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2012年9月23日 「イエスに倣う者」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「イエスに倣う者」      (23/09/2012) [ヨハネ13: 12-20] *先週は「見えない世界」のことだったが、今週は「よく見ること」について。 ◆[15節]-先週は「足を洗う」ことの隠された意味を見たが、今週は文字通り「イエスがした通りに行う」こと。 ・「子どもは親の『言うこと』は聞かないが、『すること』は真似する」と言われる。 子どもに「どう生きればいいの?」と問われて、「私を見ればいいんだよ」と言える親子関係は幸いである。 ◆「キリストに人生を賭ける生き方」の2つのカギ。  ①キリストが私たちをお選びになったのは、「キリストを見倣うことによって、他の人々の模範になる」 ため。 ・大切なのは「見られることを意識すること」ではなく、「ひたすらキリストを見、彼に倣うこと」。[Ⅰコリント11:1] ・私たちがイエスを見倣うべき『究極の模範』=[ピリピ2:5-8] 「自分のあり方を捨てることができないとは考えず…」    ②イエスが行った1つ1つの行為にどんな意味があるかを知る必要はない。[16~17節]     ・「イエスに信頼する」とは、単に「いつも守って、助けてくださる」と信じることではなく、「すべてにおいて彼を 模範にして生きていれば間違いない」と信じ、単純に「イエスが行ったように、行う」こと。     ・イエスは御父に信頼してそのように歩み[ヨハネ5:19]、同様にして私たちをも遣わされた。[ヨハネ20:21]      *イエスでさえ人々に拒絶されたのだから、人々が私たちの証の言葉を受け入れなくてもガッカリする必要   ない。[20節] 私たちの目標は「人々の注目を浴びること」ではなく、『イエスに倣う者』となること。 ◎私たちは「特定の働き」に召されているのではなく、「イエスを模範とする」ように召されている。 ☆私たちの周囲の人々(友人・家族・子供たち)が、私たちを通して『イエス』を見ることができるように、 聖書のみことばを通して、もっともっとイエスを「じっと見つめながら」歩みましょう!   Outline of the sermon    “Those who follow the example Read more…

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2012年9月16日 「足を洗われた者は、きよい」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ      「足を洗われた者は、きよい」   (16/09/2012) [ヨハネ13: 6-11] ◆イエスは「足だけ洗えば、全身きよい」と言われた。[10節] 『足』とは、この世との接点であり、全身を支えるもの。 ・「目に見える部分(行い)」だけを変えても無駄。『根(見えない部分)』を処理しなければ、きよくならない。 ◆では、私たちの『根(土台)』とは?= 「自分」 *私たちの判断基準はいつも『自分の益』-「どっちが得か?」「どっちが楽か?」「どっちが楽しいか?」など。   ・私たちはよく「しっかりしなさい!」と言うが、一体何を「しっかり」させるのか?= 『自分』 ◆カギは『自分』ではなく『キリスト』 [8節,Ⅰコリント3:10-11]   ・地震の時、私たちは「ゆるがないもの」を捜した。キリストこそ「ゆるがない土台」[詩篇16:8]   ・「キリストを土台に据える」とは、単に「キリストと共に生きる」ということではない。(➝ ユダの例:[11節])    「自分の目標」と「キリストの目標」のズレ。肝心なのは「自分のためのキリスト」ではなく「キリストのための自分」を見出すこと。 ◆キリストに人生を賭ける。[ルカ9:23-24 ➝ マタイ10:39]   ・「自分を捨てる」とは、「自分を嫌ったりさげすんだりする」のではなく、『真の自分』を見出すための投資。   ・女性が結婚に人生を賭けるのは、「愛されている」と確信するから。私たちがキリストに人生を賭けるのも同じ。   ・キリストが私たちを愛されたのは、私たちも同様に「愛する者」となるため。[Ⅰヨハネ3:16]    私たちが愛せないのは、「愛がないから」ではなく、『自分』が妨げているから。 ☆あなたはイエスに、あなたの『足』を差し出しますか? Outline of the sermon    “A person whose Read more…

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(58) 外部の人に対して賢明にふるまい、機会を十分に生かして用いなさい。

私たちの人生で「最も貴重なもの」といえば、それは『時間』でしょう。1度失われた時間は、2度と取り戻すことはできません。これだけ便利でスピードの増した時代は、過去にはなかったはずなのに、相変わらず私たちは「時間が足りない!」と言う。これは一体どうしたことでしょうか? たった1度しかない人生を有意義に過ごすには、何としてもこの『時間』というものを正しく使わなければなりません。すなわち「決して取り戻すことのできない『時間』というものを、より有意義に使う」ということです。では、どんな時間の使い方が『有意義な使い方』なのでしょう?私たちは10年後に『もっと優れた自分』になっているために、どんなことに多くの時間を費やすべきなのでしょう?それは『豊かな関係作り』と『優れた本を読むこと』です。そしてまず初めに私たちが読むべき書物、それが「人生のマニュアル」とも呼ぶべき『聖書』なのです。「あ~あ、今日も時間がないから、聖書を1ページも読む時間がない…」と言ってあきらめないで、半ページでも、3行でもよいから「少しでも目を通す」習慣をつけましょう。「塵も積もれば山となる」と言いますが、1週間全く聖書を読まなくなるところだったのが、気づいてみれば2章も3章も読めた、ということになるかもしれません。 オズワルド・サンダースという人が、『時間の有効利用』について、次の3つのポイントを指摘しています。 ①「時間の漏れをなくす」:時間の計算をするときに『何時間単位』で計るのではなく、『何分単位』で数えるようにする。10分刻みの時間を大切にするよう心がけたら、おのずと1時間ごとの時間を無駄にすることはない。 ②「優先順位をはっきりさせる」:多くの時間が『2番目以下に大切なこと』に費やされている。そのため『最も大切なこと』に使われる時間が足りなくなり、私たちの生活を破壊する。これは「目に見えるもの」にばかり振り回されて、最も大切な「目に見えない、内面的なこと」をおろそかにすることと同じである。 ③「計画的に行動する」:計画無しに行動することは、「失敗の計画」を立てているようなものである。状況にばかり流されているなら、何も成し遂げることはできない。「私が今日成し遂げるべきことは何でしょう?」と神に尋ねながら、日々を進んでいくべきである。 あなたの今日の歩みが、10年後の「より優れたあなた」へと導きますように。

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2012年9月9日 「イエスの愛の示し方」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ      「イエスの愛の示し方」   (09/09/2012) [ヨハネ13: 1-5]  *『限られた命』と宣告されたら、あなたはどうしますか? ◆[1節] イエスはその愛を残るところなく(最後まで)表現された。-今まで同様に… ・イエスは『限られた命』を、「目に見えるもの(やがて失われるもの)を蓄えること」に費やすのではなく、「愛する ことによって、他の人々の人生にインパクトを与えること」のために費やした。 ◆イエスはどのように「愛を示された」のか? ①父なる神との関係において [3節]   ・イエスにとって「愛する」とは、「人々との相互関係」ではなく、父から出て、再び父の許へ帰る者としての 「置き土産」のようなものだった。それ故、人々からの見返りを何も必要としていなかった。彼は「御父と の愛の関係」の中にこそ、何ものにも換えがたい満足を見出していたのである。     ②人々の態度に関わりなく [2節]       ・イエスがご覧になるのは「What we do」ではなく「Who we are」。「神によって造られ」「神に愛され」 「自分のいのちを代価として支払う対象」である私たち。     ③具体的な行動が伴う [4~5節](感情ではない) *Love is Action.(『恋』は名詞、『愛』は動詞)       ・神は私たちを愛しつつ、ただ御座にすわっているだけの方ではない。私たちの必要のために、ただ 「何が最善かを考えるだけ」の方ではなく、まず「自分自身をささげた」。[マルコ10:45] ◆この章の終わりにイエスは、「わたしがあなたがたを愛したように…」と言われた。   ・ただ形だけを真似てもダメ。まず父なる神との関係の中で、真の満足を見出さなくては不可能。その上で、 神がご覧になるように人々を見、彼らの必要のために喜んで自分をささげていく者としていただこう。   Outline of Read more…

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2012年9月2日 「選ぶのは、アナタ」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ      「選ぶのは、アナタ」   (02/09/2012) [ヨハネ12: 44-50]  *ここでイエスは、2つのことを言っている。 1 イエスは道を示すために来た。しかしチョイスは私たちに委ねられている。[46~48節] ◆イエスは光 [46節] ・イエスは『真理のみことば』によって暗やみを照らし、何が正しいのかを示された。 ◆「さばき」を選ぶのは、自分 [48節]    ・イエスは私たちに「救いのチャンス」を与えるために来られたのであり、「さばくため」ではない。しかし私たち には『選択の自由』が与えられている。神は「すべての人が救われることを望んでおられる」[Ⅰテモテ2:4]が、 あくまで私たちの「自由意志による選択」を尊重される。[申命記30:19] 2 あなたを通して神のわざが現されるために必要なのは、能力や努力ではなく、神への素朴な忠実さ。 ◆ここでイエスが言っておられるのは…                               [44~46,49~50節]    ・イエスは自らの意志で「自分の願うところではなく、自分を遣わされた父なる神の願いを忠実に行うこと」を選 んだ。私たちも『自分の都合や好み』ではなく、神の言われたことをそのまま受け取り、実行するなら、そこに 神のみわざが起こる。 ◆[詩篇145:17~19] ☆今日も神はあなたの手の届くところにおられる。彼の「祝福といのち」に 満ちた人生を歩むかどうか、それはあなたのチョイスにかかっている。   Outline of the sermon    “It is Read more…

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(57) それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

ある辛抱強くない男が、ある時神様にこんな祈りをしました。「神様、ボクは『待つ』ということができません。こんなことでは、立派な大人になることはできません。ですからお願いです。どうかボクに『忍耐』を与えてください。それも、今すぐに!」 …きっと神様は、たっぷり時間をかけて、このお祈りに答えてくださることでしょうね。 さて、私たちはどのようにしてこの『忍耐』というものを学ぶのでしょうか?それは、『試練』を通してです。善意が報われなかった時、重労働に見合った賃金がもらえなかった時、人に親切にしてあげたのに、お礼も言ってもらえなかった時、そしてあなたの愛の労苦が拒絶された時…。このような時にこそ、あなたのうちにある『忍耐』が真に輝くのです! このような実例は、子どもの成長のプロセスにおいて、顕著に見受けられます。親の過保護に取り巻かれ、苦労らしい苦労を知らずに育った子どもは、大志や勇気を持てず、失敗に簡単にくじけてしまいがちです。しかし逆に、幼い頃から数々の挑戦や試練を乗り越えてきた子どもは、やがて逆境の中でも新たな道を切り開いて行くことができるようになります。 実はこの法則は、イエス・キリストを信じて生きる私たちにもあてはめることができます。ある人々は、「クリスチャンになったらすべての問題が解決される」と勘違いするようですが、それはむしろ逆です。この世は悪魔の支配下にありますから、神に忠実に生きようとすればするほど、試練が増します。しかし、神はそれらの試練によって、ご自身の『子ども』とされた私たちを「滅ぼそう」としておられるのではなく、かえって『忍耐』と『練られた品性』に満ちた、「神の子ども」と呼ばれるにふさわしい大人へと整えられるのです。

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(56) 闘技をする者は、あらゆることについて自制します。

彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。 ある人が次のような言葉を残しました。「疑う人々の中で、信じる者となりなさい。時間を浪費している人々の中で、計画を立てる者になりなさい。ノロノロしている人々の中にあって、決断を下す者になりなさい。夢見てばかりいる人々の中にあって、備えをする者になりなさい。先延ばしにしている人々の中にあって、動き始める者になりなさい。願望にすがっている人々の中にあって、行動を起こす者になりなさい。無駄遣いをしている人々の中にあって、蓄える者になりなさい。おしゃべりをしている人々の中にあって、耳を傾ける者になりなさい。しかめつらをしている人々の中にあって、微笑む者になりなさい。途中であきらめている人々の中にあって、最後までやり遂げる者になりなさい。」 『人生の勝利者』として生きるために、次の3つのことを心に留めておくと良いでしょう。 1.思い切って始めること。 ・当たり前に聞こえますが、何と多くの人々が、スタートラインでモタモタしていることでしょう!「だって、まだ状況が整っていないから…」 しかし神は「信仰によって歩みなさい」とおっしゃったのです。もし神があなたと共におられるなら、それは既にすべてを持っていることと同じです。神の招きを感じたならば、ためらうことなく初めの1歩を踏み出しましょう。 2.目の前のことに全力を尽くすこと。 ・オリンピックの『高飛び込み』の選手をご覧になりましたか?彼らは、次の飛び込みの余力を残すために、今これからの飛び込みを手加減したりはしません。1回1回の演技に全力を尽くすことで、1歩1歩金メダルに近づいていくのです。決して「そこそこ」の程度に満足しないようにしましょう。 3.途中であきらめないこと。 ・1992年のバルセロナオリンピックでの出来事です。陸上の400m走に出場したイギリス代表の「レッドモンド選手」は、レースの途中でアキレス腱を断裂してしまいました。他の走者たちが通り抜けていく脇でのたうち回っている彼を見かねた彼の父親は、涙ながらに応援席を飛び出して彼に駆け寄り、痛みに顔を引きつらせる彼に肩を貸して、一緒にゴールまで完走したのです。その時、スタンドの群衆は、先頭でゴールインした選手に対してよりもはるかにまさった歓喜の拍手喝采を、レッドモンド選手に送ったのです。彼は金メダルよりもずっと価値あるものをこの時手に入れたのでした。 あなたも、神が用意してくださっている栄冠を手に入れたいですか?さあ、何をグズグズしているのですか!

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