メッセージ
2014年9月14日 「主にある『理論』と『実践』」
メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ 「主にある『理論』と『実践』」 (14/09/2014) [コロサイ 1:9~12] *物事には「理論的な面」と、「実践的な面」とがある。キリスト者としての歩みも同じ。「真の知識(理論)」[9節]と「あらゆる善行(実践)」[10節]とがある。パウロはその両方がコロサイの教会に備わるように祈った。 ◆「真の知識」とは? ― 神のみこころに関する知識[9節] ・単なる『知識』は、しばしば人を高ぶらせ、神から離れさせる。[箴言1:7] では『真の知識』とは… ①この天地を造られた神は「善い方」であり、私たち人間を愛しておられる。 ②神は私たちとの「愛の関係」を望まれた故、私たちに『自由意志』をお与えになった。 ③その『自由意志』の故に神から離れた私たちに、神は「和解の使者」としてイエスを送られた。[コロサイ2:3] ④私たちは、イエスを通して得られる神との深い関わりの中で生きてこそ、本来の「神の栄光を反映する 生き方」ができる。 ここまでは『理論』! ◆「あらゆる善行」とは? ― 神の心にかなった、あらゆる点で神に喜ばれる歩み[10節] ・『善行』というと、つい人間的な基準における「人助け・親切・慈善活動」が思い浮かぶが、それらは報われれ ば気持ちが良いが、報われなければ「おせっかい」または「徒労」に終わる。 ・ところが「聖書による善行の定義」は:[マタイ6:3-4] すなわち、相手にどれだけ喜ばれるかどうかに関らず、それが「神にあってなされたかどうか」が問われる。 ・この『善行』の目的は「事が成就されること」ではなく、「神との個人的な関係がより豊かにされること」にある。 *「神に関する知識」と「神にあってなされる善行」どちらがより重要ということはない。神のことを良く知らなければ、神がどのようなことを喜ばれるか分からないし、神と共に日々を生きていなければ知り得ない神の側面がある。 Outline of the sermon “‘Theory’ and ‘Practice’ in God.” (14/09/2014) [Colossians 1:9~12] *Things have their ‘theoretical aspect’ and ‘practical aspect’. So does our faith walk. It requires both Read more…