起こります。そんな時私たちは当然ガッカリしたり落ち込んだりしますが、もしその出来事から20年経った後も「あの時にあんな出来事が起こったばっかりに、私の人生はこんなになってしまった…」とクヨクヨしているとしたら、それはもはや『出来事そのもの』のせいではなく、『自分の選択』の結果なのです。何故こんなことが起こるのでしょう?それは『自分の態度』が「前向き」ではなく「後ろ向き」だから、すなわち「そのような出来事が自分の人生に起こった事を赦せないでいる」のが原因です。 私たちはしばしば『誰か』を赦せなかったり『起こった出来事』を赦せなかったりします。そして「赦さないでいること」によって自分を相手より優位においている気がしていますが、実際は『赦さないでいる相手の奴隷』になってしまっているのです。もしあなたが「赦せないでいる相手」が謝罪しに来てくれるのを待ち続けているとしたら、それは時間の無駄です! イエスはこの『38年寝たきりの男』に「起きて床を取り上げて、歩きなさい!」と命じられました。すると何と彼はすぐに治って歩き始めたのです。イエスは私たちの肉体的な病を癒すだけでなく、私たちの『誤った人生の方向性』をも矯正してくださる方なのです!