(227) “人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。”

日本人の持つ特徴の1つに『恥の文化』というものがあります。人前で恥をかくことを嫌いますし、誰かに人前で恥をかかせるようなことは、最も避けるべきことの1つと考えられています。そしてそれが日本人の1つの美意識にさえなっているのです。そのことを卑下するつもりは毛頭ありませんが、この「恥を恐れる」という意識が私たちの人格的な成長を抑制することがあるのも事実です。 私たち家族の昔からの合言葉に『ラーニング・イクスピアリアンス(失敗から学ぶ)』というものがあります。すなわち、「失敗を恐れる故に新たなことに挑戦するのを避けるよりも、失敗を繰り返しながら学んでいこう!」というわけです。私たち家族は、末息子が生まれてまもなく海外での生活が始まりました。フィリピン、オーストラリア、パプアニューギニア、バヌアツ、そして現在のニュージーランドと太平洋周辺を転々としました。というわけで、しばしばその地域での生活習慣に対する無知の故にとんでもない失敗を経験してきました。当然初めの頃は「恥ずかしい、もう嫌だ!」とか、「サッサと日本へ帰ってしまおう!」などと弱気になったものですが、失敗を繰り返すうちに徐々に開き直れるようになり、「全く生活習慣の違う国から来たのだから、失敗するのは当たり前。クヨクヨするのはやめて、同じ失敗を何度も繰り返さないように学んでいけば良い」と考えられるようになりました。するとそのうちに、私たちの失敗を見て笑っている人々は、決して私たちを「あざ笑っている」のではなく、全く異なった生活習慣の中で一生懸命適応しようとしている私たちに対して「好意を示している・受容してくれている」ということが分かってきました。そうして周囲の人々と共に自分たちの失敗を笑い飛ばせるようになったのです。 失敗を恐れる人は、他の人の失敗に対しても寛容になれません。しかし失敗を繰り返し、それを周囲に受け入れてもらうことを経験することによって、私たちは他の人々の失敗を責めるのではなく、かえって『一歩前進』と見ることができるようになりました。そして私たちの神様も「私たちの失敗をいちいち咎める方」ではなく、幼子が転びながら歩き方を覚えて行くのを見守るかように、「ドンマイ、ドンマイ。何度失敗してもいいよ。もう1度立ち上がって歩き出してごらん」とおっしゃるのです。

2016年9月18日 「祈りにおける成長」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「祈りにおける成長」      (18/09/2016) ◆もっと何かあるはず…   ◎ある英語の賛美の1節:“I just know there is more of You!” ・「クリスチャンとしての歩みには、もっと何かあるはず」と思ったことはないか? 言い換えれば、今の自分の日々の歩みで「神様なしでもできるもの」を除いたら、何が残る? ・私たちが日常生活の中に「神ご自身に介入していただく」ためのカギ = 『祈り』における成長。 ◆『祈り』とは? ― 祈りの4段階 [ヤコブ4:2-4] ①欲しいものを神様におねだりする。 ②自分のこの世での必要のために求める。   これらは結局「この世での生活に適応するため」に過ぎない! ③他の人々の必要のためにとりなす。 ④神がこの世にもたらそうとしているものを呼び込む。 ・実は神はすでにこれらのものを私たちにお与えになった。[エペソ1:3] ・私たちは「キリストとの共同相続人」とされている。[ローマ8:16-17] しかし「この世と歩調を合わせて生きること」に慣れすぎていて、その豊かな財産を体験できないでいる! ◆新しい価値観 = 『神の国』の価値観 [コロサイ3:1-10] ・私たちは既にキリストとともに『天の座』についている。[エペソ2:4-6]    『究極の祈り』とは、「神に向かってお願いする」というよりは、むしろ   「キリストとともに立ち、御父から既に受け継いでいるものを聖霊によって用いて行く」ためのもの。   Outline of the sermon         “Grow in Prayer.”         (18/09/2016) ◆There must be something Read more…