2016年10月16日 「『人』が1番大切!」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ           「『人』 が1番大切」         (16/10/2016) *『神の国の価値観』③ ― 「人生で大切なのは「出来事」や「業績」ではなく、『人』である。 ◆危険な兆候 ・この世での人間関係は、日々悪化している ― 「物質的な豊かさ」と「人間関係の豊かさ」は反比例する? ◆神の願い ・神はまず「私たち1人1人との関係回復」を求めており、次に「私たちの互いの関係回復」を願っておられる。 [ヨハネ13:34,Ⅰヨハネ4:11] ・モーセの十戒も「神との関わり」と「人々との関わり」についてのみ命じている。 まず『家族(最も近い人間関係)』から。 → 家族の間で惜しみなく愛を表現しよう! 聖書によるなら、私たちは「神を共通の父とする『家族』」とされた。[Ⅰヨハネ5:1] → JCFの中で、特別な「信頼関係」や「親密な交わり」を育もう!(失敗を笑い飛ばせる気楽さ) ◆具体的な提案    ①用も無いのに、一緒に時を過ごす。(「バイブルスタディ」や「相談事」のためでなく) ・「相手の役に立つこと」を目標にするのではなく、「互いによりよく知り合う」ため。 ②互いに「与えたり、ゆだねたり」。 ・「自分を相手にゆだねる(任せる)」のは、信頼の表現。 だまされても、裏切られてもいい。主イエスはよぉく分かってくださる。    ③イエスの手足として。(マザー・テレサの祈り) ・神はひとり子を私たちに委ね、イエスも敢えてご自身を私たちに委ねておられる。何というリスク!   Outline of the sermon     “People are the most precious!”     (16/10/2016) *“Value of the kingdom”③ ― “People” are much more important than “events” or “achievements”. ◆Human relationship Read more…

2016年10月9日 「神が中心」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ           「神が中心」         (09/10/2016) *『神の国の価値観』② ― 「あなたの人生の中心は『あなた自身』ではなく、『神』である。 ・[詩篇14:1] 自分の観点からしか物事を見られない愚かさ。自分が認識できないものの存在を認めようとしない。 ◆自己中心 vs 信仰 ・私たちが「神に信頼できなくなる時」とは、私たちが『自己中心』に陥った時。 → 神を思い通りにしようとしている。 or 神に対して自分勝手なイメージを抱いている。 ◎『神の正しいイメージ』の1つ = 「恵みとまことに満ちた神」 [ヨハネ1:14,詩篇57:10,86:15] 完全に正しく、完全な善に満ち、忍耐強く待ってくださる。これ以上「信頼に足るお方」は他にない! ◆「神を中心に据える」とは?    ①「神は自分の人生を通してご自身を現したいと願っておられる」と深く確信する。 ・このために神は私たちを「ご自身のかたち」に造られ、ひとり子のいのちさえも差し出して取り戻された。 ②神との交わりの中で、少しずつ『固定観念』の枠をはずしていく。(ペテロのように) ・『自分』にしがみついている人の多くは、『恐れ』に支配されている。 ・神の素晴らしい約束を聞きなさい![Ⅰペテロ5:7,2:6]    ③「どうしたらいいか」を考える前に、「神が働いておられるのはどこか」を捜す。[箴言3:5-6] ・God is in control. 神の働きをじっと見つめ、それに歩調を合わせる。 ✰あなたの内に住まわれる『主イエス』がなさろうとすることを、妨げない者になろう!   Outline of the sermon       “God-centered life.”       (09/10/2016) *“Value of the kingdom”② ― The center of your life is not “yourself” but Read more…

(230) “わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。”

人間のからだというものは、ノドが渇いたりお腹が空いたりすれば、敏感に反応を示しすものです。では私たちの『たましい』はどうでしょうか?もちろんたましいだって「渇く」のです。もし私たちがキチンと心を配っているなら「たましいの渇き」にも気づくはずなのですが、現代では「からだの渇き」をそそるものばかりがはびこり、より重大な「たましいの渇き」を紛らわしてしまっているのです。 皆さんは「~中毒」という言葉を耳にすることがあるでしょう。「自分とは無縁のもの」と思う方が多いかもしれませんが、中毒には『アルコール中毒』『ニコチン中毒』『麻薬中毒』などの他にも、『仕事中毒』『セックス中毒』『ギャンブル中毒』そして特に最近では『インターネット中毒』の症状も顕著になってきているように思えます。これらのものは初めは私たちの「からだの渇き」を満たすために近づいてくるように見えますが、やがて私たちのたましいに侵入し始め、ひいては人生を破壊してしまう危険性さえ含んでいます。 私たち人間には『食欲』のようなごく自然な生物学的な「渇き」と同様に、「より確かなもの(真理)」を求める「たましいの渇き」があります。そしてそれは私たちをお造りになられた「創造主なる神」以外には満たすことのできないものなのです。神と出会い、その心を満たしていただくまでは、私たち人間は「渇きを満たしてくれるもの」を求めて一生さまよい続けるのです。 古代イスラエルの名高きダビデ王は、誰もが望む名声・財産・権力のすべてを手にしていたにもかかわらず、次のように告白しています。「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ、私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」誤った娯楽による中毒に陥ってしまう前に、さあ、あなたもたましいの渇きを永遠に潤してくださる方の許へ帰りましょう!

(229) “このわたし(神)が地を造り、その上に人間を創造した。”

私たち夫婦に長男(第一子)が生まれたとき、私たちは自分たちの家の最も良い部屋を彼のために用意しました。真冬だったので、1番性能の良いヒーターを備え、「空気が乾きすぎてはいけない」と加湿器を購入し、私の両親(彼らにとっても『初孫』でした)が買ってくれた新品のベビーベッドとベビーダンスを置き、準備万端整えて、彼がその母親と共に退院してくるのを待ちました。 誰も赤ん坊が生まれてくるのに「何も用意しないで」迎える親はいないと思います。私たち夫婦のように、愛情を込めて、できる限りの準備をして、その到着を待ち望むはずです。そして私たちの『天の父』である神様も同様です。彼はその愛する子どもたちである『私たち人間』をお造りになる前に、私たちが暮らすための完璧な環境を整えてくださいました。 考えてもみて下さい。もし私たちの住むこの『地球』があと数パーセント大きかったり小さかったりしたら、私たちのような精密な生物はその中に存在することができません。また太陽との距離がちょっとでも遠かったら私たちは凍え死んでしまうし、逆に近かったら焼け死んでしまうのです。 皆さんは地球の地軸が垂直から23度傾いていることをご存知でしょうか?学生たちは「そのお陰で物理の計算がややこしくなって迷惑している」と愚痴をこぼすかもしれませんが、この微妙な傾きのお陰で年間を通して太陽光線が地表面にまんべんなく当たるようになっているのです。この傾きがなければ、南極や北極はとてつもなく巨大な氷で覆われてしまうし、赤道直下は近寄ることも出来ない高温になってしまうのです。 この天地を造り、私たちをそこに生まれ出させてくださった神様が、私たち人間1人1人をこよなく愛し慈しんでくださっている事実は疑いの余地がありませんよね?

2016年10月2日 「神との交わり」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「神との交わり」       (02/10/2016) *『神の国の価値観』① ― 「人生の動力源は『人生の目標』を持つことではなく、『神との愛の関係』にある。 ◆神との交わり ・「神は愛である」[Ⅰヨハネ4:16]とは? 『愛』は、「関係」なしには存在し得ないはず。 ・神は元来「完全な愛による調和」の中におられる。[創世記1:26] この「父・子・聖霊」の間にある完全な愛による「調和と一体感」を分かち合う存在として『人』が造られた。 ◆本当に大切なこと ・私たちは「この世の価値観」にすっかり洗脳されてしまっている。 ◎まず大切なのは、「ありのままを受け入れられ、愛されている」という確信。 「何かができるから」ではなく、『存在そのもの』に意義がある。 ・「神から愛されていることを知る」だけでは不十分。それに加えて「三位一体の神の完全な愛の交わりの中に 招き入れられる」ことが求められている。  このために「イエスの十字架による贖い」がある![ヨハネ1:3] ・この交わりへと私たちをいざなうのが『聖霊の働き』。[Ⅰヨハネ4:13] ・『宣教』の正しい動機付けは、「この交わりに人々を招き入れたいから」であって、「使命だから」ではない。 ・『悔い改め』の本来の根拠は、「この交わりから離れたくないから」であって、「申し訳ないから」ではない。 宿 題 [ヨハネ15:9]   ✰他のことを脇に置いて、神の愛の中に没頭する時間を持つ。 *ガイドライン ①神に心を開く  ②神に語りかける  ③神に聞く   Outline of the sermon      “Fellowship with God.”      (02/10/2016) *“Value of the kingdom”① ― Our lives should be driven by “loving relationship with God” rather than “purpose of life”. Read more…

(228) “いつも主にあって喜びなさい。”

一般的に次の3種類の人がいると言われています。①自分が幸福であることを他の人に申し訳なく感じる人 ②人の幸福を見るとケチをつけたくなる人 ③落ち込んでいる人を励まし、元気付ける人  ①のようなタイプはある意味「非常に責任感が強い人(?)」であり、②のようなタイプは恐らく「深く傷つけられた経験があって、心の中に苦々しさを抱いている人」に違いありません。 キリストの使徒パウロは「いつも主(神)にあって喜びなさい」と書き送りました。ある人は「そんなことが言えるのは、人生の厳しさや試練を知らないからだ」と言いたくなるかもしれませんが、実はパウロがこの言葉を書いたのは、彼がいつ釈放されるかも分からない牢獄の中にいた時なのです。彼にとって『喜び』とは「自分の置かれている状況に対する反応」ではなく、「自分で決めて選び取る心の態度」だったのです。真の喜びは、移ろいやすい私たちの心から生まれては来ません。もっとずっと大きな、周囲の状況を超えたところにおられる『神』から来るのです。 このような喜びを心に抱いて生きるには、次の3つのことに心を留める必要があります。①『真の喜び』は出来事や状況の中にあるのではなく「喜びの源である『愛の神』」から来る。②日々意識してこの『愛の神』に心を向け、信頼と希望を育む。③神があなたをご覧になっているのと同じ目線で人々を見つめ、祝福する。 私たちの人生を左右するのは、「どんな心を持っているか」ではなく、「どこに心を向けているか」なのです。

2016年9月25日 「キリストの臨在」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「キリストの臨在」       (25/09/2016) ◆『キリスト者』としての証し ・救いは『ゴール』ではなく、「神の国の民」としての歩みの『スタート』。 ・『世の光・地の塩』として生きるとは、「世の人々に対して立派な模範を示すこと」ではなく、「世の人々に対して 『キリストは今日も生きて働いておられること』 を示す存在である」ということ。 「私たちのガンバリ」 と 「キリストの顕現」 とは反比例する。 → では、どうすればいいのか? ◆キリストの臨在 ・「十字架にかけられたイエス」ではなく、「よみがえられたイエス」を思う。[Ⅱテモテ2:8,使徒2:32-33] ・『聖霊』は、イエスがよみがえられ、今日も生きて私たちと共に働かれている証拠。 私たちは、この方(聖霊 = キリストの臨在)に渇き、求めるべき![ヨハネ7:37-39] 「聖霊を与えてください」ではなく、「聖霊で満たしてください」。 ・私たちに必要なのは「神のみわざ」ではなく、「神とのリアルな関係」。 神ご自身を求める。 宿 題   ①毎日最低3回、次のように祈る。 「主イエス様。私にはあなたが必要です。あなたとの生きた関係に渇いています。 どうぞ聖霊によって、私にご自身を現してください!」   ②毎週の礼拝のために祈りつつ備える。そして、主の濃厚な臨在を期待して集まろう! ・主イエスの名において集まる所に、主ご自身もおられる。[マタイ18:20]   Outline of the sermon      “The presence of Christ.”      (25/09/2016) ◆What is our witness to the world? ・Salvation is not our “Goal” Read more…

(227) “人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。”

日本人の持つ特徴の1つに『恥の文化』というものがあります。人前で恥をかくことを嫌いますし、誰かに人前で恥をかかせるようなことは、最も避けるべきことの1つと考えられています。そしてそれが日本人の1つの美意識にさえなっているのです。そのことを卑下するつもりは毛頭ありませんが、この「恥を恐れる」という意識が私たちの人格的な成長を抑制することがあるのも事実です。 私たち家族の昔からの合言葉に『ラーニング・イクスピアリアンス(失敗から学ぶ)』というものがあります。すなわち、「失敗を恐れる故に新たなことに挑戦するのを避けるよりも、失敗を繰り返しながら学んでいこう!」というわけです。私たち家族は、末息子が生まれてまもなく海外での生活が始まりました。フィリピン、オーストラリア、パプアニューギニア、バヌアツ、そして現在のニュージーランドと太平洋周辺を転々としました。というわけで、しばしばその地域での生活習慣に対する無知の故にとんでもない失敗を経験してきました。当然初めの頃は「恥ずかしい、もう嫌だ!」とか、「サッサと日本へ帰ってしまおう!」などと弱気になったものですが、失敗を繰り返すうちに徐々に開き直れるようになり、「全く生活習慣の違う国から来たのだから、失敗するのは当たり前。クヨクヨするのはやめて、同じ失敗を何度も繰り返さないように学んでいけば良い」と考えられるようになりました。するとそのうちに、私たちの失敗を見て笑っている人々は、決して私たちを「あざ笑っている」のではなく、全く異なった生活習慣の中で一生懸命適応しようとしている私たちに対して「好意を示している・受容してくれている」ということが分かってきました。そうして周囲の人々と共に自分たちの失敗を笑い飛ばせるようになったのです。 失敗を恐れる人は、他の人の失敗に対しても寛容になれません。しかし失敗を繰り返し、それを周囲に受け入れてもらうことを経験することによって、私たちは他の人々の失敗を責めるのではなく、かえって『一歩前進』と見ることができるようになりました。そして私たちの神様も「私たちの失敗をいちいち咎める方」ではなく、幼子が転びながら歩き方を覚えて行くのを見守るかように、「ドンマイ、ドンマイ。何度失敗してもいいよ。もう1度立ち上がって歩き出してごらん」とおっしゃるのです。

2016年9月18日 「祈りにおける成長」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「祈りにおける成長」      (18/09/2016) ◆もっと何かあるはず…   ◎ある英語の賛美の1節:“I just know there is more of You!” ・「クリスチャンとしての歩みには、もっと何かあるはず」と思ったことはないか? 言い換えれば、今の自分の日々の歩みで「神様なしでもできるもの」を除いたら、何が残る? ・私たちが日常生活の中に「神ご自身に介入していただく」ためのカギ = 『祈り』における成長。 ◆『祈り』とは? ― 祈りの4段階 [ヤコブ4:2-4] ①欲しいものを神様におねだりする。 ②自分のこの世での必要のために求める。   これらは結局「この世での生活に適応するため」に過ぎない! ③他の人々の必要のためにとりなす。 ④神がこの世にもたらそうとしているものを呼び込む。 ・実は神はすでにこれらのものを私たちにお与えになった。[エペソ1:3] ・私たちは「キリストとの共同相続人」とされている。[ローマ8:16-17] しかし「この世と歩調を合わせて生きること」に慣れすぎていて、その豊かな財産を体験できないでいる! ◆新しい価値観 = 『神の国』の価値観 [コロサイ3:1-10] ・私たちは既にキリストとともに『天の座』についている。[エペソ2:4-6]    『究極の祈り』とは、「神に向かってお願いする」というよりは、むしろ   「キリストとともに立ち、御父から既に受け継いでいるものを聖霊によって用いて行く」ためのもの。   Outline of the sermon         “Grow in Prayer.”         (18/09/2016) ◆There must be something Read more…