2014年3月9日 「『~にも関らず』の関係」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「『~にも関らず』の関係」     (09/03/2014) [ガラテヤ 4:8~11]  ◆奴隷と子供 [8節,ローマ8:15]   ・『奴隷』と『子供』の違い ― 主人(父親)とのつながりに条件があるかどうか。(一時的 or 恒久的)   ・「本来神でない神々」[8節] = 背後に悪霊の存在  ①礼拝されたい(私たちの注目を神から引き離したい)                                    ②目先の必要を満たし、私たちをこの世の価値観に従属させようとする ◆キリストによる解放 [9節]   ・「神を知っている者」(大衆の1部)より、むしろ「神に知られている者」(パーソナル)としての歩み。   ・「特別な立場を手に入れるために奮闘する」のではなく、「『置かれた立場』を理解し、それにふさわしく生きる」 ◆神が望んでおられる関係 = (「~だから」ではなく)「~にも関らず」の関係   *『絶対的信頼』に裏打ちされた、「理由・言い訳」の要らない関係     ・唯一の理由:「聖書にそう書いてある(お父さんがそう言った)から」   ・私たちの『信頼』の基盤 ― 神は正しく、愛に満ちた方(恵みとまことに満ちた神) ✯幼子が親に信頼するように、「理由を求めない信頼」を寄せながら、神と共に歩みましょう   Outline of the sermon   “The relationship of ‘Regardless’.”  (09/03/2014) Read more

(115) “愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。”

聖書の中で、使徒パウロは次のように言っています。「たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。」 多くの人々(恐らく全ての人)は『愛』を追い求めています。そしてこの『愛』とは決して「1人きり」でいるところでは学んだり用いたりすることはできません。『愛』を知るために、また体験するために、私たちは「人々の間に入って行く」必要があります。「面倒くさい人間関係」「決して思い通りにならない相手」「時には嫌になるほど様々な要求をしてくる人々」の中に入って行かなければならないのです。それ故私たちはしばしばこの『人間関係』というものをできるだけ後回しにしようとしたり、または無意識のうちに自分1人でさっさと作業を終わらせ、その場を後にしたりしてしまいます。「あぁ、あの人と会う時間を作らなきゃ」とか「今度はいつ家族と過ごす時間を取れるだろう?」などと考えることもありますが、実際そのこと自体が『人との関係』というものが生活パターンの中で優先順位の低い場所に位置してしまっていることを現わしているのです。 「『愛すること』『人との関係』というものが大切」ということが分かっているのに、何故こうなってしまうのでしょう?それは、良い関係を築くのには時間と労力が必要だからです。現代の私たちは、経済的な基盤を築いたり、自分の目標を成し遂げたりするのに忙しすぎて「人と過ごす時間を優先する」余裕を失ってしまっているのです。しかし、実はこれらのことは人生における2次的なものであって『最も大切なもの』ではありません! 「人生で最も意義のあること」それは、『人と神とを愛すること』です。神のご性質をひと言で言い表わすならば、それは『愛』です。それ故私たちが「愛する」時、私たちの間に『神の香り』が放たれるのです。マザー・テレサは次のように言いました。「大切なのは『どれだけのことをしたか』ではなく、『どれだけ愛を込めたか』です」。この『愛』こそが私たちが受け取りうる、また与えうる最高の財産です。「『人生』-『愛』=0」なのです!私たちの生涯の終わりに至る時、皆が「人生とは『人との関係』がすべてであった」と気付くのです。『人生の知恵』とは、いかにそのことに早く気付くか、ということです。どうぞあなたがこのことに気付くのが遅すぎることのないように。

2014年3月2日 「神による相続人」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「神による相続人」     (02/03/2014) [ガラテヤ 3:29~4:7]  ◆大いなる時(「父の定めた時」[2節],「定めの時」[4節])   ・神にとっては「キリストを地上に遣わした時」が『大いなる時』。   ・人間にとっては「キリストを自分の救いとして受け入れた時」が『大いなる時』。 ◆相続人(全財産の持ち主)[1節・7節]   ・神は「ご自身の豊かな財産を受け継ぐ者たち」を求めておられる。   ・『神の霊』は、私たちに「神の子どもであることを自覚させるため」だけでなく、「子として与えられている相続    財産が何であるかを知らせ、それを楽しませるため」にも与えられた。[Ⅰテモテ6:17,Ⅰコリント2:12]   ・イエスは「心の貧しい者は幸いである」とおっしゃった。それは、この世の思いで心がいっぱいだと、せっかく    与えられている「神からの豊かな富」を認識することができないから。 ◆聖霊の働き [6節]   ・聖霊の最優先的な働きは、異言・預言・癒しなどのセンセーショナルなものではなく、「信じる者を、神の子供    として整えること」である。   ・神は、イエスでさえ聖霊(御子の御霊)を受けるまでは、子として特別に扱うことをされなかった。       そしてそれが起こったのは、イエスが「洗礼を受けた」時![マタイ3:15-17] ◆洗礼を受けようとしない2つの誤った理由   ①「自分はまだ不十分だ」と思うから。    キリストが生涯の終わりに成し遂げられたことが分かってない!   ②「信じていれば受けなくてもよい」と思うから。    キリストが公生涯の初めになさったことが分かってない!     Outline of the sermon   “God has made you an heir.”  (02/03/2014) [Galatians 3:29~4:7]  Read more

(114) “さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。”

ローリィ・シュナイダ―さんは、エベレスト山の登頂に成功した数少ない女性の1人ですが、彼女はその栄光に甘んじることはしませんでした。「多発性硬化症」と診断された彼女は、次の夢をあきらめるどころか、かえって仕事をやめて世界6大陸の最高峰の登頂に挑戦する方を選んだのです。そして10年後にその夢を見事に実現しました。 この偉業を見届けた後、ローリィさんのお父様は次のようにコメントしました。「娘にとって『多発性硬化症』との診断を受けたことは、彼女の『障害』となるよりもむしろ『踏み台』となりました。彼女はそれを『妨害』としてではなく『挑戦』と受け取ったのです。」 ローリィさんの今の夢は、彼女同様「大きな挑戦」に直面している人々に、「慌てずに1歩1歩前進していけば、世界一高い山でさえ、乗り越えることができる」というメッセージを伝えることだそうです。 イエス・キリストに従う人生も同じです。私たちが目指しているのは「完全になること」ではなく、「成長すること」です。「完成まであとどれくらいか」を測るのではなく、むしろ「昨日よりもどれくらい進んだか」を測るべきなのです。それがたとえたった1センチメートルの前進であったとしても、それは大いに喜ぶべきことなのです。

(113) “小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。”

心理学者たちの調査によると、私たちの行動の90%は『習慣的に』行われているそうです。90%ですよ! しかし考えてみるならば、私たちは皆この『習慣の力』というものの恩恵に多大にあずかっています。私たちは「習慣的に」生きているからこそ、多くのことをより迅速に能率良く行えるわけですし、1つ1つの小さなことにイチイチ煩わされることなく、大切なことに十分な注意と力とを注ぐことができるわけです。 しかし、ということは「良い習慣を育むことは人生の成功につながり、悪い習慣に支配されることは破滅を招く」ということも言えるかもしれません。「ついつい食べ過ぎてしまう」「万年の運動不足」「どうしてもタバコがやめられない」「自分は5時間睡眠で十分やっていける」などなど。日常のつい見逃してしまいがちな些細な『悪習慣』、その時は「まあ、いつか修正すればいいさ」で済ましてしまいがちですが、それらは確実に私たちの人生を蝕んでいるのです。そしてこの『習慣の力』の恐ろしいところは、「その習慣による悪影響がはっきり認識されるようになった頃には、既に手遅れになりかけている」ということです。 ある有名な企業の創始者は次のように言っています。「自分の夢を成し遂げようとする者が最も力を注ぐべきことは、自分を誘惑してくる『悪習慣』を徹底的に破壊し、夢の実現に役立つ『良い習慣』を何度も繰り返すことだ。」 では、そのような『良い習慣』をどのように見出していけば良いのでしょう? 1つの驚くべき事実は、世界人口の1%にも満たない『ユダヤ人』が、ノーベル賞受賞者の50%以上を占めているということです。彼らは幼い頃から聖書を学び、あるいは暗唱し、神を中心とした自意識、世界観、人生観を持って生きています。「自分の心のおもむくまま」ではなく、「神を恐れ、聖さを求め、常に自分自身を神の前に見張る姿勢」こそ、良い習慣を育む原動力なのです。

2014年2月16日 「キリストにつく者」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「キリストにつく者」     (16/02/2014) [ガラテヤ 3:23-29]     *ここでパウロはとても大切なトピックについて2つのポイントで解説している。 ①信仰によって『神の子ども』とされる [26節]  ◆アイデンティティーと平安   ・自分が「何者であるか・どれほどの価値があるか」を移ろいやすいものに置いているうちは真の平安がない。          信じる者に与えられている確固たるアイデンティティー = 「神の子ども」   ・私たちは神からの『不変の愛』を注がれており、完全な保護と確かな未来とが約束されている。  ◆「律法」と「信仰」の関係 [23~25節]   ・「律法は私たちをキリストへ導くための養育係となった」  ―  律法(手段) ・ 信仰(目標)   ・信仰とは、『神への応答』(救いの招きは、神からのプロポーズ) ②バプテスマ(洗礼)によって『キリストにつく者』とされる [27節]   ・洗礼は「結婚式」に似ている。(『お試し』ではない!) 「どっちつかず」から手を切る決断      慎重であるのは悪くないが、結婚生活が始まるまでは「相手の本当の素晴らしさ」は味わえない。   ・「あなたがどういう人物であるか」は問われない。[28節] (あなたの過去も、罪も、弱さも、聖書知識も…)   ・「キリストのもの」であれば、「祝福の相続人」。[29節] ✯「神の子ども」そして「キリストにつく者」とされましょう!     Outline of the sermon   “Be baptized into Christ!” Read more

(112) “私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。”

皆さんは「もっと人のためになりたいと思っているのに、なかなか実践できない」とか、「そんなことを言うつもりはなかったのに、つい相手を傷つけるようなことを言ってしまった」などという経験はありませんか?もちろん私もあります。どうしてそんなことが起こるのでしょう?聖書は「それは私たちの心の中に『悪の原理』が宿っているからだ」と言っています。常に「正直に生きよう」と意識していない限り、私たちはついついこの『悪の原理』に振り回されます。あたかも私たちの心の中にある「自動操縦装置」かのようです。 アメリカ南部に生育するある「つる性の植物」は、いったん庭木や塀にからまり始めると、それをすぐに抹殺してしまわない限り、あっという間に庭全体を覆い尽くしてしまうそうです。 私たちの心の『悪の種』も、小さなうちに摘み取ってしまわないと、雪だるま式に大きくなって、収集がつかなくなってしまいます。軽い気持ちでついた「悪気のない嘘」が、前述のつる性植物のようにあなたの心の中にからまり始め、ついつい「出まかせの言い訳」がクセになり、気がついた時には誰からも信用されない『嘘つき』のレッテルを貼られてしまうのです。 では、私たちは一体どのようにしてこの『悪の原理』に侵されることなく、正しい歩みをすることができるのでしょうか? まず朝ごとに(他の何事も始める前に)、すべてのことをご存知で正しくさばかれる神の前に出て(祈りや聖書のことばを通して)、心の中が暗闇で覆われてしまう前に、神の『真理の光』で照らしていただくのです。そして、心のベルトをしっかりと『真理の霊(神の霊)』につながれて、この神の霊が私たちを導いてくださるのを感じながら1つ1つの営みを進めていくのです。 「私は自分の心を自分の力で十分制御できる」と思うのは、傲慢に過ぎません。神はいつでも「へりくだる者に助けを与えてくださる方」なのです。

2014年2月9日 「『契約』による神との関係」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「『契約』による神との関係」     (09/02/2014) [ガラテヤ 3:15-22]  ◆「契約・約束」と「律法」 [17~18節]   ・人間の場合であっても、父親は子供に対する『約束』を何としても守ろうとする。それは「相手がそれにふさわ    しいから」ではなく、一方的な愛の故。『律法』は「神からの条件」ではなく、むしろ「神の性質・願い」の表現。   ・神が律法を与えたのは、「私たちがそれにふさわしくないにも関わらず、神は私たちを『子』と認めてくださる」    という、ご自身の驚くべき恵みを私たちに分からせるため。     *では何故すべての人が自動的に救われるようにしないのか?    私たちに「拒む余地」を残した。 ◆「律法」ではなく、「信仰」による [21~22節]   *何故神は「行い」ではなく、そこまで「信仰」にこだわるのか?       ― アダム&エバと神との関係が壊れた原因は、彼らが「禁断の木の実を食べた」という『行為』ではなく          「神の(「必ず死ぬ」という)ことばよりも、悪魔の言うことを信じた」という『信仰』の問題だから。   ・「神への信仰」が結果として「神に対する従順の行為」として現される。   ・神が求めておられるのは「形だけの従順」ではなく『関係』。だからこそ、強制はできない。(これが神のみこころ!)       ただ、自分で下した選択の結果は、自分で刈り取ることになる。(アダムとエバのように…) ✯今日も神は「律法(私たちの行い)」ではなく、「ご自身の変わらない約束」によって『関係』へと招く   Outline of the sermon  “Relationship with God through covenant.” (09/02/2014) [Galatians 3:15-22]  ◆ “The promises(covenant)” and “The Read more

(111) “私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。”

外見で人を判断することは、しばしば大きな失敗の原因となります。しかし実際に私たちは第1印象によってその人に対する見方を大きく左右されてしまうのも事実です。ある人の調べでは、初対面の人からの悪い印象でその人に対する見方を決めるのには10秒もかからないそうです。その人の外見、声の調子、握手の仕方、物の考え方などが自分とは違うと、つい「この人のことは好きになれない」と決め付けてしまうものです。 『好み』というものは誰にでもありますから、すべての人のことを「好き」になる必要はありませんが、それらの人々を「愛する」ことは可能です。人間というものは『外見』や『能力』以上の存在です。たとえその人の顔かたちや体格、立ち振る舞いが気に入らなくても、「この人は偉大な神によって造られた傑作品である」ということに気付くなら、愛することは可能になります。もし私たちが「神様、私はどうしてもあの人のことが好きになれません。でも、あなたが彼をご覧になっているように、私も見ることができるように助けてください!」と祈りつつ、大胆にアプローチしていくなら、『愛せない』というハードルを飛び越えることができます。『悪印象』を形作るのに10秒もかからないとすれば、いったん「愛する」と決めて相手に接していくなら、同じく短時間で相手に対する全く新しい見方を体験することができるのです。要するに「気分」ではなく「決断」の問題なのです。そして素晴らしいことに、「どうしても好きになれないと感じていた相手」を愛することができる術を身に付けた人は、「神がいつも共におられる」ことを実感しながら生きる者とされ、恐れから解放され、あらゆる環境の中で『愛による影響力』を流していくことができるようになるです。

2014年2月2日 「アブラハムの祝福」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「アブラハムの祝福」     (02/02/2014) [ガラテヤ 3:8-14]  ◆先週の復習と今日の箇所の要点   ・先週は「ユダヤ人たちは『すべての人々の祝福の基となる』という使命を忘れた」ということを学んだ。   ・今日の要点は、「キリストは私たちの代わりに『のろい』を受け、またご自分が持っておられた『祝福』を私たち    に受け継がせてくださった」ということ。[13~14節」 その祝福とは ― 『約束の御霊』。 ◆「約束の御霊による祝福」とは?  ①子としての身分を受ける [ガラテヤ4:4-6]    ・キリストの身代わりの死を信じる私たちは、今や神の目に「愛する我が子」と映っている。  ②子としての実質が結ばれる [ガラテヤ5:22-23]    ・私たちは日々(少しずつ)キリストのごとく変えられて行く。    ・実が結ばれるのは、枝の努力によるのではなく、ただ幹(キリスト)につながっていることによる。 ◆神の永遠・不変のご計画   ・神の計画は、天地創造以来変わっていない。それは「この地を、ご自身の子供たちで満たす」こと。   ・悪魔の企みも変わっていない。「私たちに神の愛を疑わせ、自分の力に頼らせようとする」。 ◆「信じる」とは?   ・祝福を受け継ぐのは「信じる(自分ではなく、神に頼る)者」。    神がアブラハムをお選びになった時の、たった1つの条件は = [創世記12:1] そうすれば… ✯『コンフォート・ゾーン』から抜け出し、信仰による新しい1歩を踏み出そう!   Outline of the sermon   “Be blessed along with Read more