(267) “主の良くしてくださったことを何1つ忘れるな。”

ある警察官が町内を巡回していると、1人の男が非常にガッカリした顔つきで公園のベンチに座っているのを見かけました。ちょっと心配になった警官は男に近づいて話しかけました。「何か心配事があるんですか?」男は答えました。「はい。実は数ヶ月前に祖父が亡くなり、私に500万円の遺産を遺してくれたんです。」警官は答えました。「あまり落ち込む原因には聞こえませんが?」「いや、話を最後まで聞いてください。」男は続けました。「実はそれに続いて先月にも伯父が亡くなり、私に1000万円近くの遺産を遺してくれたんです。」「なるほど、数ヶ月のうちに2人も身内の方が亡くなられたのは残念ですが、でもやはりそこまで落ち込むほどのことではないように聞こえますが…。もしかして、まだ他にもどなたか亡くなられたとか?」「そこなんです!」男は力を込めて答えました。「今月はまだ、誰も私に遺産を遺してくれていないんです!」 世の中には「物事の否定的な面」しか見ることができずに、自分で人生を暗くしてしまっている人たちがいるものです。あなたはそんなワナに捕まってはいませんか? 聖書は「神が良くしてくださったことを何1つ忘れるな!」と命じています。これは何も神様が私たちに「恩を着せよう」としているわけではなく、私たちの心が「下向き・内向き」にならないようにするためです。神様は『恵み』と『憐れみ』に満ちた方なのです。『恵み』というのは、「私たちには受ける資格がないのに、神様が敢えて与えてくださっているもの」(愛、赦し、平安、解放、喜び 等々)を指し、『憐れみ』というのは、逆に「私たちが当然受けるはずであったもの(罪に対する罰、神の怒り、さばき 等々)を神様が受けないで済むようにしてくださっていること」を指します。 古い讃美歌に「神様の恵みを1つ1つ数えてご覧なさい」という内容のものがあります。私たちが日々の神の祝福を1つ1つ見つけていく時に、私たちの心は「上向き・外向き」にされて行き、周囲に希望を振りまいていけるようになるのです。