(299) “神よ。あなたが、天であがめられ、あなたの栄光が、全世界であがめられますように。”

あの偉大な作曲家バッハは256もの声楽曲を作曲し、それらの多くは300年以上経った今も名曲として歌い継がれています。しかし一体彼の作品は何故これほどまでに人々の心を震わせるのでしょうか? バッハの書いた譜面の1番初めにはいつも『JJ』という文字が刻まれています。これは「Jesu Juya」の略で「主イエスよ、助けてください」という意味です。そして1番最後には必ず『SDG』と書かれています。これは「Soli Deo Gloria」の略で、意味は「すべては神の栄光のために」。すなわち、彼が曲を作る時はいつでも「神が与えてくださる力を最大限に用いて、心から神の栄光を讃えたい」という願いが込められていたのです。 私たちの人生も同じです。私たちは1人残らず「世界の歴史始まって以来の存在」です。ですから神は私たち1人1人がそれぞれのユニークな方法で「神の栄光を讃えるように」と望んでいます。私たち1人1人の存在、そして日々の生き様が、そのまま「神の素晴らしさを表現する」ようなものとされたなら、何と幸いなことでしょう! しかしそのためには、イエス・キリストを通して『神との関係』の中に生かされ、神があなたに与えておられる「あなたにしかできない方法」を見出し、またそれを開発していく必要があるのです。そのために神は今日もイエス・キリストを通して、あなたをご自身の御許に招いておられるのです。そこに辿り着くまでは、私たちは大変な『宝の持ち腐れ』を冒してしまっているのです。

2018年4月18日 「イエスは賛美を受けるべきお方」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ    「イエスは賛美を受けるべきお方」   (15/04/2018) ◎今日のトピックは「イエス・キリストは賛美を受けるにふさわしい方である」ということ。[黙示録5:12] ◆賛美する理由 *賛美は「気分の良い時」だけではない。「主イエスの変わらないご性質」が賛美するにふさわしいから。 ①その偉大さのゆえ ・万物の創造主・支配者 [コロサイ1:16] であり、勝利者 [ヨハネ16:33] であり、やがて来られる王の王。 ②その慕わしさのゆえ ・心優しく [マタイ11:29]、さばくことがなく [ヨハネ12:47]、弱さや痛みを知っておられる方。[ヘブル4:15] ◎「私たちの主」イエスは… 神でありながら人となり、すべてを持っていたのに貧しくなり、聖い方なのに罪人の 友となり、強い方なのに弱さを知り、陽気な方なのに痛む者のために泣き… 言い尽くすことはできない! だからこそ、私たちはこの方に賛美をささげずにはいられない! ◆今週の『暗唱聖句』: [ヘブル人への手紙 13章15節]   Outline of the sermon      “Jesus is worthy to be praised.”     (15/04/2018) ◎The topic today is “Jesus Christ is worthy for all of our praises”. [Revelation 5:12] Read more…

(299) “事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。”

上記にご紹介した聖書のことばは、実は私がクリスチャンになった後「受け入れるのに最も苦労した」ものの1つでした。何故なら私は幼い頃から『努力』というものの強い信奉者で、中学・高校と『卒業時の色紙』に必ず「努力は必ず報われる」と書き続けていたからです。 ところが、聖書に関してより精通していくに従って、この「努力によるのではなく…」という表現は『努力』というものを否定しているのではなく「自分の考え方に固執してしまって、神から注がれる新しいアイディアを受け取ろうとしない頑なな姿勢」を戒めているのだと分かってきました。確かに「人生に対して真剣に取り組んでいる人」ほど『強い信念』というものを持っているものだと思います。ところがその『強い信念』というものがしばしば私たちに『柔軟さ』を失わせ、周囲からの優れた助言に対して聞く耳を持たせなくさせてしまうことがあるのです。 私たちを形造り、この世に生み出してくださった『創造主なる神』からの助言ほど、私たちの人生に有益なアドバイスはありません。その『あわれんでくださる神』の慈愛に満ちたアドバイスに対して「私は私のやり方でやりますから、どうぞお構いなく!」とはねつけるのは、愚か者のすることです。私たち1人1人のために神が備えてくださっている『フルサイズの人生』を歩むためには、「私の持っているアイディアよりも、あなたが私のために用意してくださっている道の方がはるかに優っています。どうぞそれを教えてください。」という謙遜さが求められているのです。

2018年4月8日 「イエスは共におられる神」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ     「イエスは共におられる神」    (08/04/2018) ◎今日のトピックは「イエス・キリストはいつも私たちと共におられる神である」ということ。[マタイ28:20b] ◆共におられる神 (神は世の初めからいつもご自分の民と共におられた) *アサ王へのことば [Ⅱ歴代誌15:2] ・私たちが「共におられる神」を認識できないのは、私たちの側にある問題(罪)のゆえ。[イザヤ59:1-2] ◆『インマヌエル』の約束 [マタイ1:23] ・イエスは「私たちと神との仕切りを壊すため」 また、「神と共に歩む人生の模範を示すため」 に来られた。 ◎[マタイ28:18-20] = これは「クリスチャンにとっての聖書メッセージの要約」とも言えることば。 ・イエスは「すべての権威」を持っており、ご自身の『真実さ』の故に、永遠の契約をもって私たちと共におられる。 ◆今週の『暗唱聖句』: [マタイの福音書 28章20節後半]   Outline of the sermon      “Jesus is ‘God with us’.”     (08/04/2018) ◎The topic today is “Jesus Christ is God who is always with us forever”. [Matthew 28:20b] ◆God Read more…

(298) “あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。”

「ボクたちには世界を変えることはできない」という映画をご存知でしょうか?大学生がカンボジアの貧しい子どもたちのために募金活動をして学校を建てる、という実話を基にした映画です。もちろん事は簡単には運ばないわけですが、「普通の大学生」のグループのひたむきさに心を打たれます。一見の価値がありますよ。 私たちはしばしば、わずかな善意を持っていながら、現実の問題の大きさに圧倒されて、いとも簡単に目標をあきらめてしまうことがあります。それはとっても残念なことだと思いませんか? 嵐の後にある男性が海辺を散歩していると、海岸には何千何万という『ヒトデ』が打ち上げられていました。「このまま放っておくと、すべて干上がってしまうだろうな」と思いつつふと見ると、1人の少年がその1つ1つを拾い上げては海に向かって投げ戻してやっていました。男性は思わず「お~い、そんなことをしても無駄だよ。見てごらん、焼け石に水さ。」と声をかけました。すると少年はまた1つヒトデを拾い上げて海に向かって放り投げてから、ニッコリと微笑んで言いました。「でも、これで今の1匹は助かるよ?」 世界では何億という人々が飢えており、何百万もの人々がマラリヤや脱水症状で死に瀕しています。当然1人の人がどんなに努力しても、それらすべてを救うことはできません。しかし、たった1本の注射によって救うことのできるいのちがあります。コーヒー1杯のお金で100人の子供たちに食べさせてあげられることができるのです。これらの現実を「見てみぬふり」をすることもできますが、何か小さなことでも今日から始められる事がたくさんあるのではないでしょうか?ここに1つのウェブサイトリンクを紹介します。『日本国際飢餓対策機構』(http://www.jifh.org/)という団体です。様々な募金やボランティア活動を行っています。 神様は私たちに『善意』『あわれみ』などの心を与えてくださいました。それらの心から湧き上がってくる思いを封じ込め続けてしまうとしたら、やがて神の前に立つ時に、私たちはどう申し開きをすれば良いのでしょう?

(297) “悩む者には毎日が不吉の日であるが、心に楽しみのある人には毎日が宴会である。”

こんなお話があります。 ある賢い老人と孫娘が田舎のガソリンスタンドで一緒に座ってくつろいでいました。そこに1人の旅人風の男が車でやってきて、ガソリンを入れながら老人に尋ねました。「オレはじっくり腰をすえて住むのに良い場所を捜して旅をしているんだが、ここはどんな所だい?」老人は答えました。「そうだなぁ、そういうお前さんが前に暮らしていた所はどんな所だったんだい?」男は言いました。「いやぁ、嫌なところだったよ。人々は批判的で、お互いにそれぞれのあら捜しばかりしていてさ。あんな所には2度と戻りたくないね。」老人は申し訳なさそうに答えました。「そうかい、それは残念だったねぇ。実はこの町も、その町と全く同じようにひどい所なのさ。」男はガックリして車に乗り込み、去って行きました。 しばらくすると、1組の家族がそのガソリンスタンドに車を停め、運転していた父親が老人の所にやってきて尋ねました。「失礼ですが、この町は暮らすのに良い場所でしょうか?」老人は答えました。「そうだねぇ、ところでアンタたちが前に住んでいた所はどんな所だった?」父親は言いました。「いやあ、素敵なところでしたよ。町の人たちは皆親切で、仲が良くて、困った人がいるといつも助けの手を差し伸べていました。本当に去りがたかったんですが、都合でどうしても引っ越さなければならなくて…」老人はニッコリして答えました。「安心しなさい。この町もまさに同じような所だよ!」 この家族が車を出発させた後、ずっとこれらの様子を聞いていた孫娘が尋ねました。「ねぇ、おじいちゃん。どうして初めの人には『ここはひどい所だ』って言って、後の人には『ここは素敵な所だ』って言ったの?」老人は孫娘の瞳をじっと見つめて言いました。「なぁに、人間どこに引っ越して行ったって、いつも『自分』を連れて行くもんさ。そして引っ越して行った先がどんな町に見えるかは、その『自分』の態度次第なのさ。」 人生は『人任せ』にはできません。「人生に対するアナタの態度」があなたの人生を決めるのです。周りの状況に左右されることのない、神様から注がれる「内なる平安と喜び」があるならば、どこに行ってもそこは『地上の楽園』となり得るのです。

2018年3月25日 「永遠のいのちなるキリスト」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ     「永遠のいのちなるキリスト」    (25/03/2018) ◎今日のトピックは「イエス・キリストは変わらない」ということ。[ヘブル13:8] ◆イエス・キリストは『永遠の祭司』 [ヘブル7:24-25]  『祭司』は、罪のためにいけにえをささげ、とりなす存在。 ・人間には決して『罪の代価』を払い切ることはできなかった。[詩篇49:7-8] ・しかし、主イエスはご自身を「完全な永遠のいけにえ」としてささげ、贖いを完成された。[ヘブル10:12-14] これは旧約聖書においてずっと以前から啓示されていた『神の永遠の愛』の成就。[イザヤ54:10] ◆イエス・キリストは『永遠のいのち』 [ヨハネ3:16] ・「この世にあるもの」「目に見えるもの」は、すべて永遠には存在しない。(『神の国』には持って行けない) *永遠に続く唯一のもの = 『神との関係』 これぞ私たちに与えられた「永遠のいのち」! ・私たちは主イエスによって「神との永遠の交わり」へと招き入れられた。[Ⅰヨハネ1:1-3] ◆今週の『暗唱聖句』: [Ⅰヨハネ 5章20節]   Outline of the sermon      “Christ, our eternal life.”     (25/03/2018) ◎The topic today is “Jesus Christ is Everlasting”. [Hebrews13:8] ◆Permanent Priest. [Hebrews 7:24-25]  He offered eternal sacrifice for sins Read more…

(296) “喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。”

『パーソナリティ』にはそれぞれいろいろな違いがありますが、その中でも1つの大きな違いと言えば、それは「人間重視(people oriented)」か「任務重視(task oriented)」かでしょう。『人間重視』の人は「やらなければならないこと」を多少後回しにしてでも「人との関係作り」のために時間を割きます。一方『任務重視』の人は多少人間関係を犠牲にしてでも「やるべき任務」を成し遂げようとします。あなたはどちらの傾向が強いでしょうか? 歴史を振り返るならば、恐らく日本は元来『人間重視』の文化を持っていたと思います。あまりアクセクと働くよりも『義理人情に厚い人間』として生きることが美とされていたのではないでしょうか?それがいつの間にか(高度経済成長の頃から?)『生産性・効率性』が重視されるようになり、『義理人情』などという言葉は古臭いものとして片付けられ、会社員たちは「自分たちの任務に献身」させられるようになってしまったような気がします。 話は変わりますが、私の母は現在87歳で、蕎麦を食べるのが大好きです。ですから私が一時帰国するたびに一緒に母の自宅から200メートルほどのところにある蕎麦屋へ歩いて行くのが習慣なのですが、母の歩行速度は年々遅くなってきています。今ではまるで「ウサギがカメと一緒に歩いている」かのように感じてしまいます。はっきり言ってものすごくじれったいのですが、ある時ふと「自分と共に歩んでくださっている神様」のことに思い当たりました。『全知全能の神様』にとっては、私たちのような人間と共に歩むことは「超じれったい」ことに違いありません。でも神様はきっと少しもイライラすることなく、むしろ微笑みながら共に歩んでくださっていることでしょう。そんなことを思いながら、母と共に200メートルの道のりを30分掛けて歩くのもなかなか風情があります。 クリスチャンであっても、中には「神のための働き」に熱心なあまり、身近にいる人々が目に入らなくなっている時もあるかもしれません。でも神様は私たちが「どれだけのことを成し遂げたか」よりも「人々にどれだけ心を注いだか」を評価してくださるのではないでしょうか?

(295) “自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。”

「イエス・キリストによる救い」を得た人々は、死んだ後も『天国』に行ける約束が与えられていますが、神様から与えられた体をキチンと管理していない人は、自分が望んでいるよりも少し早めにそこに行くことになってしまうかもしれませんから、気を付けましょう。今日は「自分の体の自己管理」のお話です。次の3つの点を心がけましょう。 1.食生活の改善 ・実に多くの人が「不健康な理由」によって食生活を左右されてしまっています。ストレス、退屈さ、疲労感、怒り、憂鬱さ、劣等感などなど。また、日常に食べるものもかなりのかたよりがあります。ファストフードやインスタント食品、スナック菓子などを取り過ぎて、新鮮なフルーツや野菜、そして繊維食品をあまり食べない人が多いようです。それでは体が悲鳴を上げてしまいます。ぜひ自分の食生活の傾向性をもう1度よく検討し直してみてください。  2.運動不足解消 ・突然「毎朝1時間のジョギングを始めよう!」などとは思わないで下さい。「少しずつ着実に」が継続のコツです。例えば「エレベーターの代わりに階段を使う」とか、「車を駐車するときに、いつもよりも目的地から離れた所に停めて歩く」とか、「テレビやパソコンに向かう代わりに子供とキャッチボールをする」などなど。神はあなたの体を「1日中座って過ごす」ようには造りませんでした。「週に3日30分の運動」だけで、私たちのストレスや高血圧などはずい分解消されるはずです。  3.早めに床に就く ・人間はたとえ大人であっても『8時間の睡眠』が必要だそうです。「自分はそんなに寝なくても十分やっていける」と多くの方々は言うかもしれませんが、「やっていける」のと「健康に生きること」には大きな違いがあります。「私は床に就くのは夜中過ぎだけど、毎日昼まで寝ているから大丈夫」という方もいるでしょうが、統計によると「夜中の12時より前の『1時間の睡眠』は、12時過ぎの『2時間の睡眠』に相当する効果がある」のだそうです。昔からよく言われているように「早寝早起き」は確かに健康な生活の基本なのです。 信仰深い方々はしばしば「神のみこころにかなった人生を歩みたい」と思うようですが、それならばまず、上記の3つのことに留意しながら『自分のからだをもって神の栄光を現す人生』を、ぜひ今日から始めてください。