2012年8月19日 「神からの栄誉を求める人生」

メッセージをダウンロードして聴く  説教あらすじ      「神からの栄誉を求める人生」   (19/08/2012) [ヨハネ12: 37-43]    *神が私たちのために用意して下さっているのは「見たことも聞いたこともないようなもの」[Ⅰコリント2:9] ◆「神を見せてみろ!そうすれば信じてやる」と言う人々 ➝ 彼らは見ても信じない。何故なら、見たら具体的に従わなくてはならなくなるから。 「神は信じるが、イエスは信じない」という人も同じ。「見えない神」なら、自分の意のままに理想化できる。 ◆「神を信じる」とは?[ヤコブ2:19]   ・「悪霊たちの信仰」と「本物の信仰」は、どこが違うのか?➝ 「神のことばに従う」という明確な態度。     ◎『本物の信仰』=「たとえ、信じることによって自分の生活を変えなければならないとしても、信じる」 ◆イエスの時代のあやふやな信仰[42~43節] と、それに対するイエスの言葉[ヨハネ5:44]   ・「イエスを信じる」とは、単に『十字架における身代わりの死』という過去のわざを信じるだけでなく、「同じ情熱 と愛で、今日も愛してくださっている」 ことを信じる、ということ。神の愛は今日も変わらない。[ローマ8:32] ◆「神を信じているのに、なぜ試練に遭うのか?」➝ 答えは「神を信じているから」。   ・私たちがこの世で神以上に信頼しているものが奪われるとき、私たちは『試練』と感じるのではないか? ◆「それでは『信仰』よりも『行い』が大切なのか?」➝ むしろ逆。[ピリピ3:2-3]   ・イエスを見つめ、イエスに信頼し、イエスにトコトンついて行く人生に、真の自由・豊かさ・喜びがある!   ☆「神からの栄誉を求めて生きる者」となりましょう! Outline of the sermon    “To obtain the praise from God”   (19/08/2012) [John 12: 37-43]    *God has prepared the things which Read more…

2012年8月12日 「イエス十字架の真意」

メッセージをダウンロードして聴く  説教あらすじ      「イエス十字架の真意」   (12/08/2012) [ヨハネ12: 27-36]  ◆[27節] これはイエスが『(十字架の)時』を悟り、内面を言い表した言葉。 *なぜクリスチャンの間では「十字架」が重視されるのか? ➝ 神が与える「救いへの道」だから。本来私たちが受けるべき「罪に対する罰」をイエスが身代わりに受けてくださった。 ◎「イエスの十字架は、私たちのため」- 確かにその通り。しかし、その真意は他にある!  ①父なる神の栄光のため [28節]    ・神の栄光は「みことばの成就」によって現されるが、十字架は「神のご性質そのものの完全な現れ」。     神のご性質をひと言でいうなら『愛と義(恵みとまこと)』。この2つはイエスの十字架において完全に現された。  ②子なるイエスの栄光のため [23節]    ・①はイエスの従順によってのみ成就した。それ故彼には「すべてにまさる名」が与えられた。[ピリピ2: 8-9] ③サタン(この世の支配者)の敗北のため [31~32節]    ・サタンの戦略 = 人間を『自分(私)』に執着させることによって、神とのつながりを断つ。    ・私たちは、「神の支配下」か「サタンの支配下」のどちらか。 ④私たちの勝利(救い)のため [Ⅰヨハネ5:4-5]     ・「『私』ではなく、『イエス・キリスト』なのだ」と信じることによって。(「自分の基準」ではなく「キリストの基準」を選び取る) ◆[35~36節] ☆「人生の目的」はあなた自身の中にあるのではなく、あなたをお造りになられた神のもとにあります。 「暗やみ(サタンの支配)」から離れて、「神の光の中」を歩みましょう!     Outline of the sermon    “What is the cross of Jesus?”   (12/08/2012) [John 12: 27-36]  Read more…

(55) 目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に浮かんだことのないもの。

神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。 物事が順調に進んでいるときは、そうでもないのですが、壁にぶち当たって八方ふさがりに感じるとき、私たちはどうしても「神様に大きなことを期待する」ということがなかなかできないものです。結果として私たちは「妥協点」を見出すのに忙しくなり、その試練から神様が生み出そうとしている『大いなる産物』を受け取りはぐってしまいます。 聖書は私たちに問いかけます。「神に不可能なことが何かあろうか?」答えは当然『No』なわけですが、私たちの日々の人生に対する態度は、しばしばその逆を行っているのではないでしょうか? イエス・キリストは、十字架にかけられる前の晩、弟子たちに次のようにおっしゃいました。「もしあなたがたが、たった今私が言ったとおりに行うなら、その行いによって祝福されるのです。」 そうです、神の祝福の中を歩むには、彼のことばを信じて行うことが必要なのです。そしてしばしば、神は私たちの常識とは異なったことをおっしゃられるのです!なぜでしょう?それは、私たちがいつも自分が慣れていることばかりを行っているなら、私たちはいとも簡単に神様に信頼することをおろそかにしてしまうからです。 神は、人間が考え出したどのような法則よりも優れた方です。彼のなされることは、私たちの思いをはるかに越えています。あなたが今までどれほど多くの経験を積んできたとしても、神はそれにはるかに勝って偉大なことを、あなたを通して行うことのおできになる方です。ですから、ぜひ神に大いなることを期待しつつ、そのみことばに従っていきましょう。

2012年8月5日 「イエスのおられる所に」

メッセージをダウンロードして聴く  説教あらすじ      「イエスのおられる所に」   (05/08/2012) [ヨハネ12: 20-26]  *今日の箇所を理解するには、まず最後の節(26節)を理解しなければならない。 ◆[26節] 「わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。」   ・「イエスがいる所」とは? イエスはいつも私たちと共にいてくださるんじゃないの?[マタイ28: 20] ◆[マタイ28: 19-20]    ①「行って、あらゆる国の人々を…」      ・(イエスがなさったように)「自分のComfort Zoneを出て、今までの常識を越えて進んで行け」ということ。    ②「…弟子としなさい。…バプテスマを授け、…彼らを教えなさい。」      ・まず自分がイエスから受け、そしてそれをそのまま人々に与えていく。[Ⅰヨハネ2: 6]    ③「見よ。わたしは…あなたと共にいる。」      ・このように、イエスが辿られた道を私たちも進んで行く時、「確かにイエスも共におられる」と実感しながら 生きることができる。   ◎イエスがおられるのは「あなたのComfort Zoneの外」なのです。いや、彼こそ真の『Comfort Zone』。 ◆Pay forward.   ・神から預かっている物を、自分を祝福するためではなく、他の人々の祝福のために使う。= ここに主イエスが住まわれる。 *悪魔は、「自分を喜ばせることをあきらめた人」に対する攻撃の術を持たない! ☆私たちが信仰によって『イエスのおられる所』に踏み出す時、主イエスが共に働いてくださいます。   Outline of the sermon    “Stay where Jesus is.”   (05/08/2012) [John 12: 20-26]  *We have to Read more…

(54) これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。

手相占い、星占い、タロットカードなどなど、将来を占うために人間が考え出した方法は限りがありません。何故人はこうまでして未来を知りたがるのでしょうか?恐らくその最も大きな理由は、「人間は誰も1秒先のことも分からないから」ということに違いありません。一体これだけ科学が進んだ現代にも関わらず、どうして人間には未来を確実に知る術が解明できないのでしょう?それは、私たちを造られた神が、私たちがそれを知ることを許さないからです。神は、「未来を知ること」が、私たちに益をもたらさないことを知っておられるのです。 ちょっと別の角度から考えてみましょう。私たちはしばしば、自分の友人たちや周囲の人々を見回して、「どうしてあの人は持っているのに、自分は持っていないんだろう?」「どうしてあの人にはできるのに、自分にはできないのだろう?」などと考えるものです。確かにいくつかのものは私たち1人1人に「全く平等には与えられていない」と思えるものもあります。しかし、少なくともたった1つのものは、万人に平等に与えられています。それは『時間』です。どんなに忙しくしている人にも、どんなにサボっている人にも、1日には24時間しか与えられていません。そして神は私たち1人1人がこの与えられた24時間を「愛と知恵とをもって使う」ことを期待しておられるのです。過ぎ去ったことにいつまでもクヨクヨしたり、まだ起こってもいないことを当てにして先走りしたりせず、今目の前に与えられている『今日』という日を最大限に生かして、精一杯生きること、これが私たちが人生に向き合う本来の姿なのです。あなたが今与えられている『時間』や「今日という日」をどう使うか、それがそのまま「人生をどう使うか」に反映するのです。 『昨日』という日は、私たちにいくつかの教訓を与えてくれました。そして『明日』という日は、私たちがそれらの教訓を『今日』という日にどう生かすか、ということによって形造られるのです。ですから、こう祈りましょう。「神様、どうか『今日』という日を最大限に生き抜くことができるように、助けてください!」