平手打ち

あなたが誰かから手厳しい批判を受けた時には、大きく分けて2通りの適切な対応の仕方があります。

まず、もしその批判の中に「耳が痛いけど、確かに真理をついている」という部分があるなら、あなた自身がへりくだって反省し、成長の糧としてください。

またもし、それが全くいわれのない、デタラメな嫌がらせだったのなら、その時こそイエス・キリストの教えを実践する絶好の機会です。どういうことかと言うと・・・

世の中には、特に正当な理由がないのに他の人に辛く当たったり、わざわざ人を困らせることをして楽しんだりする種類の人々がいます。そのような人々は大抵、過去に不当な取り扱いを受けて深く傷ついた経験があったり、他の人が自分よりいい目を見ているのが妬ましくて、ついそれらの人を自分のレベルまで引き下げようと躍起になっているのです。このような時には、反射的に復讐したくなったり、「こういう奴らをつけあがらせておくと世のためにならない」などと理屈を付けて、相手を徹底的にやりこめようとしてしまいがちですよね?しかしこれらの反応はイエスが私たちに示された方法ではないし、実際「復讐が復讐を呼ぶ」だけで、根本的な解決にはなりません。

イエスが「右の頬を打つ者には、左の頬を向けよ」とおっしゃった時、一体何を意味されたのでしょうか?それは「敵の外側からの攻撃で、内側までダメージを受けてはならない」ということです。私たちが傷つけられ人生の道を踏み外すきっかけとなるのは、「外側の痛み」ではなく、その原因を自分で勝手に解釈することによって生み出す「内側の苦々しさ」です。受けた攻撃が不当であればあるほど、それを自分の内側で何度も反芻することは無意味です。そのような攻撃はむしろ軽く受け流し、あなたの心はもっと他のことがら(あなたを正当に評価してくれる人の言葉や、あなたの成長のために適切な批評をしてくれる人のアドバイス)に向けるべきです。これらのものにあなたの心がしっかりと向けられているなら、誤ったくだらない評価にいちいち捕らわれていることが時間の無駄に思えてきます。

聖書は、あなたを「愛をもって正しく評価してくださる」神からの励ましの言葉に満ちています。今日もこの聖書のことばに深く耳を傾け、不当な攻撃を受け流す知恵と力を身に着けていきましょう!

Categories: 聖書

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