(654) “強くあれ。雄々しくあれ。”

 誰も好き好んでリスクを冒す人はいないかもしれません。しかし実のところ「リスクを冒すことなしに成功することもない」と言えるのではないでしょうか?ある作家がこんな記述を遺しています。 「笑う人は『愚かに見えるかもしれない』というリスクを冒している。泣く人は『泣き虫だと思われる』というリスクを冒している。他の人と関わる人は『面倒に巻き込まれるかもしれない』というリスクを冒している。夢や希望を抱いて生きる人は『非現実的だと思われる』というリスクを冒している。人を愛そうとする人は『相手に愛してもらえないかもしれない』というリスクを冒している。そして今生きている人は皆『いつかは死んでしまう』というリスクを冒している。」  これを読む限り、「リスクを冒さずに生きること」はできないし、また仮にできたとしてもそれはとてもつまらない人生でしかないと言えるのではないでしょうか?リスクは人を成長させ、その人のうちに埋もれている可能性を掘り起こす助けとなるものです。人生で偉業を成し遂げた人々の人生は、しばしば苦難とリスクに満ちていました。  神は私たち1人1人を、心を込め愛を込めてお造りになりました。『愛』というのは「相手を甘やかす」ということではなく、「常に相手の最善を願う」という意味です。ですから神は、私たち1人1人が『自己最高の人生』を生きられるようにと、時に応じて試練をお与えになります。私たちがその試練に勇敢に立ち向かい、敢えてリスクを冒すことによって、それまで私たちの内に眠っていた可能性を呼び覚ますためです。そして私たちがその試練の渦中でどうしても助けが必要となり、神を呼び求める時こそ、私たちが『神との新しい出会い』を体験する機会となるのです。