(270) “草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。”

1445年にグーテンベルクによって「活版印刷術」が発明されて以来、『聖書』は今に至るまで毎年世界のベストセラーです。一体『聖書』の何がそうさせるのでしょうか?ある匿名の著者が残した次のような文章があります。 「聖書には『神の心・人間の性質・救いへの道・罪人の宿命・信じる者への祝福』が書かれている。聖書はあなたを導く光であり、あなたを育む食物であり、あなたの心を元気づける。聖書は人生の旅路のためのロードマップであり、人生航路の羅針盤であり、人生上の戦いのための武器であり、人生の舞台を最高に演じるための脚本である。聖書は驚くべき富を得させる鉱脈であり、ごまかしのない喜びの源である。その教えは聖く、その訓戒は不動であり、その履歴には誤りがなく、その宣告は不変である。その至高の主人公はキリストであり、その内容は私たち1人1人のためにデザインされており、それらの最終目標は神の栄光である。これを読むことによって知恵を与えられ、信じることによって安息を与えられ、実践することによって全人格的に健康になる。この聖書をゆっくりと、ひんぱんに、祈りを込めて読みなさい。そのことばをあなたの思いに書き付け、心を治めさせ、それに導かれて歩みなさい。これはあなたの生涯の中に与えられており、やがてその生涯の終わりのさばきの時に神の前で開かれ、そして死の向こう側の永遠の世界においても認められる。そこには人類にとっての最大の使命が述べられており、人生における私たちのすべての労苦に対する大いなる報いが約束されており、またそれらの神聖な内容を『取るに足らぬもの』とみなす者たちへの確かなさばきが宣告されている。」 聖書は単に「重視されるべきもの」ではなく、日々の生活の中で「読まれ」「実行に移され」て行くべきものなのです。だてに600年も「世界のベストセラー」を記録しているわけではありません。さあ、あなたも今日からこの『聖書』を読み、行動に移し始めてみてください!

2017年8月13日 「神との『喜び』の共有」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「神との『喜び』の共有」       (13/08/2017) ◆神との『喜び』の共有 ・この世における最良の体験 = 神と喜びを共有すること [マタイ25:21] ・神が与える『喜び』は、必ずしも「何かを成し遂げること」によって得られるわけではない。[ルカ10:20-21] イエスはこの『聖霊による喜び』をもって人生を生きられた。それは私たちも共有できる![ヨハネ15:11] ◆御霊の一致 ・神が『教会(キリストのからだ)』を通して私たちを導き、ご自身の栄光を現されるのは、私たちが「神の御霊に よって1つとされていく」中で起こって行く。[エペソ4:1-4] ・またパウロは同じエペソ4章の後半で、「御霊の一致によってキリストのからだとされて行くこと」を別のことばに 言い換えている。[エペソ4:13]  ―  ①「信仰の一致」  ②「神の御子に関する知識の一致」 ✰「信仰の一致」と「神の御子に関する知識の一致」を求め、「神との喜びの共有」を更に体験して行こう!   Outline of the sermon         “Sharing joy with God.”       (13/08/2017) ◆Sharing joy with God. ・One of the best experience in this world. Read more…

(269) “初めに、神が天と地を創造した。”

どういった理由かは分かりませんが、「聖書は非科学的な書物である」と思い込んでいる人がいるようです。聖書を専門的に学んでいる者として、そのように言う人は「聖書のことをよく知らないで言っている」と判断せざるを得ません。事実、科学的な発見が進むにつれて「何千年も前から聖書に書かれていた記述は事実であった」ということが次々と証明されているのです。 大昔には、地球は巨大な動物または巨人に担がれていると信じられていました。自分たちの住む地上が空中にプカプカ浮かんでいるなどとは誰も信じられなかったのです。しかし聖書の中でも最も古く、BC1500年頃に書かれた『ヨブ記』という書物の中には「神はこの地を何もない上に掛けられた」と書かれています。この事実が科学的に発見されたのは実にそれから3000年以上も経ったAD1650年のことです。天地を造られた神は、当然の事ながら誰よりも先にそのことを知っていたのです。 また新約聖書の「ヘブル人への手紙」には、「神は目に見えないものを用いて、目に見えるこの世界を造られた」と述べられています。この世界の目にみえるすべてのものが、目に見えない微粒子である『原子』というものによって構成されていることが科学的に知られるようになったのはつい最近のことです。 そして「地球は平面ではなく球体である」ということを自らの大航海によって証明した、皆さんもよくご存知の『コロンブス』は敬虔なクリスチャンで、彼は旧約聖書のイザヤ書にある「神はこの丸い地上の遥か上空に住まわれる」という記述からヒントを得ました。この聖書の記述はBC700年頃に書かれたもので、歴史上始めて「地球は球体かもしれない」と提唱したアリストテレスよりも300年以上前のものです。コロンブスはその航海日誌の中で次のように書いています。「この思いを私の心に抱かせたのは、他ならぬ『天地の造り主である神』である。確かに彼の御手が私の上にあるのを感じる。神は聖霊によってご自身の聖なるみことばを通し、私にこの確信を与えてくださったのだから。」 もし今度どこかで「聖書は非科学的だ」などと言う人に出くわしたなら、ぜひ優しく教えてください。「でもね、多くの偉大な科学的発見は、実は聖書をヒントにして見い出されたらしいよ」と。

2017年8月6日 「教会(キリストのからだ)」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「教会(キリストのからだ)」       (06/08/2017) *神は「聖書」「祈り」「身の回りの出来事」そして「教会」を通して導く。今日は「そもそも『教会』とは何か」。 ◆教会は「キリストのからだ」 ・教会 = 人(私たち)  ・教会は「キリストのからだ」 ⇒ 私たちは「キリストのからだ」 [Ⅰコリント12:27] ・キリストは、ご自身のからだである『教会(私たち)』をこの上なく愛しておられる。(夫婦関係のモデルになるほど) ・私たち1人1人は、キリストにとっての「最大の関心事」! ◆神の家族 [マタイ25:31-40] ・「わたしの兄弟たち」(40節)とは、信仰者たちのこと。私たちはキリストによって『神の家族』に招き入れられた。 ということは、「最も小さい者にしたのは、わたしにしたのです」とは、何も慈善団体に寄付したり、ボランティア 活動に精を出さなくても、今ここに一緒に座っているお互いに対して仕えることが「主イエスにすること」。 ◆まず「関心を持つ」ことから ・『愛』の反対語は「憎しみ」ではなく『無関心』。 ・総会の時に配布した「祈りのカレンダー」の中には、あなたにとって「知らない名前」もあったことだろう。まず 「知ろうとする」「関心を持つ」ことから始めよう。そして、彼らのために祈るために、もっと知ろうとしよう! ・すべての人は『助け』を「求めること」と「与えること」の両方ができる。(JCFウェブサイト『助け合い告知板』参照) ・神はイエスの名によって、教会にご自身の聖霊を注がれた。それは決して「個人の益のため」ではなく、 「みな(教会)の益のため」と聖書に書いてある。[Ⅰコリント12:7] ✰キリストがあなたに関心を払っておられるように、あなたもまず「関心を持つ」ことから始めよう!   Outline of the sermon     “The church (the body of Christ).”   (06/08/2017) *God guides us Read more…

(268) “あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。”

「神を信じたら、人生は問題がなくなる」と期待して、信仰の道に入る人がいます。しかし実際には問題はなくなりません。むしろ信仰の故に試練が増すかもしれません。それでは『神を信じること』を通して何が変わるのでしょうか?それは、私たちの視点が「私たちの周囲の状況を変えてくださる神」から「周囲の状況を通して私たち自身を造り変えてくださる神」へと移行させられるのです。 もちろん神様は私たちを愛しておられるので、しばしば私たちを不必要な危険から守ってくださいます。しかし神様が求めておられるのは、私たちが単に「安全で苦労のない人生を歩むこと」ではなく、「日々神に信頼し、そのみこころを求め、神から与えられている潜在能力を最大限に生かして生きるようになること」なのです。そのために神は、敢えて私たちが人生の試練に遭遇することを良しとされ、時間をかけてじっくりと私たちをご自身の『最高傑作』へと造り上げていかれるのです。 錬金術師は、鉱石が純金となるためにどれだけの時間火の中に置かれていなければならないかを知っていますし、陶器師も土の塊がどれだけ窯の中にいなければ美しい作品へと仕上がらないかを知っています。もし「熱くて可愛そうだ!」と言って中途半端なタイミングで取り出してしまったら、すべてが台無しになってしまいます。 神様はどんな錬金術師や陶器師よりも優れた知恵と深い愛をもって私たちを「ご自身の最高傑作」へと今日も造り変えてくださっています。神様が与えておられる『試練の火の温度』や『取り出すタイミング』は絶妙で完璧です。ですからぜひ、試練の中にあって「早く過ぎ去ること」ばかりを考えないで、「このことを通して神様が私に与えてくださっているレッスンは何だろう?」と思いを馳せてみると良いと思います。

(267) “主の良くしてくださったことを何1つ忘れるな。”

ある警察官が町内を巡回していると、1人の男が非常にガッカリした顔つきで公園のベンチに座っているのを見かけました。ちょっと心配になった警官は男に近づいて話しかけました。「何か心配事があるんですか?」男は答えました。「はい。実は数ヶ月前に祖父が亡くなり、私に500万円の遺産を遺してくれたんです。」警官は答えました。「あまり落ち込む原因には聞こえませんが?」「いや、話を最後まで聞いてください。」男は続けました。「実はそれに続いて先月にも伯父が亡くなり、私に1000万円近くの遺産を遺してくれたんです。」「なるほど、数ヶ月のうちに2人も身内の方が亡くなられたのは残念ですが、でもやはりそこまで落ち込むほどのことではないように聞こえますが…。もしかして、まだ他にもどなたか亡くなられたとか?」「そこなんです!」男は力を込めて答えました。「今月はまだ、誰も私に遺産を遺してくれていないんです!」 世の中には「物事の否定的な面」しか見ることができずに、自分で人生を暗くしてしまっている人たちがいるものです。あなたはそんなワナに捕まってはいませんか? 聖書は「神が良くしてくださったことを何1つ忘れるな!」と命じています。これは何も神様が私たちに「恩を着せよう」としているわけではなく、私たちの心が「下向き・内向き」にならないようにするためです。神様は『恵み』と『憐れみ』に満ちた方なのです。『恵み』というのは、「私たちには受ける資格がないのに、神様が敢えて与えてくださっているもの」(愛、赦し、平安、解放、喜び 等々)を指し、『憐れみ』というのは、逆に「私たちが当然受けるはずであったもの(罪に対する罰、神の怒り、さばき 等々)を神様が受けないで済むようにしてくださっていること」を指します。 古い讃美歌に「神様の恵みを1つ1つ数えてご覧なさい」という内容のものがあります。私たちが日々の神の祝福を1つ1つ見つけていく時に、私たちの心は「上向き・外向き」にされて行き、周囲に希望を振りまいていけるようになるのです。

2017年7月23日 「神は『身の回りの出来事』を通して招かれる」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ     「神は『身の回りの出来事』を通して招かれる」    (23/07/2017) ◆[ヨハネ5:17, 19~20] この箇所から3つのことが分かる。 ①神は今に至るまで働いておられる。[17節] ②イエスは「神がなさっておられること」を『見る』ことができた(私たちも)。[19節] ③御父がご自身のみわざをお示しになるのは、その『愛』の故。[20節] ・神は今日も、その愛の故に、ご自分のみわざを私たちに示し、それに参加するように招かれる。 *では、一体どのようにして私たちは「神が働いておられるところ」を見い出すのか? ◆神だけがなせるわざ ・神は「ご自身だけがなせるわざ」を常に行っておられる。私たちが目を留めるべきなのは、そのような出来事。 ①人に神(キリスト)を求めさせる。[ヨハネ6:44] ②人を『霊的真理』に目覚めさせる。[ヨハネ16:8] ⇒ 「神のみこころ」を求めつつ祈った後で、神が見出させてくださる上記のような出来事に目を留める。 ◆ウリピブ島での出来事 ✰神は今日もあなたの周囲でご自身のみわざを行っておられる。 「あなたが働いておられるところを見出させてください」と祈りつつ、 神にしかできないことが起こっているところを捜してみよう!   Outline of the sermon     God invites us to His work through circumstance.”   (23/07/2017) ◆[John 5:17, 19~20] We can see 3 Read more…

2017年7月16日 「『身の回りの出来事』の中に導きを求める前に」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ     「『身の回りの出来事』の中に導きを求める前に」    (16/07/2017) *「身の回りの出来事による導き」 を学ぶ前に、いくつかの注意事項がある。 ◆人生の主役は『神』 ・私たちは「身の回りの出来事」を自分に都合よく解釈してしまう傾向があるが、下記のことを心に留めよう。        「私たちの目的達成を神が助けてくれる」のではなく、        「神が『ご自身の目的達成』のために私たちをお用いになる」。 ◆悪魔の策略 ・神が切に求めておられるのが「私たちとの愛の関係」ならば、悪魔はそれを全力で阻止しようとしてくる! 悪魔は「この世の魅力」によって私たちを誘惑し、「神は意地悪でケチだから、こんな良いものをあなたから     奪おうとしているのだ」 とだます。(エデンの園の時から少しも変わらない)        ◎もし私たちが「神との交わりのために十分な時間を取ること」に困難を感じているとしたら、        それは『忙しさ』の問題ではなく、『私たちの信仰生活そのもの』に重大な問題があるのである! ◆『理屈』ではなく、『信仰』 ・私たちの人生を、神は「ご自身の目的達成」のために用いられるが、もちろんその主導権を取られるのも 神ご自身である。したがって次のように言うことができる。 「神の目的達成のために、私たちが手段を模索する」のではなく、「神がどのような方法で ご自身の目的を達成しようとしておられるのか」を求め、示されたことに私たちは従う。 ・「善悪の知識の実」を食べて以来、人は『理屈』で物事を判断するようになった。[伝道者の書7:29] ・この世は、「理性に基づいた理屈」を要求する。しかし『神の国』は、「啓示に従う信仰」を要求する。 すなわち、「考える」のではなく、神の愛と力を「信じて待ち望む」ことが大切。[ヘブル11:6]   Outline of the sermon     Before you seek God’s guidance in circumstances.”   (16/07/2017) *Here are some Read more…

(266) “主の御告げ ― 見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、あなたがたも、わたしの手の中にある。”

多くの人は「新しい自分になりたい!」と願う一方で、『変化』を嫌います。「悪いところを改善したい」と切望しますが、そのために払う犠牲は最小限に食い止めたいと思うものです。 私たちが神を信じ神に従うようになると、しばしば「安楽な人生」ではなく「試練に満ちた人生」に直面します。きっと多くの方々は「こんなはずではなかった。何かが間違っているのではないか?」と感じるのではないでしょうか?でも心配はありません。それらは起こるべくして起こっているのですから。 聖書は「神の御手の中に委ねられた私たちの人生」のことを、「陶器師の手の中にある粘土」にたとえています。陶器師が自分の目指す『最高傑作』を造り出すために行う最初のプロセスは、まず粘土を十分にこねて、中にある空気などの不純物を追い出すことです。そうしないと、作品の形が出来上がって窯で焼くときに、中の空気が膨張して、せっかくの作品が壊れてしまうからです。同様に、私たちは「こねられている時」は、やがて出来上がる形が見えていませんから、ただ居心地が悪いだけで、その手の中から逃げ出したくなるかもしれません。でも「神様は良い方だから、きっと最終的に素晴らしい結果を生み出してくださるに違いない」と最後まで信じて神の御手の中にとどまり続けるなら、私たちは自分の思いを超えた神様のみわざが自分の人生を通して成し遂げられるのを体験できるのです。 偉大なキリスト教指導者の1人が次のように言っています。「単に問題から逃れることだけを求めるのではなく、むしろその問題を解決できる者となることを求めなさい。自分の人生に有益な環境を求めるだけでなく、周囲の環境さえも変えることのできる者となることを求めなさい。同じ事を繰り返しながらより良い結果を求めるだけでなく、思いもよらない結果を得るために新たなことにチャレンジしなさい。何故なら、更に偉大な結果を得るために当然払うべき犠牲を払わないことは、何の成長もない人生のために時間を浪費していることと同じなのだから。」 変化を恐れないで、『良き神様』に信頼して、その力強い御手の中にとどまり続けましょう!