(160) “わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。”

先週末は世界中である1つのことが盛大に祝われました。何のお祭りだかご存知ですか?それは『イエス・キリストの復活祭』です。一般に『イースター』と呼ばれています。 イエス・キリストが十字架刑で殺されたことは有名です。この史実を疑う人はあまりいないでしょう。聖書によると「彼は私たちの背きの罪のために刺し通された」と描写されています。すなわち、本来私たちが自分の罪(神に対する不遜な心)のために神の罰を受けるはずであったのを、キリストが身代わりに受けてくださったのです。しかしこの『十字架上での死』以上に重要なのが、「イエスがよみがえられた」という事実です。聖書によるならば、彼は十字架刑(金曜日)から3日目(日曜日)によみがえって墓から出て来られ、数百人の人々の前に姿を現したそうです。 私たちの多くは「『死』とは人間の人生の最後の最後である」と考えています。すなわち「死の向こうは『無』なのだ」と。と同時に私たちは、親しい人が死んでしまった後、しばしばこんなことを言ったりします。「彼(彼女)は我々の心の中にいつまでも生きているんだよ。」しかしイエスは「心の中」ではなく、現実的に見える形でよみがえられ、私たちに『死の向こう側にある希望』を与えてくださったのです。 次は聖書の1節です。「罪から来る報酬は死です。しかし神のくださる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」私たちは皆「真の神を神と認めない罪」のために『死』に定められていますが、「イエスがその罪を自分の代わりに負って死なれ、またよみがえって下さった」と認め、今までの不信仰な生き方から方向転換して「神に信頼して生きる新たな生き方」を始めるならば、もはや『死』は人生の終わりではなく、単なる『永遠のいのちへの通過点』に過ぎなくなるです。