上記の聖書の言葉によると、『悪い者(悪魔)』は私たちに「火矢を放つ」と書いてあります。一体どんな「火矢」を放ってくるのでしょうか?それは必ずしも「病気・災難・呪い」といった類というわけではなく、恐らくもっと日常的に私たちを悩ませる「心配事・落胆・家族や友人とのいさかい」などかもしれません。

 聖書は私たちに、そんな時には『信仰の盾』を取れ、と教えています。『盾』とは本来兵士たちが戦場で敵の攻撃を防ぐために使う道具ですが、それらはただ「持っているだけ」では役に立ちません。敵の攻撃から身を守るために「構えて」いなければならないのです。敵である悪魔が私たちの人生・生活を脅かそうと様々な「火矢」を放ってくる時、私たちはこの『信仰の盾』を構えている必要があるのです。

 では「信仰」とは、どんな(何に対する)信仰なのでしょう?「自分自身の経験や能力」に頼ることでしょうか?決してそうではありません。残念ながら、私たちの敵である悪魔は私たちのこと弱点を熟知しているので、私たちが『自分自身』に頼っている間は隙だらけなのです。そうではなく、この『信仰』は、私たちをこの上なく愛してくださっている『全能の神』に対する信頼です。このお方はご自身に信頼して助けを求めてくる者を決して拒むことのできないお方なのです。ですから私たちは「主よ。このような恐れや不安の中で、私はあなたを見上げ、あなたに信頼します!」と告白し、『信仰の盾』を掲げるのです。

 イエス・キリストは悪魔の攻撃を受けた時、「聖書のことば(神の約束)」を引用することによって対抗し勝利しました。私たちもキリストの模範に倣って、『聖書のことば』を引用することによって「神に対する信頼」をアピールできるなら、それ以上のことはありません。悪魔の攻撃は、「神に全き信頼を置く者たち」に対しては無力なものとなるのです。

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