(426) “神は私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。”

『養子縁組』というものがありますよね。今はどうなのか定かではありませんが、ひと昔前までは『養子』というものは「もらわれっ子」と呼ばれて、よくいじめの対象になったものです。でもよく考えてみると、『養子』というものは、子供を持つことを望んでいた夫婦が子供に恵まれず、自らが探して、いくつかの選択肢の中から選んで自分の子供とするわけですから、選ばれた側の子供からすれば、「もらわれっ子」というレッテルどころか、『愛され、選ばれた者』という素晴らしい尊厳を持つべき存在ではないでしょうか? イエス・キリストを自分の救い主と信じた瞬間から、私たちは『神の子ども』とされる、と聖書は約束しています。更に聖書は「神は私たち1人1人を愛をもって選んでくださった」とも言っているのです。これは『養子縁組』と少し似ていますが、むしろそれ以上のことです。神は人間の親とは違って、私たちの隠れた欠点や弱さも全てご存知の上で、それでも私たちを愛し受け入れ、しかもご自身のひとり子イエス・キリストのいのちの代価によって私たちを罪と滅びの淵から救い出してくださったのです。ですから仮に私たちがどんなに「思惑と違った、期待外れで出来が悪い子」であったとしても、神は決して私たちにあきれ果てたり見捨てたりすることはありません。神があなたに期待することは、品行方正になることでも、「自分はそんな立派な者ではないのに…」などと卑屈になることでもなく、ただ『神に選ばれた子供』としての自覚と尊厳とをもって、平安と喜びに満ちて生きることなのです。