(75) “なまけ者は欲を起こしても心に何もない。しかし勤勉な者の心は満たされる。”

並外れている人物のことを、英語で「エクストラ・オーディナリー」と言います。この『オーディナリー』とは「ありふれている、どこにでもいる」という意味であり、『エクストラ』というのは「ちょっとした付け足し」のことです。すなわち『並外れた人物』と『ありふれた人』との違いは、「ちょっとだけ余分な努力をするかしないか」の違いだという訳です。 上記の聖書の言葉にある「勤勉さ」とは、「熱心さ」「正直さ」「しつこさ」そして「より優れたものを目指す努力」を指します。ある専門家は次のように言いました。「何かに成功するためには、他の人より100%勝っている必要はない。むしろ、あらゆる部門で他の人より1%勝ってさえいればよいのである。」 つまり、いつも次のように自問自答することが大切です。「あと1ついつもより余分にできるとしたら、それは何だろう?」 ウィリアム・アーサーは次のように書きました。 「『所属するだけ』よりも、むしろ『参加する者』でいよう。『気を配るだけ』よりも、むしろ『手を差し伸べる者』でいよう。『信じるだけ』よりも、むしろ『実践する者』でいよう。『公平を図るだけ』よりも、むしろ『親切な者』でいよう。『赦すだけ』よりも、むしろ『忘れてあげる者』でいよう。『夢見るだけ』よりも、むしろ『行動を起こす者』でいよう。『教えるだけ』よりも、むしろ『奮い立たせる者』でいよう。『教わるだけ』よりも、むしろ『心豊かな者』でいよう。『与えるだけ』よりも、むしろ『仕える者』でいよう。『生きるだけ』よりも、むしろ『成長する者』でいよう。『苦しむだけ』よりも、むしろ『克服する者』でいよう。」 「できるだけ楽をして、しかも成功を収めること」はできません。ちょっとの犠牲、もう1歩の努力が違いを生むのです。