2023年6月4日 「成熟を目指して」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ     「成熟を目指して」     (04/06/2023) [へブル人への手紙 5章11~6章3節] ◆『乳』と『固い食物』(12~14節)   ・この手紙はユダヤ教からの改宗者に宛てて書かれているので、『霊的な幼子』というのは「聖書や神について  よく知らない人」という意味ではなく、むしろ「『信仰による救い』を十分に把握できず、改宗後も相変わらず『自分自身』に望みを置いてしまっている人」を指している。  ・ここで言う『乳』とは、「旧約聖書の中に証されている『メシヤ(キリスト)』を分かり易く解き明かしてもらうこと」であり、『固い食物』は「私たちを『キリストの花嫁』として整え、永遠の神の都へと招き入れる『御霊による新しい律法』」を指している。これには「キリストへの明け渡し」が必須であり、ユダヤ人にはとてつもないシフトだった。 ◆クリスチャンにとって『成熟』とは何なのか?(6章1節)   ・私たちも「努力して目標を達成する」という価値観が染みついているので、同様の『明け渡し』が必要である。   ・今日は洗礼式があるが、パウロはバプテスマに関してこう書いている。[ローマ6:3-4] キリスト者が『成熟』に向かうとは、「神に従って生きることが最善である」と心から納得し「日々十字架を負ってキリストに従うこと」である。キリストにある『死と復活(ピリピ3:7-11)』を体験し、「神にしかできないビジョン」を受け取って歩んで行こう! ✰今週のチャレンジ: あなたは「キリストにある成熟」を目指していますか? ◎更に深い学びのために  ①あなたは「自分は霊的に幼子だ」と感じますか? それはどうしてだと思いますか?  ②ここで言っている「乳」と「固い食物」とでは、どう違うのでしょう?  ③キリスト者として更に『成熟』へと向かうために、あなたが成すべきことは何だと思いますか? Outline of the sermon     “Let’s go on to Maturity!”    (04/06/2023) [Hebrews 5:11~6:3] ◆“Milk” and “Solid food”.(Verses12~14)   ・We should be aware that this Read more…

(529) “全き愛は恐れを締め出します。”

 カウンセラーでもあり、著名なコラムニストでもあるアン・ランダーさんは、月に1万通もの「人生相談」的な手紙を受け取りますが、その中のほとんどが『恐れ』に関わる内容だそうです。健康上の恐れ、経済的な恐れ、「親しい人を失うのではないか」という恐れ、そして自分自身の『死』に関する恐れ… 『恐れ』というものに人生の支配権を譲渡してしまうと、その人の人生は完全に『恐れ』にコントロールされるようになってしまいます。では、この『恐れ』というものに一体どう対処したらよいのでしょう?  ある調べによると、聖書には「恐れるな!」という表現が365回出て来るそうです。あたかも神様が私たちに毎日「恐れる必要はないんだよ」と語りかけてくださっているかのようです。それもそのはず、神様はあらゆる災いに打ち勝つ力を持っておられる方であり、しかも私たちを『無条件の大きな愛』で完全に愛してくださっている方なのですから。なので、私たちが『恐れ』に打ち勝って生きられるかどうかは、神様の側にかかっているのではなく、それに信頼するかどうかの「私たちの側」にかかっているのです。  私たちは生きている限り『成長』し続けます。そして成長の過程には必ず「新たなチャレンジ」があり、新しいことにチャレンジしようとする時にはどんな人でも何らかの『恐れや不安』を経験することでしょう。そういう意味で「人生に恐れはつきもの」と言えます。そして『信仰』とは、「関係を選択すること」です。『恐れ』が私たちの心をノックして来た時に、それを迎え入れて住みつかせるのではなく、「私は全能の神との関係の中で生きることに決めた。だからお前は私の人生とは無関係だ。とっとと出て行け!」と言って門前払いを食わせるのです。そのようにして、今日も「神様、あなたの愛の中で歩みます」と宣言しましょう!

2023年5月28日 「人となられた神の御子」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ 「人となられた神の御子」 (28/05/2023) [へブル人への手紙 5章1~10節] ◆大祭司の2つの資質   ①人々の心に寄り添いつつ神に仕える[1~2節]  ②神の選びによる[4節]   ・イエスの『祭司』としての立場も「神の選び」によっていた。[5節]   ・イエスは「神の御子」であられたのに、肉体をもって『人』となって私たちに寄り添った。 ◆苦しみによって『従順』を学ぶ(8~10節)   ・『神の御子』として元々完全に神に従順であり、全知全能でもあるイエスが、改めて「従順を学ぶ」ということがあり得るのか?今日は特に「神の子が肉体をもって『人』となられたこと」について更に考察してみよう。   ・イエスは敢えて「超自然的な力」に訴えなかった(「神の子としての力」を『逃避』のためには用いなかった)。[マタイ26:51-54] いわばイエスは「人として地上で神に従えばどのようになるか」を学ばれた。それは私たちがご自身に『従う者』となり、「永遠の救い」を受け取る者とされるため。この『従順』のゆえに御父は御子に栄光を与えられた。[ピリピ2:6-9] これは御父が私たちにも受け継がせたいこと。[ピリピ1:29]   ・『神の栄光』は試練の中で「神への従順」を貫く時に現される。「Why」ではなく「For What」と尋ねる者であろう! ✰今週のチャレンジ: 「イエスに従う」とは、どういうことでしょう? ◎更に深い学びのために  ①「大祭司の2つの資質」とは何でしょう? イエスはそれらをどのように現しておられましたか?  ②イエスは「ご自分に従う人々にとっての『永遠の救いの源』となるため」に、どのようなことをされましたか?  ③『神の栄光』はどんな状況で現されることが多いですか? またそのような体験があるなら分かち合いましょう。 Outline of the sermon   “Son of God became human.”  (28/05/2023) [Hebrews 5:1~10] ◆ 2 natures of high Read more…

(528) “良い人は、その心の良い倉から良い物を出します。”

 人間の『善良さ』というものは一体どこから生まれてくるのでしょうか?またどのように育むことができるのでしょうか?  ある人々は「多くのことを学べば良いのだ」と言います。「正しく学べば正しく生きられる」と。今日、多くの社会では『教育』こそが世の中を改善するための万能薬のように叫ばれますが、「高い水準の教育」は、同じように高い『道徳的基準』と共に養われるのでないなら、単に「頭でっかちな人々」を生み出すことしかできません。もし本当に『教育』こそが社会を良くするツールであるなら、もはや『知能犯』などは存在しないはずです。  別の人々は「良い行いをするようにしつければ良いのだ」と言います。しかし『良い行い』は決して人を『良い人』へと育てることはできません。むしろ「良い行いの勧め」は私たちを「人前では偽善をふるまうが、隠れたところで憂さを晴らす人間」へといざないます。『真の善良さ』とは、『正しい教育』や『正しい行い』によって育まれるのではなく、『正しい心』によって育まれるのです。  『善良な人』とは、その人が「何を知っているのか」とか、「どんなことをしているのか」ということにあるのではなく、「何者であるのか」という「その人の『存在』自体」が問われているのです。イエス・キリストは「天の父以外には『良い方』はいません」と断言しました。この「全宇宙を私たちの益のために最高に創造された神」との関係の中に日々生きて行こうとする時、私たちは『真の善良さ』へと近づいて行くことができるのです。

(527) “横たわる時、あなたに恐れはない。休むとき、眠りは心地よい。”

 社会人になってから、病気の時以外で『昼寝』をしたことはありますか?  『昼寝』と聞くと、何となく「やるべきことをせずに怠けている」というイメージがあるかもしれません。私の生まれて初めての「異国体験」はインドネシアでした。赤道直下の暑い国だということもあり、勤め人たちは午前の仕事を終えると一旦帰宅し、昼食を食べたあと小一時間「お昼寝」をしてから再び会社に戻る、という生活をしていました。その時はとても違和感を感じたことを覚えています。  その後結婚して3人の子供たちが生まれた後、私たち家族は「バヌアツ共和国・ウリピブ島」という離れ小島で『宣教師』として4年間働きましたが、実を言うと、そこではほぼ毎日昼食の後『お昼寝』をしていました。暑かったり、文化の違いでとても疲れていたことも大きな理由でしたが、もう1つの理由は「島の他の人たちも皆寝てしまっているから」でした。  恐らく皆さんも、昼食の後に「眠い」と感じることがあると思います。学生の頃、お弁当の時間の直後の授業はいつも目を開けているのが大変でした。思うにこの生理現象は「怠慢の現れ」ではなく、「神が人間をそのように造った」のではないでしょうか?  ある調査結果によると、1日に少なくとも30分、週に少なくとも3回『お昼寝』をする人は、そういう習慣がない人と比べて「心臓麻痺で死ぬ確率」が3分の1に減るそうです。また『お昼寝』の習慣を持つ人は、他の人たちに比べて「創造性や記憶力」に優れているそうです。ある著名な神経科医は「人が眠っている時にも脳は働いており、しばしば問題解決の糸口や奇抜で新しいアイディアを想起させる」と言っています。「『昼寝』は体重のコントロールにも有効である」という研究結果も出ています。私たちの小腸内で分泌されるホルモンに『グレリン』というものがあって、私たちに空腹感を覚えさせ、特に「甘いもの・しょっぱいもの・でんぷん質のもの」など(要するに『ジャンクフード?』)に対する欲求を起こさせるのですが、私たちが「ちょっと余分な睡眠」を取ることによって、私たちの腸内にある『グレリン』は減退するのだそうです。  聞くところによると、多くの歴史的偉人(アインシュタイン,エジソン,チャーチルなどなど)は、よく『お昼寝』をしていたそうです。『昼寝』の効果を軽視してはいけません。ぜひ今日から「敢えて昼寝をする習慣」というものを試してみてはいかがでしょうか?

2023年4月2日 「偉大な大祭司イエス」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ   「偉大な大祭司イエス」   (02/04/2023) [へブル人への手紙 4章14~16節] ◆私たちの弱さ (14~15節)   ・[14節]で「『信仰の告白』を堅く保とう」とあるが、どんな『信仰の告白』のことを言っているのだろうか?これが今日のポイント。   ・また[15節]では、「私たちの大祭司(イエス)は、私たちの『弱さ』に同情できない方ではない」と言っているが、本当だろうか? そもそも『私たちの弱さ』とは?   ・韓国歴史ドラマの「お忍びで民の現状を知ろうとする心優しい王」のように、主イエスは「本来『神の作品』としてずっと豊かな人生を送れるはずの私たちが、現状の『弱さ』に甘んじようとしていることに悔しさを覚える。 ◆何を「信じる」のか? (16節)   ・イエスは何故『偉大な大祭司』と呼ばれるのか?それは、一般の祭司のように「民から受け取ったいけにえを、単に民の代わりに屠る」のではなく、「自分自身を、民のためのいけにえとして、神の前に屠られた」から。   ・私たちの『信仰の告白』とは、この「驚くばかりの神の恵み」に対する『応答』である。パウロは、この信仰告白をローマ人への手紙の中で代弁してくれている。[ローマ8:32] この「恵みの御座」に大胆に近づいて行こう!✰今週のチャレンジ: あなたはどんな『信仰』で神に近づきますか? ◎更に深い学びのために  ①イエスは、私たちのどのような『弱さ』に対して、歯がゆく感じたり、同情なさったりするのでしょう?  ②一般の祭司たちの職務と、イエスが『偉大な大祭司』としてなさったこととは、どのように違いますか?  ③この「神の恵みのわざ」に対してふさわしい私たちの『信仰の告白』とは、具体的にどのようにすることですか? Outline of the sermon    “Jesus, a great high priest.”   (02/04/2023) [Hebrews 4:14~16] ◆Our weaknesses. (Verses14~15)   ・What kind of “confession”(verse14) should Read more…

(526) “最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です。”

 もし仮にあなたが会社の人事部長で、新しい社員を採用することに責任ある立場だったとしたら、入社希望者たちのどのような資質を評価対象にするでしょうか?能力?性格?経歴?もちろん働いてもらう部署や役割の性質にもよるでしょうが、1つの欠かすことのできない資質は、『忠実さ』ではないでしょうか。  考えてみると、人生にはいくつかの『ビッグイベント』も起こりますが、ほとんどは「ささいな出来事」に満ちています。ですからこれらの「ささいな出来事」にどう対処するかが、私たちの人生に対する態度を構成していると言うことができます。もしこれらの「ささいな出来事」に対して不忠実な生き方をしていたら、それはそのまま「人生をいい加減に生きている」という評価につながってしまいます。  現代はSNSの時代です。私も個人的に「Eメール」「携帯メール」「ライン」「Facebook」「What’s up」などの通信システムを使っていますが、正直言ってジャンクメールや様々なコマーシャル・勧誘などが送られてきてイヤになる時もあります。しかし、それらの中には「親身になって聞いて欲しい」「どうしても期限までに返事が欲しい」という願いが込められたメッセージも含まれているはずです。それらのものを「たくさんの中の1つにしか過ぎないのだから…」と言っておろそかにしてしまうなら、私たちは大切なものを見失ってしまうことになります。そのような軽率な態度は、人生の中で本当に大きな事を任された時にも、私たちが「まあ、これくらいやっておけばいいか」という安逸な気持ちで対処してしまう者へと陥れる危険性があるのです。  私たちに命を与え、この地上に送り出してくださったのは、私たちの天の父である神です。いわば私たちの『大ボス』はこの「全宇宙の創造主である方」なのです。私たちは、この方に見込まれて、この方の大きな期待の許で日々を「生かされて」います。そのような栄誉を与えられている者として、今日も1つ1つのことに心を込めて忠実に歩んで行きましょう。