2013年7月7日 「神のわざを運ぶ器」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ          「神のわざを運ぶ器」     (07/07/2013) [ヨハネ19: 31-42]  ◆死後にも預言を成就させたイエス。[36~37節]   ・このことは「イエスこそ確かに預言されていたメシアそのものである」ことの証明。 ①   「すねを折らない」とは?[33節] ・十字架上の死刑囚は、すねを折られることによって『窒息死』を避けられなくなる。 ②   何故「血と水」が出てきたのか?[34節]      ・死んだ時のイエスは、心機能不全状態で、心臓と肺の周りに多くの水が溜まっていた。この「水と       血」が出てきたのは、イエスが確かに死んでいた証拠。「イエス蘇生説」の可能性はない。 ◆2人の『隠れキリシタン』。[38~39節]   ・本来なら家族や近親者(弟子たち)が遺体を埋葬するはずだが、その多くは逃げてしまっていた。   ・普段隠れていたヨセフとニコデモだったが、その信仰は静かに燃えていた。彼らは勇気を出して「犯罪    者として殺されたイエス」を葬った。普段華々しく燃えている人々が、必ずしも「信仰的」とは限らない。 ◆[Ⅱコリント4:7] ☆この週も「神のみわざ」があなたを通して現されますように!   Outline of the sermon    “Jars of clay carrying God’s Work”  (07/07/2013) [John 19: 31-42]  ◆   Jesus fulfilled prophecies Read more…

(85) “そこでピラトは、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った「この人の血について、私には責任がない。」”

皆さん知っていましたか、天国には悪い人ばかりいて、地獄には善い人ばかりがいるんだそうですよ。だって天国では皆が互いに 「ボクが悪かったんですよ。」 「いえいえ、私の方こそ悪かったんです!」 と言い合っていて、逆に地獄では皆が 「オレは悪くないぜ。悪いのはアイツだよ。」 「何言ってるのよ。私はちっとも悪くなんかないわ。そもそもアナタのせいじゃないの!」 と互いに自己弁護し、罪を人になすりつけているんですから… 上記はもちろん1つの寓話ですが、このように「失敗を誰かのせいにばかりしている人の周りには、決して幸福は生まれない」ということは言えるかもしれません。 私たちは現代、今までにない「責任をなすりつける」という習慣にまみれた時代に生きていると言えるかもしれません。人々は様々な理由を付けて「責任を追及されることを避けるための言い逃れ」をすることに夢中です。「自分がこうなったのは、アイツのせいだ。あの出来事のせいだ。」と。そして問題の発祥は決して自分ではないのです。 他の人に責任をなすりつけることは、一時的にはあなたの気持ちを楽にするかもしれませんが、それはあなたを中心とした人間関係を徐々に蝕んでいくのです。たとえ誰にも気づかれなかったとしても、世界に少なくとも2人は真実を知る者がいます。それは神様とあなた自身です。自分の責任を無視しようとし続ける限り、神のまなざしはあなたの『自責の念』を増長させることにしかなりません。しかし、もしあなたが神の前に自分の落ち度を認め、人々に対する責任を果たそうと努めるなら、その同じ神のまなざしが「愛のまなざし」と感じ取れるようになるのです。 もし非が他の人にあるのなら、その責任はその人自身が取らなければなりません。誰であっても「自分の非を認め、神を敬いつつ自分の責任を果たしていく」ところに、真の解決、そして解放があるのです。

(84) “神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。”

「後悔先に立たず」ということわざがありますが、実際には『後悔』には2種類あって、そのうちの1つは私たちに『死』をもたらし、もう1つは逆に『いのち』をもたらします。 「死をもたらす後悔」というのは、次のようなものです。「ああ、こんな不況になると分かっていたら、新しい家なんて買うんじゃなかった。せめてもう少し安い家を買っておけば…。それとも、貸家住まいにしておけば…。前の家で我慢していれば良かったのに…。」 このような「もしOOしておけば…」的な後悔は、私たちを単に落ち込みと失望へと追いやるだけでなく、新たな挑戦へ踏み出すことを押しとどめる『恐れ』となって私たちの人生に大きく立ちはだかるようになります。 では、「いのちをもたらす後悔」とはどのようなものでしょう?それは「この天と地をお造りになった私たちの神は、私たちの失敗よりも大きく、その失敗から私たちの人生を取り返させてくださるほど恵み深いお方である」と信じる信仰から生まれます。事実、私たちの神は「時空を超えて存在しておられるお方」であり、私たちが失敗してしまう前から、私たちのために『バックアッププラン』を備えて下さっているのです。ですから、もし私たちが自分の過去の失敗にいつまでもクヨクヨして下ばかり向いているのではなく、その失敗を取り返させてくださる『恵みに満ちた神』を見上げるなら、神はご自分の力と愛とを私たちに知らせようと、私たちの人生に働きかけて下さるのです。 「自己憐憫しながらの後ろ向きの人生」と「神に信頼して失敗をものともしない人生」、あなたはどちらを選びますか?

(83) “悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。”

長い髪が似合う女性が、いよいよ出産が近づいた時、ずっとお気に入りだったロングヘアを、泣く泣く思い切ってバッサリと切り落とした帰り道、友人にバッタリ出くわしました。久しぶりに会ったその友人は、彼女の新しい髪形に驚いて思わずこう言いました。「えー、どうして切っちゃったの!全然似合わないわよ。あなたも知ってると思うけど、私は絶対ウソは言わないんだから!」 その友人に別れを告げて、彼女はトボトボと歩きながらつぶやきました。「今日だけでも、ウソでいいから『その髪型も似合うんじゃない?』って言ってくれれば良かったのに・・・」 私たちの人生は様々な『選択』の連続ですが、そのうちの1つは、「今感じていることを、相手に伝えるべきだろうか?それとも口を閉ざしているべきだろうか?」ではないでしょうか? もちろん正直であることは大切ですが、日本の古いことわざにもあるように、「口は災いの元」でもあるのです。もしあなたがいつでもどこでも自分の感じていることを正直そのままに口にしていたら、あなたの周りは『心傷ついた人たちだらけ』になってしまうことでしょう。実際、あなたがそう感じているからと言って、必ずしもそれが「真実で、正しい」とは限らないのです。 何かを相手に伝えようと思った時は、その言葉を発する前にこう自問自答すると良いでしょう。「このことは、この人にとって、また私と彼の関係にとって、本当に有益だろうか?それとも、かえって害をもたらすだろうか?」 「仮に正しいことだとしても、今がこれを伝える時だろうか?また自分がこれを伝えるにふさわしい存在だろうか?」 「語るべき正しいことを知っていること」は、「口を閉ざすべきタイミングを知っていること」ほどは大切ではないのです。

2013年6月23日 「神と人とのために生きる」

メッセージをダウンロードして聴く 「夫婦セミナー」の内容をダウンロードして聴く 説教あらすじ        「神と人とのために生きる」     (23/06/2013) [ヨハネ19: 23-30] ◆全裸のイエス。[23節]    ・イエスは私たちの『罪』だけではなく、『恥』をも負ってくださった。 ◆「神と人」とのために生きられたイエス。   *今日の箇所で注目すべき2つのポイント ①「聖書が成就するため」[24,28節]   ・イエスは、神のことば、神の意志が成就されるために生きられた。[ヨハネ4:34] ②『母』を顧みられたイエス。[26~27節]        ・イエスは地上で自分と関わった人々を、最後まで心にかけていた。    ◎イエスの生涯をひと言で描写するなら「神と人とをトコトン愛された」 ということ。(これぞ、私たちへの模範!)      ・『最も大切な命令』[マルコ12:28-31]   ・イエスはこれを別の表現に言い換えられた。[ヨハネ15:12]      すなわち「いつも神(イエス)を思い、その同じ愛をもって人を愛する」。「自分の基準」ではなく「無条件」で。 ◆イエスが『完了』してくださった。[30節] ・イエスは「私たちが救われるためのすべて」を成し遂げて下さった。もはや私たちがそれに付け加えるものは 何もない。それは「イエスが私たちにとって『すべてのすべて』になるため」。[コロサイ3:11] ◆[ピりピ3:4-9]    ・私たちは『自分』に注目するのではなく、イエスのみを讃え、イエスのみに希望を置く。 ・神が「キリストにあって」与えてくださるものを薄れさせるものは、皆 『邪魔物』。     Outline of the sermon    “Live for God & people.”     (23/06/2013) Read more…

(82) “恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。”

皆さんの中で、床に置いてある30センチ幅で長さ5メートルの板の上を、端から端まで落ちないで歩き通すことができる人はいますか?恐らくほとんどの方が問題なく歩くことができると思います。では、その板を今度は隣り合った10階建ての2つのビルの屋上の間に渡したとしたら、渡ることができますか?きっと皆さん「お断りします」とおっしゃるでしょうね。どうしてでしょう?能力的には問題なく歩き渡れるはずです。なのに誰も渡ろうとはしない。それは『恐れ』が原因です。 このように、私たちは『恐れ』の故に、本来の能力を発揮できなくなることが多々あります。勉強が得意で、テストではいつも百点をとっているのに、授業中の質問には全く答えられない。「皆に見られている」と思うだけで、緊張して答えられなくなってしまうからです。 聖書は、「天地の創造者であり、私たちをこよなく愛しておられる神を知ることを通して、このような『恐れ』を克服できる」と教えています。何故なら聖書が語る神は、「良い方であり、すべてに勝って力ある方であり、そしてそのひとり子を身代わりに死なせるほどに私たちを愛しておられる方」だからです。 不思議なことに、私たちはこの『恐れ』によって「望ましくない出来事」を誘引してしまうことがあります。驚いたことに、ウサギや鹿などの弱小動物は、ライオンやトラが襲ってきたとき、生まれたばかりの赤ん坊を置き去りにして逃げるそうです。これは赤ん坊を見捨てるのではなく、かえって救うためです。何故なら猛獣たちは弱小動物たちの『恐れ』の波長をかぎつけて追いかけてくるからです。生まれたばかりの赤ん坊は『恐れ』を知らないので、襲われる危険性が少ないのです。 私たちはこの『恐れ』の波長を「恵みと力に満ちた『全能の神』に対する信頼」に置き換えることができます。私たちが『恐れ』を抱えている心の中のスペースは、本来はこの「創造者なる神」に対する信頼を据えるスペースなのです。このスペースを『空席』のままにしておくと、悪魔がやってきて、「シメシメ、こいつの『神様用』のスペースは空席のままだぞ」と言って、代わりに『恐れ』を放り込んでいくのです。 幼い子どもは暗い夜道を歩くことを恐れます。でもお父さんが一緒ならこわがることはありません。「お父さんはどんな敵よりも強くて、必ず自分を守ってくれる」と固く信じているからです。私たちの『父なる神』も、私たちがこのように彼に深く信頼し、『恐れ』から解放されて生きることを心から望んでおられるのです。

2013年6月16日 「『~にもかかわらず』の信仰」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ          「『~にも関わらず』の信仰」     (16/06/2013) [ヨハネ19: 12-22]  ⊚ピラトとユダヤ人たちとのやり取り(3つ)  1 [12~13節]  ・カイザルにそむけばピラトは「すべてを失う」ことになる。それを恐れた彼は、最も大切な『神との関係』を失った。  ・イエスは言われた。[ルカ14:26] これは「たとえキリストに従う故に失うものがあったとしても、従うことをやめるな」   という励まし。どんな状況にあってもキリストを選び続ける者に、キリストは必ず報われる。[ルカ18:29-30]  2 [15~16節]  ・ユダヤ人たちは、絶対的な「天地を造られた王である神」がいるにも関わらず、自分たちの願望をかなえるため   にウソをついた。     私たちも『自分の願望実現』のために「神を見て見ぬふり」をしてはいないだろうか? ◆ピラトの無責任な態度。[マタイ27:24]  ・「イエスに対してどう関わるか」は、あなたの人生の大問題。イエスは言われた。[マルコ9:41] もしイエスの弟子   に対してでさえそうなら、「イエスご自身をどう扱うか?」は、どれほど重要だろう?  ・『最後の審判』の場で、神があなたに問うたった1つの質問は、「あなたはイエスをどうしましたか?」  3 [21~22節]  ・ここでピラトは、もはや暴動の恐れが去ったのを見、今更ながら自分の信念を押し通している。 ◆私たち(クリスチャン)の選択  ①自分の身の安全が保証される限り、キリストに従う。   または、  ②たとえ信仰の故に自分が被害をこうむることになっても、キリストに従う。[マタイ10:28] [ダニエル書3:14-18] ☆いつでも、どこでも、誰の前でも「イエス・キリストは私の主です」という告白を失ってはならない!   Outline of the sermon      “I follow Jesus even though …”    (16/06/2013) Read more…

(81) “あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。”

ここクライストチャーチでは、2年半前の大震災以来、そこらじゅうで『道路工事』が絶えません。ところで『工事中』というと、日本の工事現場でしばしば見かける、黄色いヘルメットをかぶったおじさんがペコリとおじぎをしている「ただ今工事中。各方面にご迷惑をおかけしています」という看板を思い出します。 私たちがイエス・キリストを信じて「クリスチャン」として歩み始めると、神の霊が心に働きかけ、私たちは少しずつキリストのごとくに変えられて行きます。いわば『修復工事』が始まるわけです。上記のように、工事中は各方面にご迷惑をおかけして当然です。しかし生真面目な人は時々自力で何とかして工事を終了し、早々と看板を取り払い「完成したふり」をしてしまうことがあります。 あるクリスチャンの夫婦に、待望の始めての赤ん坊が与えられました。結婚前にキャリアウーマンだった奥さんは、何とか『子育て業』をテキパキとこなそうと努力し、完璧なスケジュール表を作りました。「いつも決められた時間に寝かせ、決められた時間に買い物へ出かけ、決められた時間にミルクをやり、昼寝をさせ、そしてご主人の帰宅までに素敵な夕食を準備しておく。」 この見事な計画は、完璧なまでにこなされていくかに見えました。彼女がストレスいっぱいになって爆発するまでは…。やがてその日はやってきました。ある日ご主人が帰宅すると、家の中は散らかり放題。髪の毛を振り乱し、シャワーも浴びることなく、買い物にも行けずに、泣きじゃくる赤ん坊を抱きながら、奥さんは叫びました。「もう、夕食なんか作らないわ!ジャンクフードでも何でも食べてきて頂戴!」 これを見たご主人は、ひざまずいて神をほめたたえ、愛しい妻を優しく抱きしめながら言いました。「やっと『本来のキミ』を取り戻してくれたんだね!」 向上心を持つことは素晴らしいことです。ただ、それが高じて神様の恵みを見失い、「自分の力で成し遂げてやる!」とひとり走りすると、多くの場合燃え尽きてしまうものです。私たちは自分の力で完成するようには造られていません。私たちの造り主なる神の恵みの御手に工事をゆだね、「各方面にご迷惑」をかけ合いながら、1歩1歩成長していけば良いのです。

2013年6月9日 「真の権威に立つ」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ          「真の権威に立つ」     (09/06/2013) [ヨハネ19: 1-11]  ◆血みどろのイエス。[1~2節]   ・ムチ打ちやいばらのトゲで、イエスは血だらけ。しかしその打ち傷の故に私たちは癒された。[Ⅰペテロ2:22-24]   ・何故父なる神は、イエスをこの窮地から救い出さなかったのか?    更に大いなる救いの達成のため。   ・ピラトは「この血みどろのイエスを見れば、ユダヤ人たちの怒りも治まるだろう」と考えたが、甘かった。[4~6節] ◆神への冒涜。[7節]   ・人々がイエスを「死に価する」と言うのは、「自分を『神の子』をするのは、神への冒涜だ」と考えたから。    しかし実際はイエスこそ神の子なのだから、彼らの態度こそ冒涜極まりない。(ローマ兵たちの冒涜:[2~3節])   ・自分の親に向かって「お前なんか俺の親じゃない!」と言うなら、親に対するひどい冒涜。同様に、あなたの罪の身代    わりにひとり子を犠牲にするほどの愛を示された神に対して「アンタなんか神じゃない!」と言うのは、恐るべき冒涜。 ◆『真の権威』   ・ピラトの持つ権威と、イエスの言う権威は根本的に違う。[9~11節] またイエスはこうも言われた。[ヨハネ10:18]   ・『真の権威』に従って生きることは、それが一見自分を不都合な事に至らせようとも、見せかけの権威に従って    得をするより優れている。なぜならその権威を持つ方は、『最善の計画』を持ち、それを成し遂げる方だから。   ・人間関係の内にも、神の権威は働く。(例:「親と子」[エペソ6:1],「夫と妻」[Ⅰコリント11:3])    但し、権威が与えられている者は、「善意」をもって「人を恐れず、神を恐れつつ」それを行使する責任がある。 ◆[Ⅰヨハネ5:5] = ここからズレると、神を冒涜したり、人を恐れたり、神の最善が信じられなくなったりする。 ☆「イエスは神の子である」と宣言し、世にある恐れに立ち向かい、勝利者として生きよう!     Outline of the sermon      “Stand on the true authority.”    (09/06/2013) Read more…

(80) “力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。”

英語に『インテグリティ』という語があります。日本語なら「誠実」とか「高潔」などと訳せるでしょうか?分かりやすく言うなら「まあこれくらいならごまかしてしまってもいいかな。」などと思わない心です。つまり「10円を盗むこと」も「1億円を盗むこと」もどちらも「『盗んだこと』に違いはない」という、大変高い道徳規準です。 オックスフォード辞典によると、このインテグリティはすなわち『正直さ』のことである、と説明されています。歴代のアメリカ大統領の中でも特に尊敬を集めているリンカーン大統領は、20代の頃ある雑貨店で働いていました。ある晩店じまいをしようとしてお金の計算をしていたところ、どうしても6セント余ります。その日店に来たお客さんの顔を1人1人思い浮かべながら、受け渡しした金額を確かめてみると、あるおばあさんにお釣りを渡し足りなかったことが思い出されました。するとリンカーンはその晩暗くて遠い道のりを、わざわざそのおばあさんのところまで、6セントを返しに行ったそうです。これが『インテグリティ』です。 恐らく誰もがこのように誠実に生きることを願うことでしょう。では、何故そのような人をなかなか見つけられないのでしょうか?1つの理由は、『インテグリティ』は、ひとたび軽視して横道に外れてしまうと、もう1度もとの『インテグリティ』に戻るのが至難のわざだからです。ですから『インテグリティ』を保つためには、いつも自分の心を見張っていなければなりません。どんな人も、その人生の真価は、その人の人格によって最も明らかにされるのです。 では、このような『インテグリティ』を育てるために、具体的にどんなことができるでしょうか?実はカギは本当に単純な次の2つのことです。 ①約束を守る: あなたが誰かに約束をする時、あなたはその人に『希望』をもたらします。そしてあなたが実際にその約束を守るなら、あなたはその人の内に「あなたに対する信頼」を建て上げるのです。 ②自分の非を認める: どんな人にも約束を守れないことはあります。そんな時は素直に自分の非を認め、信頼を裏切ってしまった相手に謝罪することです。これは辛い経験ですが、これを軽んじると『インテグリティ』への道は更に遠のいてしまいます。  リンカーンは貧しい農家の出身で、小学校すらまともに通えなかった人物でしたが、その「心の態度」の故に神の祝福を受け、社会のために大いに用いられました。神様はあなたの『インテグリティ』の故に、世界を変えることがおできになるのです。