(305) “わたし(キリスト)があなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。”

イエス・キリストはある日、語られたたとえ話の中で『聖書(神のことば)』は「人々の心に蒔かれた種のようなもの」であるとおっしゃいました。ご存知のように種の中には『いのち』があります。ただし『いのち』というものはそれに適した環境に置かれないと、弱ったり死んだりしてしまいます。 『聖書』は単なる「人生教本」ではありません。『聖書』は私たちの中に「神への信仰」を生み出し、「もっと成長したい」という意欲をもたらし、「不可能に見えることに挑戦させる勇気」を与え、「傷ついた心」を癒し、「聖く正しい心」を形造り、「状況を一変させる」力を持ち、「喜び」に溢れさせ、「逆境」を乗り越えさせ、「誘惑に打ち勝つ力」を与え、人生の暗やみの中に「希望の光」を灯し、一見何もないような場所に「新たな道と限りない可能性」を見い出させてくれるのです。 『聖書』は、私たちの人生にとって「ちょっとは足しになるもの」ではなく、「無くてはならないいのちの素」なのです。それはしばしば『霊的食物』にたとえられています。「乳飲み子にとっての乳」「すべての人々にとってのいのちのパン」「成長した者にとっての『堅い食物』」「疲れた者にとっての蜂蜜」などなど。神様からせっかく与えられているこのような「人生にとって不可欠な栄養」を取り入れること無しに生きることは、まさに『宝の持ち腐れ』なのです。

2018年6月17日 「Make disciples!④」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ      「Make disciples!④」     (17/06/2018) ◆『キリストの弟子』とは? ①キリストに似ていく者[ルカ6:40] ・ユダヤ社会における『師と弟子の関係』とは、「個人的な関係を持ち、日々の歩みにおいて影響を受ける者」。 ⇒ 一緒に「中身の濃い時間」を過ごすことが必須。 ②「キリストのことば」にとどまる者[ヨハネ8:31-32] ・イエスのことばの中に「イエスのいのちそのもの」がある。「真理が自由にする」とは、イエスのことばを通して『真理である キリスト』との人格的出会いを体験する中で、「この世の歪んだ価値観」や「誤ったアイデンティティ」から解放されること。 ③互いに愛し合う者[ヨハネ13:34-35] (これは命令であると共に、「わたしの愛にとどまりなさい」という『招き』でもある) ・この愛を日々味わっている者同士で『主にある感動』を分かち合う姿は、周囲に「キリストの臨在」を感じ取らせる。 *カギは「みことばを通しての主イエスとの人格的な交わり」と「イエスの御名によるクリスチャン同士の交わり」。 ◎2つの提案 : ①個人デボーション(毎朝)  ②M2Mまたは小グループでの霊的分かち合い(毎週) ◆今週の『暗唱聖句』: [ヨハネの福音書 8章31節後半]   Outline of the sermon        “Make disciples!④”       (17/06/2018) ◆Who are “Disciples of Christ” like? ①The ones who are being transformed into his likeness. [Luke 6:40] ・In Jewish culture teachers Read more…