2014年10月26日 「天と地をつなぐもの」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「天と地をつなぐもの」     (26/10/2014) [コロサイ 3:1~4]  ◆天にあるものを思う[2節] ・「天にあるもの」とは? ― 神ご自身(キリスト)[1節,詩篇73:25] ・イエスは「宝を天に蓄えよ」とおっしゃった。[マタイ6:19-21] ①イエスのことばは私たちに『救いの確信』を与える。 ②『天に蓄えること』の意義は、「私たちの思いを更に深く天とつなぐため」。[21節] ◆地上にいる私たちが、どうやって天とつながれるのか?[3~4節] ・それは「私たちのいのちであるキリスト」。彼に対する『信仰』が私たちを天とつないでいる。[ガラテヤ2:20] ・天に辿り着いたらもはや『信仰』は必要ない。そして地にあって私たちは信仰により「いっさいの権威が与えら れているキリスト」(マタイ28:18)とつながれている。何も心配しなくてよい。むしろ『思い煩い(不信仰)』は『罪』。 [ローマ14:23] ・私たちが「共におられるキリスト」に思いを馳せて生きているときは『まことのいのち』によって生かされており、 「自分のことで頭がいっぱいになっている時」は『古いいのち』によって生きている。[Ⅱテモテ2:8] ◆『復活の主』にあって生きる ・今の私たちは「十字架にかかられたキリスト」ではなく、「よみがえられたキリスト」のいのちに支えられて生き ている。それ故私たちがこの地上にとどまっている最大の意義は、「この『復活の主』を、ことばや行いを問わ    ず人々の間で表現していく」こと。 ✯あなたの思いを、内なる『復活の主』から遮るものは何ですか?   Outline of the sermon     “Set your minds on things above.”  (26/10/2014) [Colossians 3:1~4]  ◆Set your minds on things above.[Verse 2] ・What are “things above”? ― Read more…

2014年10月12日 「本体であるキリスト」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「本体であるキリスト」     (12/10/2014) [コロサイ 2:16~23] *今日の要点は、「私たちの『キリスト者』としての真価はどこから来るのか」ということ。 ◆私たちの誤り ・私たちの真の評価は、「日々の生活の中でどのようにキリストと関っているか」にかかっている。[16~17節] ・『罪』とは? = 1つ1つの行為ではなく、その選択基準を自分の中に設定してしまっていること。 自分の良心に照らし合わせて「善いか悪いか」ではなく、「内なるキリストを喜ばせるか、悲しませるか?」。 ということは、最優先事項は「神(キリスト)を知ること」。[ヨハネ17:1-3] ・「この世の生き方」[20~21節]とは、必ずしも「自分だけ得しようとして、他人を顧みない」ということではなく、 「この世で誉められようとする生き方」をも含む。イエスを憎んだのは、人生の落ちこぼれたちではなく、「自分 は正しい人間だ」と自負していた人たち。彼らの生き方こそ、イエスから見れば「この世の生き方」。 このような人々に対して、イエスは言われた。[ヨハネ5:39-44] ◆神からの栄誉を求めて生きる(どのようにしてイエスのもとへ行けばよいのか?)    ①悔い改め ・「自分自身の中には、神に評価してもらえるようなものは何もない」ことを認め、憐れみを乞う。    ②懇願 ・『真の人間』として生きるためには、何が何でも「自分にはイエスが必要である」と認め、聖霊によって イエスに人生を支配していただくよう真剣に求める。    ③日々の明け渡し ・日々「イエスこそ自分の人生の主である」ことを宣言し、「従いますから、導いてください」と告白する。   Outline of the sermon       “Reality in Christ.”    (12/10/2014) [Colossians 2:16~23]  ◆How can we evaluate our “Christian life”? ・It is not how much we are following Read more…

2014年10月5日 「キリストとともに」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「キリストとともに」     (05/10/2014) [コロサイ 2:6~15] *『キリスト』という語が13回出てくる。特に「キリストとともに」[12節]という表現に注目! ◆『洗礼』の意義 ・「命令」「模範」「告白」の他に、『象徴』という意義がある。 ①罪ある、さばかれるべき古い自分は、キリストと共に十字架にかけられて死んだ。 ②キリストを救い主として信じた私たちは、キリストと共に「神の前に罪なき者」としてよみがえらされた。 ◆『だましごとの哲学』とは?[8節] ・「自分の力」を強調し、キリストと共に十字架につけられた『古い自分』を刺激して目覚めさせようとする教え。 ・悪魔は私たちの目を古い自分に向けさせ、罪責感に陥らせようとするが、私たちの債務証書は神の御手に よって既に十字架に釘付けにされた![14節] ◆キリストとともに ・「キリストと共に生きる」とは、「私たちがどう生きるか」よりもむしろ「神が私たちをどうご覧になっているか」とい うことと深い関係がある。キリストが私たちと共におられるが故に、御父はキリストをご覧になるのと全く同じ目 で私たちをもご覧になる。[Ⅰヨハネ4:17] ・私たちに必要なのは「努力」ではなく『自覚』。イエスが地上を歩まれた時、父なる神に認められるために「努力」 する必要はなかった。ただ「神のひとり子としての自覚」をもって歩まれた。私たちも同様である。「神の子とされ ている自覚」「王の王の子であるという自覚」そして「クライスト・キャリアーとしての自覚」を持って生きよう!   Outline of the sermon     “With Christ.”   (05/10/2014) [Colossians 2:6~15] *The word “Christ” appears 13 times.  Take notice of the expression, “with Christ”! ◆ Why “Baptism”? ・Because it is ‘commanded’, ‘modeled by Read more…

2014年9月28日 「イエス・キリストが中心」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「イエス・キリストが中心」     (28/09/2014) [コロサイ 1:24~2:5] *先週の『御子』ほどではないが、『苦』と『奥義』という2つの語が繰り返し出てくる。 ◆パウロの『苦しみ』とは?[24節] ・「キリストの苦しみの欠けたところ」とは、「キリストは『救いのみわざ』を完成できなかった」という意味ではなく その『福音』を「異邦人にまでも宣べ伝える」というわざをパウロに委ねられたということ。 ・パウロがもし「律法による救い」と宣べ伝えていたなら苦労はなかったし、また「ユダヤ人の中だけで」働いて いたなら、迫害を受けることもなかった。 ◆『奥義』とは?[27節] ・『奥義』 = イエス・キリスト。この方が私たちの内に住まわれる故に、すべての人は「ユダヤ人・異邦人の区 別なく、律法の行ないなしに救われる」という事実!私たちの救いは、ただこの方だけによる。[使徒4:12] ・教会(私たち)は「キリストが成し遂げられたわざ」のみに依存しているからこそ『キリストのからだ』と呼ばれる。 ◆イエス・キリストが中心 (主イエスを中心とした「3つの関係」) ①キリストを通して『神』を見る。[コロサイ2:9] ・「神とはどういう方なのか?」を知りたいなら、キリストを見ればよい。(毎日福音書を読もう!) ②キリストを通して『自分自身』を見る。[Ⅱコリント4:7] ・私たちはこの宝(キリスト)をお入れしているからこそ、尊い存在。この方を見失わないで![ヘブル13:5] ③キリストを通して『隣人』を見る。[ローマ14:1-3, 15] ・あなたにとって有益か否かではなく「主イエスが代わりに死なれたほどの人」だから。[ローマ8:33-34] ✯それほどまでにイエスが愛しておられるお互いのために、祈り合い、助け合って行きましょう!   Outline of the sermon   “Jesus Christ is the center!”  (28/09/2014) [Colossians 1:24~2:5] *There are 2 key words; “struggle” and “the mystery”. ◆What was Paul’s struggle?[verse Read more…

2014年9月21日 「『キリストにある者』の意味」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「『キリストにある者』の意味」     (21/09/2014) [コロサイ 1:13~23]  ◆御子イエスの重要性 ― 単に「罪の身代わりに死なれた救い主」だけではない! ・万物は「御子にあって」「御子によって」「御子のために」造られた。[15~17節] 万物の『存在意義』の中心。 ・人間は万物の最後に造られたが、神は地上のすべてをこの人間の支配下に委ねた。[創世記1:26-27] ・人間はその自由意志の故に、神から離れることを選んだ。結果として地上の全ては悪魔の支配下に陥った。 旧約聖書は、人間をもう1度ご自分の許に引き寄せようとする神、そしてそれに抵抗する人間の罪の記録。 ◆神の究極のわざ [イザヤ43:19他] ・神の御子が人となられ、ご自分が造られ、悪魔の手に渡ってしまったこの地上に来られ、十字架で死なれた! ・「万物より先におられ、万物の存在意義そのものであられた方が死なれた」ということは、万物が神の前に その存在意義を失い、死んでしまったも同然であることを意味する。[Ⅱコリント5:14] ・そして神がこのイエスをよみがえらせたことは、イエスにあって新しく造り変えられた者だけが「神の前に 生きている者と認められる」ということを意味する。[ローマ6:8,Ⅱコリント5:17] ◆このことは現代の私たちにとってどういう意味があるのか? ①「キリストにある者」と、そうでない者との間には、決定的な違いがある。[Ⅰヨハネ5:12] ②「キリストにある者」の神に対する立場をはっきりさせる。 ・キリストこそが『かしら(生きる目的)』である。[18節]  ・聖く、傷なく、非難されるところのない者。[22節] ③「キリストにある者」に明確な使命を与える。[19~20節] ・『和解の使者』として、キリストの名によって「失われている人々」の間に遣わされている。[ルカ19:10]   Outline of the sermon   “Those who are ‘in Christ’.”  (21/09/2014) [Colossians 1:13~23]  ◆Significance of Jesus, the Son of God. ― He is not just “Our Redeemer”! ・All things Read more…

2014年9月14日 「主にある『理論』と『実践』」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「主にある『理論』と『実践』」     (14/09/2014) [コロサイ 1:9~12]  *物事には「理論的な面」と、「実践的な面」とがある。キリスト者としての歩みも同じ。「真の知識(理論)」[9節]と「あらゆる善行(実践)」[10節]とがある。パウロはその両方がコロサイの教会に備わるように祈った。 ◆「真の知識」とは? ― 神のみこころに関する知識[9節] ・単なる『知識』は、しばしば人を高ぶらせ、神から離れさせる。[箴言1:7]  では『真の知識』とは… ①この天地を造られた神は「善い方」であり、私たち人間を愛しておられる。 ②神は私たちとの「愛の関係」を望まれた故、私たちに『自由意志』をお与えになった。 ③その『自由意志』の故に神から離れた私たちに、神は「和解の使者」としてイエスを送られた。[コロサイ2:3] ④私たちは、イエスを通して得られる神との深い関わりの中で生きてこそ、本来の「神の栄光を反映する 生き方」ができる。                                         ここまでは『理論』! ◆「あらゆる善行」とは? ― 神の心にかなった、あらゆる点で神に喜ばれる歩み[10節] ・『善行』というと、つい人間的な基準における「人助け・親切・慈善活動」が思い浮かぶが、それらは報われれ ば気持ちが良いが、報われなければ「おせっかい」または「徒労」に終わる。 ・ところが「聖書による善行の定義」は:[マタイ6:3-4] すなわち、相手にどれだけ喜ばれるかどうかに関らず、それが「神にあってなされたかどうか」が問われる。 ・この『善行』の目的は「事が成就されること」ではなく、「神との個人的な関係がより豊かにされること」にある。 *「神に関する知識」と「神にあってなされる善行」どちらがより重要ということはない。神のことを良く知らなければ、神がどのようなことを喜ばれるか分からないし、神と共に日々を生きていなければ知り得ない神の側面がある。     Outline of the sermon   “‘Theory’ and ‘Practice’ in God.”  (14/09/2014) [Colossians 1:9~12]  *Things have their ‘theoretical aspect’ and ‘practical aspect’.  So does our faith walk.  It requires both Read more…

2014年9月7日 「望みに基づく信仰と愛」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「望みに基づく信仰と愛」     (07/09/2014) [コロサイ 1:1~8]  ◆[1~2節] ・パウロはコロサイを訪れたことはなく、この教会は「福音のことば」が伝えられたことによってのみ生まれた。 ◆[3~4節] ・健康な教会の主要素 = 「キリスト・イエスに対する信仰」と「聖徒たちの間の愛」 [Ⅰヨハネ3:23] ◆[5節] ・『天に蓄えられた望み』(希望)に基づく「信仰」と「愛」。 言い換えるなら、「私たちの信仰による愛の労苦が、天の祝福を地上に呼び起こす」という希望。 ◆[6節] ・福音の力は、私たちが「神の恵みを聞き、それを本当に理解した時」にこそ発揮される。 ・福音とは『イエス・キリスト』。神は「私たちの良い行ない」ではなく、「私たちの内におられるキリスト」の故に ご自身のすべての祝福を私たちに注がれる。[ローマ8:32] ・別の言い方をすれば、神は「イエスを避けて神に近づこうとする者」には目を向けない。神は私たちの『努力』 にではなく、ただ「イエスに対する信仰」にのみ心を動かされるのである。 ◆[7~8節] ・コロサイの教会はパウロに会ったことは1度もなかったが、彼らにも「生きた模範」はいた。 = エパフラス ・どんな教会にも「生きた模範」が必要。「良い行いにおける模範」ではなく、ぜひ「イエスの御顔をいつも慕い    求めること」において生きた模範を示す者となりましょう!   Outline of the sermon   “Faith and Love spring from Hope.”  (07/09/2014) [Colossians 1:1~8]  ◆[Verses 1~2] ・Paul never visited Colosse.  This church was Read more…

2014年8月24日 「神の国をもたらす生き方」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「神の国をもたらす生き方」     (24/08/2014) ◆「天の御国」と「地上の国」 ・イエスが地上に来られたことは、「天と地の関係」に大きな変革をもたらした。[マタイ11:12] *サタンは以前以上に活発に攻撃をしかけている。 律法の時代 ― 罪責感    恵みの時代 ― 試練,この世の誘惑 ・それ故、バプテスマのヨハネとイエス・キリストの私たちに対する警告は共通している。[マタイ3:2,4:17] 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」 ◆神の国と「私たちの日常生活」 *私たちの日常生活に『神の国』をもたらすための3つの方法。    ①祈り [マタイ6:9-10] (と行動) ・「神の国の支配が、自分の日常生活の1コマ1コマに及ぶように。」 ・基本的には、神はご自身の御国の拡大に関して、もはや私たちを通して以外は何もなさらない。    ②お金の使い方 [ルカ16:1-13]  *「神のために富を用いるか」 or 「富のために神を用いるか」! 第1のポイント:私たちは他人のもの(神の富)を預かっている。 第2のポイント:神は、預けた富を私たちが「どう使うか」に注目しておられる。    ③人間関係 [マタイ25:31-45] ― 「行いが天国行きを決める」というたとえではない! ・私たちは与えられたものを、手をこまねいていないで、信仰と愛に根差して惜しまずにドンドン使うべき。 ・今あなたが目の前の人の必要に応えることができるなら、イエスはその人を通してあなたを見つめている。 ✯神はあなたを通して、この地にご自身の御国をもたらそうとしているのです!   Outline of the sermon    “The kingdom of God.③”    (24/08/2014) ◆“The kingdom of God” Read more…

2014年8月17日 「『神の国』に生きる」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「『神の国』に生きる」     (17/08/2014) ◆『神の国』はどこにあるのか?[ルカ17:20-21]       私たちの内にある! ・『国』というと「領土」を思い浮かべるが、ここでの『国(バシレイア)』は、「王権,王の統治・支配」のこと。 ・イスラエルの民にとっての「王のイメージ」 [Ⅰサムエル8:19-20] *私たちの王はイエス・キリスト = 私たちの戦いを代わりに戦い、勝利を取ってくださった方。 ◆神の国に生きる ― イエスを王として生きるとは?[ローマ14:17]   ①神の義 [Ⅱコリント5:21] ・イエス・キリストが私たちの代わりに『罪』とされた故、私たちはイエスにあって『神の義』(罪なき者)とされた。 ・今やサタン(訴える者)の私たちに対する最大の武器(罪責感)は打ち壊された![ローマ8:1]   ②神との平和 [ローマ5:1] ・私たちの不信仰や裏切りに対する「神の怒り」はすべて十字架で終わった。もはや神は私たちに対して 怒ってはおられない。神は生涯私たちの味方である。恐れることはない。[ローマ8:31]   ③聖霊による喜び [ガラテヤ5:22-23] ・一体どんな喜びなのか?     イエスが持っていた喜び[ヨハネ15:11] ・では「イエスの喜び」の源は?[ヨハネ15:9-12] = イエスの愛の中にとどまること。 *『愛』とは? ― 相手の最善のために犠牲を惜しまないこと。 *『愛し合う』とは? ― 相手が自分にしてくれていることが最善であると信じて、それに全力で応えること。 ここに喜びが生まれる! この喜びがイエスの歩みの原動力だった。[ヘブル12:2] ✯あなたは、この「神の国」の国民として生きていますか?   Outline of the sermon    “The kingdom of God.②”    (17/08/2014) Read more…