(399) “試練に耐える人は幸いです。耐え抜いた人は、神を愛する者たちに約束された、いのちの冠を受けるからです。”

 試合の勝敗は「終了の合図」と共に決まるのでしょうが、人生の勝ち負けは恐らく「あきらめた時」に決まってしまうのかもしれません。あなたは今何かをあきらめかけているのでしょうか?だとしたら、ぜひ思いとどまってください。  私たちは人生がうまく行かない時に、いろいろな理由を付けたがります。「生まれが悪い」「育ちが悪い」「親が悪い」「先生が悪い」「環境が悪い」「社会が悪い」「自分は運が悪い」などなど。あなたもどれかのせいにしたことがあると思います。でもどんなに自分の境遇を周囲のせいにしたところで、事が解決するわけではありません。どんな理由にしろ、自分の志をあきらめてしまったら、あとに残るのは『後悔』だけです。  ある人々は、事がうまく運ばない時に「神を呪う」かもしれません。でもご存知でしたか?人は大抵八方ふさがりになるまでは、『本気で』神を求めないものです。そして神が求めておられるタイプの人間とは、この「本気で神を求める人々」なのです。ある意味、神はこの理由で敢えて私たちが困難や試練に遭遇するのを許される、と言えるかもしれません。  また神は、人々がご自身を求めて生きるようになることと共に、私たち1人1人に与えておられる『潜在能力』を引き出したいとも思っておられます。そしてこの『潜在能力』の扉も、私たちに訪れる「人生のチャレンジ」を通して少しずつ開かれて行くのです。せっかく神様があなたを更に成長させようと「人生の試練」を送ってくださっているのに、それを避けて通ろうとしたり、後ろ向きに歩こうとするなら、あなたは決して成長することができません。  あなたをこの世に生み出してくださった神は『良いお方』です。彼はそのとてつもなく「大きく、広く、高く、深い愛」をもって私たち1人1人に『自己最高の人生』を歩ませようと今日も働きかけてくださっています。そのことを信じて生きるのと、そうでないのとでは、天と地ほどの差があるのです。