2024年2月18日 「モーセの信仰による選択」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「モーセの信仰による選択」   (18/02/2024) [へブル人への手紙 11章23~28節] ◆『モーセ』という人物  ・『モーセ』は聖書の中でも特別に選ばれた人物。[出エジプト33:11] 彼は神の不思議な御手によって「パロの娘の子」として王宮の中で育てられたが、同胞であるイスラエルの民が迫害されているのを見て耐えられなくなり、王宮を去った。(24~25節)  ・「モーセが王宮に残っていた方が同胞を救うのに有利だったのでは?」とも考えられる。今日は、この「モーセの選択」から、『信仰と選択』というテーマで学んで行こう。 ◆「信仰によって選ぶ」とは?(26~27節)  ・アブラハムが「ひとり子イサク」をささげようとしたことが「主イエスの贖い」を彷彿とさせるように、モーセがイスラエルの民を救うために王宮を去ったことが、主イエスが何不自由ない御国から「人となって地上に来られたこと」を思い起こさせる。これがモーセの『信仰による選択』。  ・モーセは「目に見えない方を見るようにして」同胞たちと苦しみを共にした。肉体的には苦しくても、彼の内側は「全地を祝福するための『神の選びの民』を危機から救い出す」という使命感に燃えていたに違いない。  ・今日の『信仰による選択』というものを踏まえて、以前の『信仰の定義』を次のように言い換えることができる。⇒ 「まだ見ていない『神の約束の成就』を確信して、日々『神の民としての選択』をすること」 ◎更に深い学びのために  ①モーセの人生と、主イエスが「人となって地上に来られたこと」との間には、どんな共通点が見出せますか?  ②26節に書かれている「与えられる報い」とは、どんなものだと思いますか?  ③この地上での歩みにおける『神の民としての選択』には、どのようなものがあると思いますか? Outline of the sermon  “Choosing by faith like Moses.”  (18/02/2024) [Hebrews 11:23~28] ◆Who “Moses” is like?  ・“Moses” is a “special chosen person” in the Bible. [Exodus 33:11]  Though He was raised in the Read more…

(561) “イエスは言われた。「あなたがたの信仰の通りになれ!」”

 「幸福な人」と「そうでない人」とは、どう違うのでしょう?「お金や財産をたくさん所有しているかどうか?」「たくさんのことを知っているかどうか?」「多くの友人や家族に恵まれているかどうか?」もしそうだとしても、『多い』と『少ない』との線引きはどうやってするのでしょうか?『幸福な人』とみなされている人々でも、すべての点で成功し、あらゆる物を豊かに持っており、何でも知っているわけではありませんよね?  『幸福感』というものは、実はその人が「物質的・環境的に恵まれているか否か」とはあまり関係がありません。むしろその人の「人生に対する態度」に大きく関係があるのです。聖書は、「人とは、その人が『自分のことをどういう人間と考えているか』によって形造られるものだ」と教えています。  もちろん「人生に対する正しい態度」を持っていたからといって、全ての事がうまく運ぶわけではありませんが、「悲観的な態度」で取り組んだ場合よりも、間違いなく良い結果を生むでしょう。「幸福感に満ちた人」は、必ずしも『全ての良いもの』を持っているわけではありませんが、少なくとも「全てのものの良い点」を見出すのに秀でているのではないでしょうか?すなわち、他の人には喜べないことを喜ぶことができる術をわきまえているのです。  医者たちに「病気に対する『態度』は、あなたの患者の回復に影響がありますか」と尋ねたら、どんな答えが返って来るでしょう?また教師たちに「勉強に臨む『態度』は、あなたの生徒の成績に影響があるでしょうか?」と尋ねたら、どのような答えが返って来るでしょうか?間違いなく、「とても大きな影響があるに決まってますよ!」と答えるでしょう?  私たちは『神の作品』です。神は私たちを「豊かな人生を生きるように」とお造りになったのです。私たちが「正しい、積極的な態度」で人生に臨むなら、私たちは神の助けを体験できるでしょう。さあ、今日も張り切って前を向いて進みましょう!

2024年2月11日 「信仰によって祝福する」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「信仰によって祝福する」   (11/02/2024) [へブル人への手紙 11章20~22節] ◆信仰は試練によって精錬される  ・アブラハムの子孫たちは、その信仰のゆえに数々の試練に直面した。イサクは父親に殺されかけ、ヤコブは兄に命を狙われ、異国の地に逃げるが、そこでも叔父からひどい扱いを受けた。ヨセフの生涯はまさに「神に忠実に歩むがゆえに受ける苦難」に満ちていた。しかし神は常に彼と共におられ、彼を「来たるべき日」のために練られた。彼は、アブラハムへの預言と約束を固く信じ、自分の遺体の処遇について命じた。[創世記15:13-14]  ・「神を信じていれば、問題のない人生を送れる」などとは、大きな誤解である。神は私たち1人1人の人生にご自身のご計画を持っており、その成就のためにしばしば私たちを「試練によって」整えるのである。 ◆「祝福するため」に召されている  ・アブラハムの子孫たちが行った「1つの信仰の行為」として、ここでは「子供たちを祝福した」ことが述べられている。親たちには「子供たちを祝福する」という大切な使命が与えられている。私たちは、たとえその人生が試練に満ちていたとしても、不平や愚痴をこぼすのではなく、「祝福するため」に召されている。[Ⅰペテロ3:9]  ・「神に選ばれた者」としての私たちの第1の使命は『祝福すること』である。[創世記12:1-3] 神はご自身のご計画を成就するために、イエス・キリストにあって私たちを選び、永遠のいのちの祝福を与え、時には試練によって私たちの信仰を精錬し、私たちを通して『全世界を』ご自分の祝福で満たそうとしておられるのである。 ◎更に深い学びのために  ①アブラハムの子孫たちが経験した試練、また祝福を確認してみましょう。彼らはそれらにどう対応しましたか?  ②神は「信仰によって歩む人々」を、どうして『試練』にあわせるのでしょうか?  ③今までに自分が経験した「試練と祝福」を分かち合いましょう。そこに神様のどのような御手が見出せますか? Outline of the sermon  “Be a blessing by faith”  (11/02/2024) [Hebrews 11:20~22] ◆God tests our faith.  ・God tests our faith to make it pure and stronger.  No exceptions.  Isaac was almost killed by his dad.  Read more…

(560) “選り抜きの黄金よりも、知識を受けよ。”

 人生に対する態度の中でも最も重要なものの1つは、「常に学ぼうとする姿勢」ではないでしょうか?「自分はもう十分知り尽くした。もはや新しく学ぶべきことは1つもない」と言うなら、その人はそれ以上成長する機会を逸しているのです。  ローマ時代の学者であった『マルクス・ポルキウス・カトー』は、80歳になってからギリシャ語を学び始めました。周囲の人々から「何故その年になってギリシャ語を?」と尋ねられると、彼はこう答えたそうです。「だって『今』が残された生涯で1番若い時じゃないか!」  多くの人は『学ぶ』ということを「人生のある期間に限られた1つの行為」と考えているようですが、実は『学ぶこと』というのは「生涯にわたる営み」なのです。ある調査によると、学校を卒業した『大人』のたった3分の1だけが、卒業後に最低1冊の本を読み通すそうです。何故なのでしょう?それは、多くの人が『学習』というのは「学生のためだけの営み」であって、「より良く生きるための道」とは思っていないからです。  「肉体はある年齢を過ぎると徐々に衰えて行くけれど、精神は『生きる態度』に比例して成長し続ける」ということが科学的に証明されているそうです。つまり「精神的に成長し続けるかどうか」は、「私たちが『学ぼう』としているかどうか」にかかっているというわけです。『精神的成長』は、私たち自身の『選択』によるわけです。  私は60歳を過ぎましたが、毎朝毎晩『聖書』をじっくりと読み、黙想します。そして私は自分の『思い』が日々強められていることを実感しています。「神は私を喜んでいらっしゃる。神はこの世界のために、まだ私を必要としていらっしゃる。」 そんな思いが私の心に湧いてきます。私たちはこのように、生きている限り『成長すること』を選び続けることができるのです。

2024年2月4日 「アブラハムが見ていたもの」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ  「アブラハムが見ていたもの」  (04/02/2024) [へブル人への手紙 11章17~19節] ◆神は約束を守る方  ・アブラハムは「信仰によって」、子孫が増え広がるという神の約束の成就を待ち続け、百歳になった時にようやく「ひとり子イサク」が与えられた。これだけでも驚くべき信仰だが、神は彼を更なる信仰の深みへ招こうと、「次なる試練」を用意しておられた。[創世記22:1-2]  ・思わずも「危機違いでは?」と疑ってしまうような命令。しかしアブラハムはこれに黙々と従った。何故?恐らく彼は「神は真実であり、ご自分の約束を必ず守る方。ご自身に『約束破り』などという汚名を決して着せることはな  い」と信じたに違いない。そして神は見事に、彼のそんな信仰にお答えになった。 ◆「人類の贖いの日」を垣間見たアブラハム  ・アブラハムが味わった「神ご自身の啓示」は、それだけではない![ヨハネ8:56] ここで主イエスは一体アブラハムが何を見たと言っているのだろうか?そのカギはアブラハムとイサクとの会話の中にある。[創世記22:6-8]  ・もちろんここでアブラハムが指しているのは単に「別の全焼のささげ物」ということだろうが、主イエスは、アブラハムは啓示によって「遠い将来に同様にささげられるであろう『永遠のささげ物』をも見ていた」というのである!  ・神は、ご自分に全身全霊をもって信頼する者に、「通常人には知り得ないような奥義」を啓示してくださる。このような『神との親密な関係』を求めて、この新しい年も心を尽くして主を求めて行こう!⇒ 〈Ⅰコリント2:9〉 ◎更に深い学びのために  ①この「アブラハムがひとり子をささげようとした記事」を初めて読んだ時、どう感じましたか?  ②神はアブラハムに、何故このような命令を与えたのだと思いますか?  ③神がこの時のアブラハムに、また今日の私たちに求めておられるものは何でしょう? Outline of the sermon  “What was Abraham seeing?”  (04/02/2024) [Hebrews 11:17~19] ◆God never fails to keep His promise.  ・We are amazed of Abraham’s faith waited for 25 years until he became 100 Read more…

(559) “あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。”

 『信仰』と聞くと、どんなイメージを持たれるでしょうか?「強い信念のようなもの」とか「人生に対する偏った考え方」、あるいは「本当は無いものを、あるものかのように信じ込むこと」などのように考える方もおられるかもしれませんね。  私なりの理解に基づいて言わせてもらうなら、『信仰』というのは言わば「神の様々な恵みや祝福に対する、私たちの応答のかたち」です。ある人たちは、それらの祝福を「神から与えられているもの」として、神に感謝をささげ、受け取ったそれらの祝福を人々の益のために用いようとします。一方、ある人々は神の存在を認めようとせず、それらの祝福を「当たり前のもの」とみなし、誰に感謝することもなく、単に自分のために独り占めしようとします。これらはそれぞれその人の『信仰』を表現しているのだと思います。  ある意味、『信仰』は私たちの日々の『選択』に現れます。ご存知のように、人生は『選択』の連続です。「何時に起きるか」「起きて初めに何をするか」「朝食を食べてから出かけるか、朝食抜きにするか」…などなど。あるものは無意識に、あるものは意識的に『選択』しています。そしてこれらの選択のうちの多くを、私たちは独自の「価値観」に基づいて行っています。『信仰』というものは、単に「お祈りする」「敬虔な生き方をする」「何らかの宗教的行事に参加する」ということに限定されるのではなく、「何を食べるか」「誰に話しかけるか」「どんなサイトや番組を観るか」など、生活のひとコマひとコマに関わってきます。  「信仰による選択」の故に得をすることもあれば、損をすることもあります。私の知っているある人は、務めている会社からあるちょっとした「不誠実な行為」を命じられ、辞職しました。これは彼の『信仰』の1つの現れでもあります。ある人は「そんな生き方は不自由だ」と思うかもしれませんが、自分の感情に振り回されたり、常に変化する周囲の状況に左右されるような生き方の方が「不安定で不自由」なのではないでしょうか?  誰でもなんらかの独自の『信仰』によって生きています。どうせ生きるなら、「全知全能の創造主なる神」に信頼する『信仰』によって生きる人生を送ってみませんか?

2024年1月21日 「神が誇りとなさる人々」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「神が誇りとなさる人々」   (21/01/2024) [へブル人への手紙 11章13~16節] ◆神が誇りに感じる人とは?  ・[16節]の言葉は、いわば神様が「わたしは『彼らの神』であることを誇りに思う」とおっしゃっている、ということ。では、神は一体どのような人々を「ご自身の誇り」とされるのか?  ・この世の常では、何らかの業績を上げた時に「誇りとされる」わけだが、神の場合はそうではないようだ。アブラハムやイサク、ヤコブは決して「完全無欠の人々」ではなかった。すなわち、この栄誉は「行ない・業績」によるのではなく、『信仰』によるのだ。では、どんな「信仰」?  ①まだ手に入れていない『約束のもの』を「見る」信仰。[13節]  ・これは、主イエスの生涯にも見られる。[へブル12:2] 彼らは「神は約束を必ず守る方だ」と信じて疑わなかった。 ◆天の故郷  ②天の故郷に憧れる信仰。[16節]  ・この『天の故郷』は「約束の地カナン」と同様、「神がご自身を信頼する者のために備えた最善の場所」。そこに憧れるのは、「神はいつも最善をなさる良いお方だ」という信仰の表明以外の何ものでもない。  ・私たちは『天の故郷』で御父と永遠を過ごす。そのことより「地上に置いてきたもの」に対する未練が大きいなら、『天の故郷』はさほど魅力的ではないかも…[Ⅰヨハネ2:15-16] 「天の故郷への憧れ」を育てるのは、日々の御父との交わりである。 ◎更に深い学びのために  ①「神が誇りとなさる人」とは、どんな人でしょうか? どうして神はそのような人を『誇り』と感じるのでしょう?  ②主イエスは、何故「信仰の創始者であり完成者」と呼ばれるのだと思いますか?  ③「天の故郷への憧れ」とは、どんなものに基づいていますか? それを強めたり弱めたりするものは何ですか? Outline of the sermon  “Those who God is proud of.”  (21/01/2024) [Hebrews 11:13~16] ◆What kind of people does God feel proud of?  ・In this world we are proud of Read more…

(558) “彼らは年老いてもなお、実を実らせ、青々と生い茂ります。”

 皆さんは「数え年」というものを聞いたことがあるでしょうか?これは年齢の数え方の1つの方法ですが、生まれた時点で『1歳』とし、その後は元旦を迎えるたびに1歳ずつ年を取ると数えるのです。日本でも100年くらい前まではこの数え方が一般的で、私の父は12月末に生まれたので、生まれて1週間後には既に2歳になっていたわけです。  2024年を迎えて2週間が過ぎました。「数え年」で計算すると私たちは皆また1歳年を取ったわけですが、『誕生日』を迎えて喜ぶのは若いうちだけのような気がしていませんか?「また1つ大人になった」とお祝いしていたのが、「また1つ老いてしまった」とうつむいて行く。それってちょっと悲しいですよね?  聖書を読むと、「年を取って行くこと」をポジティブに描いている箇所が多いことに目が留まります。「白髪は冠である」とか、「年老いても実を結ぶ」「年寄りは夢を見る」などなど。つまり、神と共に生き年を取って行くことは、更に深く神を知り、また神への信頼を深めて行くプロセスなのです。  この世界は「何かが出来ること」や「生産性・能率性」を追求させようとします。確かにそういった目で人生を見るならば、「年を取って動きが鈍くなっていくこと」はマイナスにしか思えないかもしれません。しかし『人生の価値』はそのようなことで測られるものではなく、「1日1日をどれだけ完全燃焼し、充実感を持って生きられているか」なのです。そして「地上での残り時間」が少なくなって行けば行くほど、私たちはそのような生き方に目が開かれて行くものなのです。

2024年1月14日 「アブラハムの信仰」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ  「信仰によって生きる」  (07/01/2024) [へブル人への手紙 11章1~7節] ◆信仰とは?  ・[1~2節] 『肉眼』は「目に見えるもの」を人に確信させ、『信仰』は「目に見えない事柄(神に属するもの,将来のことなど)」を人に確信させる。『信仰』は単に「主観的・個人的確信」ではなく、『神の約束』という確かなものの保証に裏付けられている。それは、私たちの『救い』が「キリストの十字架」に保証されているのと同じ。これらのことから、『信仰』というもの分かりやすい定義は:「まだ見ていない『神の約束の成就』を確信して今を生きること」。  ・「信仰の実体」は、「信仰によって生きた人々」を通して知ることができる。ここからはその『信仰者たち』の記録。 ◆見倣うべき信仰者たち  ・[4節] カインとアベルの違いは「神へのささげ物そのものの差」というよりも、「神に対する心の態度の差」。カインの心にはアベルに対する『対抗意識』があったと思われる。「人との比較」は、私たちの『信仰』を歪める。  ・[5節] これに対しエノクは、創世記5章の記述も参考にすると、「神とともに歩んだ」。[ミカ6:8]  ・[6節] 『信仰』は、ただ神を求め、神を深く知り、その神に魅了されて心を動かされ、自然な反応として現れるもの。この『信仰』が神の心を揺さぶる。「正しく神を知り、正しく応答すること」を神は望んでおられる。  ・[7節] ノアはアベルのようにまっすぐに神を見つめ、エノクのように神と共に歩んだ。彼のように「たとえこの世の流れに逆らい、人々から嘲られたとしても、神に従う」という姿勢を、今年は見倣って生きよう![Ⅱコリント5:7-10] ◎更に深い学びのために  ①『信仰』というものの性質を分かりやすくもっと具体的な言葉で言い換えると、どのように表現できますか?  ②今日登場した3人の「信仰によって歩んだ人々」から、『信仰』についてどんなことを学ぶことができますか?  ③この2024年にあなたが自分自身の『信仰』に関して「更に成長したい」と感じる点はどのようなことですか? Outline of the sermon     “Living by faith.”     (07/01/2024) [Hebrews 11:1~7] ◆What is “Faith” all about?  ・[Verses1~2] “Eyes” assures what we can see, and “faith” assures what we cannot see.  Read more…