今回は「説教あらすじ」はありません。
2026年8月23日 「小俣恵多郎くんによるお別れ説教」
礼拝全体の様子をYoutubeで観る 『説教あらすじ』は、ありません。
今回は「説教あらすじ」はありません。
礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ 「イエスの名によって遣わされる」 (16/08/2026) [ルカの福音書 9章1~9節] ◆イエスは12弟子を遣わされた(1~2節) ・ここまで弟子たちはいつもイエスと共に行動していたが、ついに「独り立ち?」する。この12人は『使徒』と名付けられていた(6:13)。この語は当時のユダヤ社会において「全権使節」を表す言葉。彼らは「イエスのすべての権威」を委ねられ、すべてを『イエスの名』によって行った。(10:17) ・使徒たちは『神の国』を宣べ伝えるために遣わされた。「悪霊を追い出したり、病人を癒すこと」は『神の国』の到来を裏付ける「しるし」(11:20)。この地方を治めていたヘロデは、使徒たちが行っていたこれらの『しるし』の故にイエスに興味を持ったが、肝心の「イエスが誰であるか」ということを知ろうとはしなかった。(23:8) ◆私たちも遣わされている! ・私たちが心に刻むべきことは、「私たちも使徒たちと同様に『遣わされている』」ということ。何とイエスは「ご自身が遣わした者たち」と自分を同一視しておられる(10:16)。私たちのような者にそれほどまでの信頼を置いておられる方に対して、私たちも「心からの信頼と忠実さ」をもって仕えて行こう。イエスはそのような私たちを通して喜んで「神の国のしるし」を現わしてくださるに違いない! 今日の真理: イエスとの「信頼関係」がカギ ◎更に深い学びのために ①12弟子はどんなことのために遣わされましたか? 彼らの活動のうわさを聞いて、ヘロデはどう思いましたか? ②なぜ「私たちも遣わされている」と言えるのでしょう? あなたは「どこに」「何のために」遣わされていますか? ③「遣わされている者としての心構え」に関して、互いに分かち合ってみましょう。どんな新しい発見がありますか? Outline of the sermon “Being sent in Jesus’ name” (16/08/2026) [Luke 9:1~9] ◆Jesus sent his 12 disciples. (Verses Read more
礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ 「常識vsイエスのことば」 (09/08/2026) [ルカの福音書 8章49~56節] ◆『信仰』は「常識を超えたところ」にある(49~50節) ・家からの使いのこの言葉を聞いた時のヤイロの気持ちは?「現実に押しつぶされそう」「誰かを責めたくなる」。どちらにしても、もはや人間的にできることは何もない。今こそ『信仰』を働かせる時! ・私たちの「常識」は「目に見える世界」に基づいているが、『イエスの言葉』は「見えない世界」に働きかける。 ◆「眠り」と『死』(52節) ・イエスにとっての「眠りと死」の概念と、私たちにとってのそれとは、次元が違う。イエスはしばしば肉体的には目覚めている弟子たちに「目を覚ましていなさい」とおっしゃった。[マルコ13:33] またパウロはイエスと出会う前の私たちを「死んでいた者」と言っている。[エペソ2:1-2] ・私たちにとって、『眠り』は「肉体と意識の休息」だが、『死』は「肉体や意識の営みの終息(人生の終わり)」を意味する。しかしイエスにとっては「肉体の死」は『眠り』に過ぎず、『死』とは「肉体的には生きていても霊が機能せず神との交わりが絶たれている状態」を指す。すなわち、ここで「死んでいる」のは、少女ではなく周囲の人々。 ・イエスの声は見えない世界に働きかけ、少女の霊に届いた。私たちもこの使命に召されている。[エペソ6:12] 今日の真理: イエスは「見えない現実」に働きかける ◎更に深い学びのために ①娘の死を知らされたヤイロの心境を想像してみましょう。彼はどうしてそのように感じたと思いますか? ②そんなヤイロにイエスは「恐れず、ただ信じなさい」と言われました。何をどう信じろということなのでしょうか? ③「目に見える常識」に根差して生きることと、『イエスの言葉』に信頼して生きることは、どのように違いますか? Outline of the sermon “Common sense VS Word of Jesus.” (09/08/2026) [Luke 8:49~56] ◆“Faith” is above ‘Common Read more
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