聖書

(78) “神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。”

幼い少年がお母さんに言いました。「ねぇねぇお母さん、ボク今日幼稚園で『神様の絵』を描いたんだよ。」 するとお母さんは答えました。「あらスゴイわねぇ。だけど、誰も神様のことを見たことはないんだから、神様がどんな方か分からないんじゃないかしら?」 子供はしばらく考えてからこう言いました。「じゃあ、ボクの描いた絵を見ればいいんじゃない?」 確かに『神』という存在は肉眼では見ることができません。しかし聖書は「神は私たち人間を『神のかたち』として造られた」と言います。すなわち「人間の中に『神のかたち』とも言える性質が備わっているのだ」というのです。では、一体私たちのどこが神と似ているのでしょう?目鼻立ちでしょうか?それとも体格?きっとそういう意味ではないでしょうね。しかし次の2つの点で、私たちは神の性質を受け継いでいるのではないでしょうか? ①  夢を持つ力 ・私たち人間を、他の動物たちと決定的に区別する特性は「夢を持ち、それを追い求めて生きる性質」です。この力が人間を宇宙旅行へと導き、インターネットを可能にし、また神を見出し礼拝する者としているのです。 ②  自由意志によって行動する力 ・単に本能に任せて生きるのではなく、「どちらが正しいか」「どちらがより優れているか」を考慮しながら、日々選択を重ねて生きるのは、人間だけです。能力的・経済的限界があるにしても、私たちには皆『自由に決定するための意志』が与えられています。 私たち人間は上記の2つの性質を用いて、多くの優れたものを築いてきました。しかしそれらすべてが私たちの生活に「益をもたらしているかどうか」は疑問です。神が私たちにこれらの性質を与えてくださったのは、決してそれらを「自分の欲望を満足させるのに用いるため」ではなく、「神の栄光ある豊かさを地上に反映させるため」に違いありません。すなわち、神は私たちがこれらの崇高な性質を、神のみこころに則した方法で用いることを望んでおられるのです。神は私たちが人生を歩む上で、様々なチャンスや出会いを与えてくださいます。その度ごとに「しめしめ。これを機会にガッポリ儲けてやろう!」と言うのではなく、「神は私に、この機会を用いてどのようにご自身の豊かさを表現して欲しいと思っておられるのだろう?」と問いながら生きる、これが『神のかたちとして造られた者』にふさわしい生き方ではないでしょうか?

By Ken, ago
メッセージ

2013年5月19日 「洗礼 - 愛の表現」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ      「洗礼 ― 愛の表現」   (19/05/2013) ◆なぜ「洗礼を受けること」に抵抗があるのか?   ・「聖餐式は受けるが、洗礼は受けない」という人がいる。しかし実際はどちらも神の前に同様の意味を持つ。 (イエスを主と告白する者に対する「特権」であり「命令」)   ・『洗礼』は聖餐式と違って、1生に1度きり。「もう後戻りできない」というイメージがある。『結婚式』に似ている? ◆『結婚』との共通点   ・もし洗礼式が結婚式に似ているなら、「主イエスを受け入れること」は「プロポーズを承諾すること」に似ている。 「愛しているから結婚する」のではなく、「結婚したから愛するのです」。(三浦綾子)   ・「私たちは愛し合っている」という気分ではなく、「私は何があってもこの人と生きる」という決断が重要。    そのために『自由意志』が与えられている。(強制されるべきではないし、『お試し』もない) ◆信仰生活は楽じゃない   ・結婚生活(愛し続けること)に戦いがあるのと同様に、信仰生活にも戦いがある。[Ⅱテモテ3:12]    しかしイエスは言われた。[ヨハネ16:33]  常に「一緒に戦ってくださる方」がいる。 ◆結婚生活と信仰生活の違い  ・それは、相手が主イエスである、ということ。彼は決して裏切ることもあきらめることもない。  ・人間同士なら「どちらかが100%悪い」ということはない。けれど、もし主イエスとの関係が壊れるとしたら、   原因は100%こちら側にある。しかしそれでも、主イエスは私たちを責めることなく、じっと待っていてくださる。 ☆今日洗礼を受ける皆さん。あなたがたは「人生最高の決断」をしたのだということを忘れないで!     Outline of the sermon     “Baptism ― An expression of love”   Read more…

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