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日本人の持つ特徴の1つに『恥の文化』というものがあります。人前で恥をかくことを嫌いますし、誰かに人前で恥をかかせるようなことは、最も避けるべきことの1つと考えられています。そしてそれが日本人の1つの美意識にさえなっているのです。そのことを卑下するつもりは毛頭ありませんが、この恥を恐れる」という意識が私たちの人格的な成長を抑制することがあるのも事実です。

私たち家族の昔からの合言葉に『ラーニング・イクスピアリアンス(失敗から学ぶ)』というものがあります。すなわち、「失敗を恐れる故に新たなことに挑戦するのを避けるよりも、失敗を繰り返しながら学んでいこう!」というわけです。私たち家族は、末息子が生まれてまもなく海外での生活が始まりました。フィリピン、オーストラリア、パプアニューギニア、バヌアツ、そして現在のニュージーランドと太平洋周辺を転々としました。というわけで、しばしばその地域での生活習慣に対する無知の故にとんでもない失敗を経験してきました。当然初めの頃は「恥ずかしい、もう嫌だ!」とか、「サッサと日本へ帰ってしまおう!」などと弱気になったものですが、失敗を繰り返すうちに徐々に開き直れるようになり、「全く生活習慣の違う国から来たのだから、失敗するのは当たり前。クヨクヨするのはやめて、同じ失敗を何度も繰り返さないように学んでいけば良い」と考えられるようになりました。するとそのうちに、私たちの失敗を見て笑っている人々は、決して私たちを「あざ笑っている」のではなく、全く異なった生活習慣の中で一生懸命適応しようとしている私たちに対して「好意を示している・受容してくれている」ということが分かってきました。そうして周囲の人々と共に自分たちの失敗を笑い飛ばせるようになったのです。

失敗を恐れる人は、他の人の失敗に対しても寛容になれません。しかし失敗を繰り返し、それを周囲に受け入れてもらうことを経験することによって、私たちは他の人々の失敗を責めるのではなく、かえって『一歩前進』と見ることができるようになりました。そして私たちの神様も「私たちの失敗をいちいち咎める方」ではなく、幼子が転びながら歩き方を覚えて行くのを見守るかように、「ドンマイ、ドンマイ。何度失敗してもいいよ。もう1度立ち上がって歩き出してごらん」とおっしゃるのです。

Categories: 聖書

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