(184) “風を警戒している人は種を蒔かない。雲を見ている者は刈り入れをしない。”

冒頭の聖書のことばは、何も『農民の心得』について語っているわけではなく、平たく言えば「理想的な状況が整うのを待っていたら、いつまで経っても仕事は進まない」というわけです。神を信じる者の歩みも同じことが言えます。 最近ある牧師が面白いことを言っていました。「『信仰』の反対語は、『不信仰』ではなく、『恐れ』である」と。すなわち、「心から神に信頼しているなら、逆境においても恐れず大胆に進んでいける」というのです。なるほどな、と思いました。『大胆であること』と『浅はかであること』が似てて非なるものであると同様に、『忍耐強いこと』と『臆病であること』も一見見分けるのが難しいですが、根は全然違います。真の『信仰』は、待つことが難しい時にも忍耐を可能にし、また前進が難しい時でも大胆な1歩を踏み出させてくれます。 三重苦を克服した人物として有名な『ヘレン・ケラー』はこんな言葉を遺しています。「どれほど万全を尽くしたところで『完全な環境』などというものはあり得ない。もしあなたが人生を『素敵な大冒険』として味わっていないとしたら、あなたは真の意味で『人生』を味わっていないのである。」 私たちの人生に『試練』や『挫折』が存在するのは、神が私たちを打ちのめそうとしておられるのではなく、かえって私たちが神ご自身を更に深く求め、その信仰を成長させるようにしておられるのです。恐れに対して『No』と言い、神の招きに対して『Yes』と答えながら、この『素敵な大冒険』進んでいきましょう。

2015年10月18日 「ペテロの信仰」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ          「ペテロの信仰」       (18/10/2015) ◆今回の一時帰国中のハイライト ◎関東・関西地区での「クライストチャーチ帰国組同窓会」  ◎グローバル・リターニーズ・カンファランス  ①大阪(チャペルこひつじ)での同窓会 ・同窓会は少人数(12人)だったが、親密な交わりが与えられ、互いの必要のために祈ることができた。 ・よしこちゃんが「帰国者クリスチャンとしての葛藤」を具体的に分かち合ってくれた。 (同窓会の後、京都にあるよしこちゃんの出席教会にて「海外邦人宣教」について話すことができた。)  ②宇都宮(坂本ひかる宅)での同窓会 ・2泊3日のじっくりとした交わり。初対面同士もたくさん。部分参加を含めて30人近くが集まった。 ・JCFで歌われている賛美、みことばの学び、グループでの分かち合いと祈り。 ・峰町キリスト教会の礼拝に出席。礼拝後、一緒に餃子を食べに行った。グループの継続した交わりを期待。  ③グローバル・リターニーズ・カンファランス(GRC) ・3年に1度行われている、世界各地で主イエスと出会い日本に帰ってきた『帰国者クリスチャン』の集い。 ・富士の裾野での3泊4日のカンファランスに、400人以上が集まった。みちえさんもビックリ。 ・例年より多かった『オセアニア・グループ』。何人かは「スモール・グループ・リーダー」として奉仕。 ◎『帰国者クリスチャン』に対する大きな期待 ― ①多くの若者たち  ②教団・教派を超えている ◆One Step Further.(2つの体験がきっかけ) *ペテロの信仰 [ルカ5:1-6,マタイ14:24-29] ・自分の常識とは違っても「信仰によって」行動を起こす。(Listen and obey.)   Outline of the sermon           “Peter’s faith.”      (18/10/2015) ◆Highlight of our trip to Read more…

(183) “隠されていることは、私たちの神、主のものである。”

神を信じようとする者にとって最大の試練と言えるものの1つは、「神がおられるなら、どうしてこんなことが起こるのだろう?」と言いたくなるような出来事に直面した時です。あるクリスチャンの作家は「神様、あなたはご自分が何をなさっておられるのか分かっていらっしゃるのですか?」というタイトルの本を出版しました。思わずそんな風に言いたくなる出来事が世の中には確かにあります。ではそんな時に私たちはどうしたら良いのでしょう? 聖書は「あなたがたに隠されていることは、神の領域であって、今はまだあなたがたが知らなくても良い。しかし既に現わされていることは、あなたがたのためであるのだから、それらをしっかりと握っていなさい。」と教えています。もっと分かりやすく言うならば、「理解不能なことから神を推し測るようなことをしないで、既に与えられている確かな情報(例えば『聖書』)を基に神について知り、またその神に信頼しなさい」ということです。 聖書は私たちに「神は私たち人間を愛しておられ、私たち1人1人の人生のために最高の計画を用意しておられる」と教えています。ですからこのことを大前提として、人生に起こる様々な出来事を理解しようと努めるのです。すなわち、私たちが神に尋ねるべき質問は「神様何故ですか?」ではなく、「あなたはこの出来事を通して、私にどんなことを学んで欲しいと願っておられるのですか?」なのです。 もしかするとある人は「そんな理屈は『この世に試練が存在する理由』を説明していない!」と憤慨なさるかもしれません。しかし驚いたことに、実際は「試練に出会ったことを通して、私は神を求め、また神を知るようになった」という人々がとても多いのです。神は、人をご自身の許に引き寄せるためであるなら、試練さえもお用いになるのです。

(182) “あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。”

あなたが誰かから手厳しい批判を受けた時には、大きく分けて2通りの適切な対応の仕方があります。 まず、もしその批判の中に「耳が痛いけど、確かに真理をついている」という部分があるなら、あなた自身がへりくだって反省し、成長の糧としてください。 またもし、それが全くいわれのない、デタラメな嫌がらせだったのなら、その時こそイエス・キリストの教えを実践する絶好の機会です。どういうことかと言うと・・・ 世の中には、特に正当な理由がないのに他の人に辛く当たったり、わざわざ人を困らせることをして楽しんだりする種類の人々がいます。そのような人々は大抵、過去に不当な取り扱いを受けて深く傷ついた経験があったり、他の人が自分よりいい目を見ているのが妬ましくて、ついそれらの人を自分のレベルまで引き下げようと躍起になっているのです。このような時には、反射的に復讐したくなったり、「こういう奴らをつけあがらせておくと世のためにならない」などと理屈を付けて、相手を徹底的にやりこめようとしてしまいがちですよね?しかしこれらの反応はイエスが私たちに示された方法ではないし、実際「復讐が復讐を呼ぶ」だけで、根本的な解決にはなりません。 イエスが「右の頬を打つ者には、左の頬を向けよ」とおっしゃった時、一体何を意味されたのでしょうか?それは「敵の外側からの攻撃で、内側までダメージを受けてはならない」ということです。私たちが傷つけられ人生の道を踏み外すきっかけとなるのは、「外側の痛み」ではなく、その原因を自分で勝手に解釈することによって生み出す「内側の苦々しさ」です。受けた攻撃が不当であればあるほど、それを自分の内側で何度も反芻することは無意味です。そのような攻撃はむしろ軽く受け流し、あなたの心はもっと他のことがら(あなたを正当に評価してくれる人の言葉や、あなたの成長のために適切な批評をしてくれる人のアドバイス)に向けるべきです。これらのものにあなたの心がしっかりと向けられているなら、誤ったくだらない評価にいちいち捕らわれていることが時間の無駄に思えてきます。 聖書は、あなたを「愛をもって正しく評価してくださる」神からの励ましの言葉に満ちています。今日もこの聖書のことばに深く耳を傾け、不当な攻撃を受け流す知恵と力を身に着けていきましょう!

2015年9月6日 「良き羊飼いである神」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ          「良き羊飼いである神」       (06/09/2015) *[詩篇23篇]から「良き羊飼い」としての神のご性質を浮き彫りにしていこう。  ①私たちの必要を満たし、導く [1~3節] ・神は私たちのすべての必要を満たすために、私たちの先頭に立って、正しい道へと導く。  ②私たちを守り、癒す [4節] ・羊は攻撃や防御の術を持たない。羊飼いに対する絶対的信頼だけが命綱。不従順は自分を危険にさらす。  ③私たちを歓迎し、豊かな関係を保つ [5~6節] ・パレスチナの習慣では、自分の許に逃げ込んだ客や旅人を、己れの名誉をかけて保護しもてなす。 ・私たちが神を礼拝し、互いに愛し合うのは、私たちに常に真実を尽くしてくださる神への心をこめた応答。 ✰私たちの『高慢の罪』の1つの現れは「自分の弱さを素直に認めようとしないこと」。 自分の弱さを認め、『良き羊飼いである神』に頼ることを学び、強くされましょう! スモールグループでの分かち合いのために 神はどんな点が羊飼いに似ていますか?  ②神は私たちのどんな態度を喜ばれますか? ③「神に全面的に頼ること」からあなたを妨げるものは何ですか?   Outline of the sermon       “God the good shepherd.”  (06/09/2015) *Let’s look at [Psalm 23] to find out who God is Read more…