2012年5月27日 『神への冒とく』とは何か?

メッセージをダウンロードして聴く  説教あらすじ         「『神への冒とく』とは何か?」     (27/05/2012) [ヨハネ10:31-42]   *ユダヤ人たちの態度や言動を見ると、どうやら彼らは「イエスは自分を神としている」と理解していた。[33節]    では、彼らは何故そんなイエスを殺そうとしていたのか? ➝ 『冒とく』のため[31-33節] 根拠は[レビ記24:16] ◆「神への冒とく」 とは?   ①神を神として認めないこと。   ②神のご性質(神性)を侮ること。        まさに、神を知る前の私たちそのまま!   ③神のみこころを軽んじること。    ・イエスは「『自分が行っているわざ』が、神が自分と共におられることの証拠だ」とおっしゃった。[37-38節] しかし、パリサイ人たちはそれらのわざを「悪霊によるもの」だと言った。[マタイ9:34] これぞ「神への冒とく」! ◆もう1つの冒とく    ・イエスのみわざはどれを取っても人間わざではない。(言ってみれば「神から」でなければ「悪魔から」) ということは、 このお方を目前にして「どっちつかずの態度」を示していることこそ、「神に対する冒とく」である。    ・神の御姿であられた方が、人となって地上に来られ、ご自分のいのちと引き換えに、私たちを『神の子供』と してくださった。このイエスの「恵みとまこと」に対して、私たちは一体何をグズグズしているのか!         ◎「迫害下の韓国の教会で起こった、ある少女に関する物語」 ★この少女に負けない愛をもって、イエスと共に歩みたいと思いませんか?     Outline of the sermon          “What is ‘Blasphemy’?”         (27/05/2012) [John 10:31-42]   *According to the attitude of Jews toward Jesus, they understood that Jesus was claiming himself Read more…

2012年5月20日 「イエスに属する羊」

メッセージをダウンロードして聴く  説教あらすじ         「イエスに属する羊」     (20/05/2012) [ヨハネ10:22-30]  ◆[24~25節]    ・「キリスト(ギリシャ語語源)」=「油注がれた者」。ヘブル語では「メシア」。具体的には、祭司,預言者,王。   ①祭司: いけにえを献げることによって、民のために、神にとりなしをする者。➝ (ヘブル人への手紙参照)   ②預言者: 神のみこころ(みことば)を受け取り、人々へ取り次ぐ者。   ③王: 敵を打ち破り、民のためにその国を建て上げる者。    ・イエスは、これら3つを完璧に満たしていた。しかしユダヤ人たちは「私たちのキリストは、このローマの圧政から 私たちを解放してくれる王にちがいない」という『先入観』を持っていたので、彼をキリストとは認めなかった。    ・自分たちの願いに固執していると、神が与えようとしておられる「遙かに優れたもの」を取り逃がしてしまう。 ◆[26節]    ・「イエスの羊に属している者」と「属していない者」の違いは何か?     A:「自分の願いの実現のために、神を利用しようとしている」 か、または、     B:「神の願いの実現のために、自分を用いようとしている」 か。    ・このAからBへの「心の態度の転換」を、聖書は『悔い改め』と呼んでいる。      悔い改めて「イエスに属する羊」とされた者の受ける祝福 = [27~28節] ★あなたは「イエスに属する羊」になりたいですか?       Outline of the sermon       “The sheep belong to Jesus.”      (06/05/2012) [John 10:22-30]  ◆[Verses 24-25]    ・「Christ(Greek origin)」=「Anointed One」.  「Messiah」 in Read more…

(47) 善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。

日本のことわざに「継続は力なり」というものがありますよね。 発明家のジェームズ・ワットは、蒸気機関の発明のために、12年間の歳月を費やしました。血液循環の謎を解明したウィリアム・ハービィは、そのシステムを見出すのに8年かかり、それを実践医療の中で活用してもらうまでに更に25年間待たなければなりませんでした。 私たちの多くは、大志を抱いて何かを成し遂げようとするとき、ことを早くあきらめすぎてしまう傾向があるのではないでしょうか?しかし実際は、それが価値の高いものであればあるほど、それだけの十分な時間がかかるのも事実です。「成功への近道」を探ろうとする態度は、しばしば私たちの『辛抱強さ』の乏しさを証明しています。 大志を成し遂げるために必要なのは、十分なお金やテクニックではなく、「気分に流されずにコツコツとやり続ける習慣」を身に付けることです。事を成し遂げるためにぶつかる困難は、志半ばであきらめてしまったことを後になって後悔し続ける苦しみに比べれば、ずっと軽いものです。私たちが何かをあきらめずに継続させるためには、次の2つのことが必要です。  ①自分が成し遂げようとしていることは、誰の目にも(神の前にも)正しい、善いことである、という強い確信。  ②このプロジェクトの完成を見るまでは、私は決してあきらめない、という確固たる決意。 私たちは現在、思いつくものが即座に手に入るという大変便利な『インスタント時代』に生きています。しかし、そのために私たちが支払った代償は「無責任・無気力・無関心な人生の中に生きる」という非常に悲しい風潮です。今や心を躍らせるような夢を見ることのできない多くの若者がうめいています。そんな時代であるからこそ、私たちは「わたしはあなたにしかできない、あなただけのための大いなる計画を持っている」と言われる神のことばに耳を傾けるべきではないでしょうか?

(46) 愚か者は心の中で「神はいない。」と言っている。

こんな言い回しがあるのをご存じですか?「無神論者の人たちが神を見出すことができない理由は、逃走中の真犯人が警察官を見つけることができない理由と同じである。」 すなわち「見つけてしまったら、大変な(自分の立場がなくなる?)ことになるから」というわけです。確かに、神様を見出せずにいる間は、自分が自分の人生の『神』でいられるわけですから、「神様なんか、いない!」というより、「神様なんか、いて欲しくない!」というのが本音なのかもしれません。 しかし実際には、神様は様々な方法でご自身の存在を私たちにアピールしておられます。 1.ご自身がお造りになったものを通して。 ・警察が犯人を見極める方法に、しばしば『指紋』が使われますが、この世の美しい大自然や、超精密に造られた私たちの人体などは、いわば「神様の指紋」のようなものだと言えるでしょう。これらはまさに『創造者』がおられることの「動かぬ証拠」と言えるのではないでしょうか。 2.私たちの内なる『良心』。 ・私たちは、誰に教えられたわけでもなく、悪を行ったり人の心を傷つけたりしたときに「胸の痛み」を感じます。また、特に信仰深い人でなくとも、聖書に書かれたキリストの教えを読むならば「自分もこのように生きることができたら、どんなに素晴らしいだろう」と言います。聖書は「人は神のかたちに似せて造られた」とあります。私たちの『内なる良心』こそ、私たちが神によってデザインされた存在であることを示しています。 3.キリストの十字架。 ・神がお造りになったものを通して、私たちが「神の力・神の御手」を見るとしたら、キリストの十字架は私たちに「神の心・神の愛」を示しています。神は決して私たちから遠く離れておられる方ではなく、いつも私たちを見つめ、またみもとに招いておられる方なのです。 フランスのヴォルテールという人は、無神論者として有名で、その存命中次のように言い放ちました。「もしたった12人の無学な漁師その他の人々がキリスト教を広めたのならば、この偉大な1人のフランス人の手でそれを撲滅してみせる!」 さて、歴史は何を証明したでしょう。ヴォルテール亡き後、彼が住んでいた豪華な家は、何と現在ヨーロッパ最大の「聖書配布センター」として用いられているのです! これでもあなたは「神はいない!」と言い続ける勇気がありますか?