2014年4月13日 「愛によって働く信仰」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「愛によって働く信仰」     (13/04/2014) [ガラテヤ 5:2~15]  ⊚真の『人生の価値』は「何を成し遂げたか」ではなく「何によって動機づけられているか」の中に見出される。 *イエス・キリストは、私たちが陥りやすい2つの「誤った人生の動機」から私たちを救い出すために来られた。  ①「行いによって認められよう」という動機 [6節]   ・私たちの価値は「私たちの成し遂げたこと」の中ではなく、「私たちをお造りになった方」そして「私たちのため    に支払われた代価」の中に現される。これらは、キリストを受け入れることによって無代価で与えられる『神と    の関係』を通してもたらされる。[4節]  ②「1度きりの人生なんだから、楽しまなきゃ損!」という動機 [13節]    ・「楽しむ」の中身が問題。単に「自分の欲を満足させること」が目標なら、低レベルの満足しか得られない。    ・神は私たちを「共に生きる」ために造られた。真の満足を得るためには「あなたの必要を満たしてくれる人」と     「あなたが、その人の必要を満たしてあげられる相手」の両方が必要。 ◆愛は「行き着く先」を求める   ・神との愛の関係の中に生きるようになると、内側に愛があふれ、その愛は「行き着く先」を捜し始める。その愛    の『注ぎ先』を見出して、その相手に注ぎ尽くす時、「言葉で言い表しようのない喜び」が生まれる。キリストの     愛を伝えるのに『ことば』は1番大切なものではない。[Ⅰヨハネ4:12]   Outline of the sermon   “Faith expressing itself through love.”  (13/04/2014) [Galatians 5:2~15]  ⊚“True value of life” Read more

(119) “恐れのある日に、私は、あなた(神)に信頼します。”

子どもに人気のある伝統的な遊びの1つに「かくれんぼ」がありますよね。ジャンケンで『鬼』を決め、残りのメンバーは鬼に見つからないところに隠れる。隠れるのが上手な人も苦手な人もいます。隠れている間は「いつ見つかってしまうだろう…」とハラハラ・ドキドキ。そしてとうとう見つかってしまったとき、鬼は大喜びしますが、見つかってしまった自分はガッカリ。(いつまでも見つからないままでいるのも困りものですが…) 私たちの人生の中でも「かくれんぼ」があります。会社で上司から隠れようとしたり、反抗期の息子から隠れようとしたり、意地悪なクラスメートから隠れようとしたり…。物理的に姿を隠すことはできなくても、うわべだけの返事や作り笑いの陰に本心を隠したり、他の人にどう思われるかを恐れてつい自分の信念を隠してしまったりすることはありませんか? 考えてみると、「隠れること」は人間の歴史の当初から始まっていました。神から「決して食べてはならない」と言われていた『禁断の木の実』を食べてしまったアダムとエバは「神を恐れて木の陰に隠れた」と聖書の初めに書いてあります。「木の陰に隠れたところで神から身を隠せるはずがないだろう」と思うかもしれませんが、これは単に『隠れている』ことを意味するだけでなく、「関係が壊れてしまっていること」を表現しているのです。 この原則は現代に至るまで同じです。私たちは皆心の底では『隠れること』が問題の根本解決にはならないことを知っています。それは一時的な回避を可能にするかもしれませんが、多くの場合、解決を遅らせた分、問題はさらに増幅されて私たちに襲いかかってきます。ささいな言い争いを恐れたがために、人間関係に大きな溝を生み出してしまうことも度々です。すなわち『隠れること』は『恐れ』に由来し、そして「大切な関係の破壊」に至らせるのです。 ある聖書の記者は書きました。「恐れのある日に、私はあなた(神)に信頼します」と。私たちが「最も力のある方」そして「私たち1人1人に対する慈愛に満ちておられる方」に全き信頼を寄せるとき、もはや私たちは「隠れる」必要はないのです。

(118) “この方(イエス)はご自分の国に来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。”

『人生あきらめが肝心』とは言いますが、「何でもすぐにあきらめてしまう態度」も問題です。優秀なセールスマンでも、顧客15人中14人には断れてしまうそうです。しかし彼らはそこであきらめません。『15人目』と出会うために、次々と前進していくのです。 『No』という返事はしばしば「今はダメだけど、また来てね」ということを意味します。ですから、たった1度断られたからと言って簡単にあきらめてしまうことは正しいとは言えません。あなたは今日までの人生で恐らく何度も『小さな拒絶』を受けてきたことと思いますが、そこであきらめなかったから今のアナタがあるのではありませんか? 言ってみれば、イエス・キリストほど厳しい拒絶を経験した存在はないかもしれません。彼は神のもとから遣わされた『メシア(救い主)』として、神に選ばれた民である『ユダヤ民族』のもとに遣わされましたが、ユダヤ人たちは彼を拒絶したばかりか、「神を冒涜する者」としてのレッテルを貼り、十字架刑に処しました。しかしこの「ユダヤ民族による拒絶」がかえってその『神の救いの計画』を全人類へと広げる結果となったのです。 イエスが人々に『救いの知らせ』を次げ知らせるためにその弟子たちを遣わされた時、彼らにこう忠告しました。「もしその町で誰もあなたがたのことばに耳を傾けないなら、その町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落としなさい。」 もしあなたが誰かから拒絶を経験したとしても、心に浮かんだ苦々しい思いを「払い落として」前進しましょう。あきらめずに前進し続けるなら、必ず理解者と出会うことができます。 また、忘れてはならないことは、仮にあなたがすべての人から拒絶されたとしても、「あなたを決してあきらめず、ありのままを受け入れてくださる方がおられる」ということです。それはイエス・キリストです。彼は人々からの厳しい拒絶を経験されたので、拒絶を受けたあなたの苦しさを深く理解し、また癒すことがおできになるのです。

(117) “もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。”

「罪を憎んで人を憎まず」とは、古くから日本に語り継がれている言い回しですが、実に聖書の教えに通じるところがあります。神は私たち人間を深く愛していらっしゃいますが、私たちの罪とは決して妥協しようとはなさいません。それ故、ご自分のひとり子である『イエス・キリスト』を私たちの代わりに犠牲にしてまで、私たちの「罪の問題」を解決しようとされました。 「そんなに私たちを愛してくださっているなら、『罪あるままで』私たちを受け入れてくれたらいいじゃない。」と思われる方もいるかもしれません。しかし、それは本当の愛ではありません。 「大切なキミ」「そのままのキミが好き」などの絵本の著者としてしられる『マックス・ルケード』は、ある日の愛娘との体験を次のように描写しています。「やっとヨチヨチ歩きが始まったばかりの娘のジェナを連れて近くの公園へ行った。ジェナを砂場で遊ばせていると、アイスクリーム売りが通りかかったので、娘の大好きなアイスクリームを買ってやることにした。ところが、ちょっと眼を離した隙に、ジェナはせっせと口の中に砂を運び入れ始めていた。果たして私は、口の中に砂を一杯にしているような娘でも愛しているだろうか?もちろんだ!口の中に砂をたっぷり含んだこの子は、私の娘としての価値を落としているだろうか?そんなわけはありゃしない!では私は、娘が砂をむしゃむしゃと食べているのをいつまでも放っておくだろうか?そんなバカな!私はすぐさまジェナを抱きかかえて水道のところに連れて行き、抵抗する娘を制しつつ、次のように語りかけながら、口の中と周りとをきれいにしてやった。『私の愛する娘。ホラ、ちゃんと砂を吐き出しなさい。お父さんがもっとずっといいものをあげるからね。』」 私たちの神様も同じです。神が私たちから『罪(よくないもの)』を取り上げるのは、神様が意地悪だからなのではなく、私たちを深く愛しており、私たちに「もっと良いもの」を与えたいからなのです。

2014日3月23日 「キリストにある自由」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「キリストにある自由」     (23/03/2014) [ガラテヤ 4:21~5:1]   *人間が持つ「自分の力で神のことばを成就しようとする性質」とその成り行きを、神は大昔から知らせて    おられる。(創世記の実例)[21節] ◆アブラハムの2人の子 [22節~]   立場 生まれ 象徴 特徴 ハガルの子 イシュマエル 女奴隷の子 肉によって (人間的な知恵と努力) 律法主義 自由の子を迫害 サラの子 イサク 自由の女の子 約束によって (神の一方的な恵み) キリストによる解放 全財産を相続 ◆真の自由 [5:1]    ・『自由』とは、「自分の気の向くままに生きること」ではない。そんな生き方はやがて『不自由』を招く。    ・人は1人では生きられない。そして関係の中で「気の向くまま」に生きたら、皆が不自由になる。 ⊚「真の自由」には、2つの要素がある  ①「奴隷のくびき」からの解放    ・「奴隷のくびき」とは?    「自分の力で救いを得る」という信念の故に、「神からの豊かな恵み」を見失い、                             かえって真の救いから離れていく、という悪循環。(サタンの罠)     Read more

2014年3月16日 「キリストが形造られるまで」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「キリストが形造られるまで」     (16/03/2014) [ガラテヤ 4:12~20]  ◆ガラテヤ教会に見られる三角関係   パウロ              律法的ユダヤ人クリスチャン                                 ガラテヤの教会 ◆「私のようになってください!」[12節]   ・律法的ユダヤ人クリスチャンたちは「自分たちがしてきたように、律法をも守らなければ救われない!」と主張    した。一方パウロは、敢えて以前の「ユダヤ人としての生き方」を捨て、異邦人の中で異邦人のように生き、    律法によるのではない「イエス・キリストにある恵み」による救いを宣べ伝え、それに生きた。 ◆キリストにある恵み(福音の恵み) [17節]   ・「神は心の優しいお方だから、私たちの罪を見過ごしてくださる」のではない。決して罪と妥協なさらない方で    あると共に、私たちを愛して止まなかったので、ひとり子イエスを私たちの代わりに『罪』とし、キリストの代わ    りに私たちを『義』とされた。[Ⅱコリント5:21] この「あり得ない神の恵み」が、『キリストにある(福音の)恵み』。 ◆イエス・キリストを着る    ・私たちの救いは「私たちがどのような人間か?(律法主義)」によるのではなく、『キリストの義』をまとっている     かどうか。「キリストなしの私たち」は、神の前に立てない。    ・キリスト以外のもの(律法,財産,能力など)に頼ろうとする生き方は、人生からキリストを締め出すこと。[19節] ◆自分自身を吟味して!   ・神はあなたをご覧になる時、あなたの内におられるキリストをお捜しになる。あなたの内のキリストがどれだけ    神の眼にあざやかに映るかは、あなたがどれだけ「キリストなしには生きられない者」になっているかによる。    それはあなたにしか分からない。     Outline of the sermon   “Until Christ is formed in you.”  (16/03/2014) [Galatians 4:12~20]  Read more

(116) “あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。”

聖書は私たちに『個人の尊厳性』を教えると共に、「自己中心性」というものを強く戒めてもいます。イエスは人々から「最も大切な戒めは何ですか?」と問われたとき、迷うことなく「心を尽くしてあなたの神を愛し、またあなたの隣人を愛することだ」とおっしゃいました。私たちが「自分のことで精一杯」になってしまっている時、私たちは人間本来の生きる意味を見失っています。それは「神と人々とを愛し、またそのために生きること」です。 2003年に33種類の様々な調査団が、その調査の共通した結果として「人間はその人生の最大の意義を『関係』の中に見出している」と発表しました。すなわち、人間は1人で生きるようには造られていないのです。 その人生の長い期間を『戦闘部隊』で過ごしたチャック・コルソンは、その晩年に次のように述べています。「80年の人生を振り返って私が確信をもって言うことができるのは、『私の人生の最大の喜びは、自分自身の時間や労力を他の人々のために使って、そして彼らがそれを肥やしとして成長していくのを見ることだった』ということである。私はいつも部隊のリーダーとして45名の部下を引き連れて戦場へ行ったが、そのときに生きて帰ってくるためにどうしても必要だったのは『互いのための献身』であった。自分の隣りにいるメンバーが自分のバックアップとして命懸けで支えてくれないとすれば、それは自分の死を意味するのである。『隣人への献身』これがなければ、1人1人の人生はまさに無に等しい。『他の人のために自分をささげること』この中に私たちは人生の意味と目的を見出すのである。」 もし私たちに「このためになら死ねる!」というものがないなら、「私はこのために生きている!」と言えるものがないのと同じことです。聖書はそれが「神と人とのために生きることである」と教えているのです。