『説教あらすじ』は、ありません。
2026年10月11日 「『チーム・なでしこ』による礼拝」
礼拝全体の様子をYoutubeで観る 『説教あらすじ』はありません。
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礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ 「『告げ知らせること』の緊急性」 (04/10/2026) [ルカの福音書 9章51~62節] ◆私たちの使命は「宣べ伝えること」であって、「さばくこと」ではない ・ユダヤ人とサマリア人の間には確執があったが、イエスはサマリア人の町にも福音を伝えようとした。拒まれて かんしゃくを起こした弟子たちの発言を、イエスはたしなめた。私たちに委ねられているのは「良き知らせを告げ 知らせること」であって、「受け入れない人々をさばくこと」ではない。『知らせること』に専念しよう! ◆主イエスとの「心の共有」 ・次に「3人の弟子候補生」と、彼らに対するイエスの応答が登場。イエスの応答は『イエスの心』を表現している。 [58節]:「キリストの弟子として歩む」とは、『孤独』を意味する。少なくとも「この世の価値観で生きる人々」には理解されない。「主イエスが分かっていてくれさえすれば良い」という、イエスとの個人的な深い関係が必須。 [60節]:「御国を宣べ伝えること」を「父を葬ること」にさえ優先させようとするイエスの態度に、自らを投げ捨てても『救いの道』を切り開こうとする差し迫った思いが感じられる。イエスは言われた。[ヨハネ15:13-14] [62節]:『二心』について。人生は選択の連続である。そして重要なことほど1つだけしか選ぶことができない。パウロは「後ろのものを忘れ、ひたすら前のものに向かって走る」と言った。彼は「キリストにある栄冠」を見ていた。 今日の真理: 福音書は『キリストの心』を証しする ◎更に深い学びのために ①「福音を宣べ伝える」ということに関して、主イエスの態度から学べることはどんなことでしょう? ②これらの3人の「弟子候補生たち」にイエスが伝えようとしておられたご自身の思いはどのようなものですか? ③聖書、また福音書を、より正しく、より深く理解するために、私たちが持つべき態度はどのようなものでしょう? Outline of the sermon “Urgency of evangelism.” (04/10/2026) [Luke 9:51~562] ◆Our mission is not “judging” but “preaching Read more
礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ 「イエスの名のゆえに」 (27/09/2026) [ルカの福音書 9章46~50節] ◆この世の価値観 ・2つのエピソードが出て来るが、フォーカスは同じ。つまり「弟子たちの考え方」と「イエスの考え方」の違い。ではどこがどう違うのか。2つの争点は「だれが偉いのか?」と「自分たちについて来ないなら、イエスの名を使ってはいけない」ということ。どちらも視点が『自分自身』そして『何をするか』に向いていることから起こる思い違い。 ◆神の国の価値観(47~48節) ・私たちが信仰の歩みにおいて見つめるべきは「何をするか」ではなく、『なぜするのか』である。「何をするにも『イエスの名』のゆえに」ということ。朝ごとに「イエスに深く愛されていること」を思い起こし、同じようにイエスが愛してやまない周囲の人々を見回しながら、「イエスの招きの御声」に耳を傾ける。[マタイ25:40] このマタイの箇所で「小さい者たちに仕えた人々」は、自分がイエスのためにしているという意識は無かった。マザー・テレサは「大切なのは、どれだけ心を込めたか」と言った。「イエスの愛をどれだけ体験しているか」が、私たちの「人々への対応の仕方」を変えて行く。「何をするか」に捕らわれず、『イエスの愛』にフォーカスしながら、聖霊によって内側に湧き上がってくる愛に押し出されるようにして、人々の間へと日々遣わされて行こう! 今日の真理: 「何をするか」ではなく、「どれだけ愛されたか」 ◎更に深い学びのために ①弟子たちの「物事を判断する基準」と、イエスのそれとでは、どんなところが違っていますか? ②自分の人生の価値基準を吟味してみましょう。イエスと共に歩むうえで修正が必要なのはどの部分ですか? ③あなたにとって、「主イエスが自分に対して注いでおられる愛」とは、どのようなものでしょうか? Outline of the sermon “In the name of Jesus.” (27/09/2026) [Luke 9:46~50] ◆Perspective of this world. ・There are 2 episodes here Read more
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