2013年2月3日 「愛すること・信じること」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「愛すること・信じること」      (03/02/2013) [ヨハネ16:25-33] ◆私たちの使命    ・イエスが地上に来られたのは「父なる神を世に示すため」。(その愛・力・権威・聖さ・恵み・義など)    ・私たちが地上にいるのは「キリストを世に示すため」。[ヨハネ20:21] ◆どのように?  ・「個人の働き」よりも、むしろ「キリストにある者同士の関係」によって。[ヨハネ13:35] ・キリストの至上命令は、キリストの愛を経験した者同士が、互いに愛し合うこと。[Ⅰヨハネ3:23] ・私たち(教会)は「キリストのからだ」であり、1人1人は各器官。[Ⅰコリント12:27] それ故「共に集まる中」にこそ キリストご自身が現わされる。 ◆愛すること・信じること [27節] ― その共通点は?    ①1人では成り立たない。私たちは『関係』の中で生きるために造られた。    ②どちらも「ナチュラルにそれができない時」にこそ、本物が現わされる。(「~だから」に支えられていない。)  *まず『家族』の中で、そして教会(JCF)の中で、この1年「理由の要らない愛と信頼」 を育てよう。 ◆「愛と信頼」の原動力 [32~33節]   ・イエスが弟子たちに見捨てられても動じなかったのは、「決して見捨てないお方」に結び付けられていたから。 そしてイエスが私たちに「患難の中でも勇敢であれ」とおっしゃる根拠は「御父が示されたのと同じ愛と信頼を 私たちに示す」と決めておられるから。聖書もはっきりと次のように約束している。➝ [ローマ8:35-39] ★この同じ愛を、この2013年、JCFの中で、一緒に育てて行きましょう!   Outline of the sermon    “‘Love’ and ‘Trust’.”     (03/02/2013) [John 16:25-33] ◆ Our Read more…

(66) 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。

たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。 動物園でクサリにつながれたゾウを見たことのある方は、次のように感じたことはありませんか?「ゾウだったら、あんなクサリ簡単に引きちぎって逃げ出してしまえそうなのに…」 実際その通りです。ただ、動物の調教師たちはちゃんとわきまえていて、まだほんの小さな子ゾウの時からクサリにつないでおき「このクサリは決して引きちぎることはできない」と思い込ませることによって、ゾウが逃げ出すのを防いでいるのです。 さて、ゾウが逃げ出せないのは良いことですが、同じようなことが私たちの人生にも多々あります。すなわち「私たちの思い込みが、私たちの可能性を制限してしまう」ということです。もっと具体的に言うなら、「私たちの心の中にある『恐れ』が、私たちの夢の実現を妨げる」のです。 私たちは皆「失敗」を恐れます。ある人々は「拒絶されること」を極端に恐れます。また、人から笑われたり、バカにされたりすることを歓迎する人はいません。しばしば私たちは、やってみる前から「どうせできっこない」とあきらめてしまいます。全くその通りです。やってみる前から「できっこない!」と固く信じている人がチャレンジしたところで、成功することは恐らくないでしょう。しかし実のところ、私たちが抱いている『恐れ』というもののほとんどは、全く根拠がない、漠然としたものなのです。 ところが聖書は、「私たちは『恐れ』を乗り越えることができる」と教えます。その第1の秘訣は、「神が私たちに何かを与えようとしておられる時、それを妨げることのできるものは何もない」と信じることです。「恐れを乗り越える」とは、「もう失敗することはなくなる」ということではなく、「神が与えようとしているもの以下で甘んじてしまおうとする誘惑に、『No』と言う」ということです。 神は私たち1人1人に特別(ユニーク)なご計画を持っておられます。しかし悪魔は何とかそれを計画倒れにさせようと、必死になって私たちの心に『恐れ』を投げ込んでくるのです。ですから「神が用意された優れた人生」を歩むのは、心から神に信頼して生きる者たちだけに与えられた『特権』なのです。

2013年1月27日 「イエスの名によって」

説教あらすじ         「イエスの名によって」      (27/01/2013) [ヨハネ16:16-24] ◆「しばらくすると…」[16節] ― このイエスの言葉は2通りに解釈できる。 ①十字架と復活 [20節] :十字架は弟子たちに悲しみと絶望を、復活は大きな喜びと希望をもたらした。 ②昇天と再臨[21節,マルコ13:8] :もはやそこに絶望はない。必要とされるのは、確固たる希望に基づいた忍耐。    ・大切なのは「イエスがどちらを指していたのか?」ではなく、このイエス・キリストに信頼して歩む時、私たちは 決して失われることのない希望に基づいて地上での人生を全うし、永遠の御国に迎え入れられるということ。   *では、私たちのこの地上での人生は、単に「待っている人生」なのか? ◆「イエスの名」によって [23~24節] ・「イエスの名によって求める」 とは、何か呪文のようなものではない!➝ 『関係』に対する信頼の行為    *この地上での人生は、イエス・キリストを通して、神との信頼関係を築き上げていく期間。     ①「御父とイエスとの関係」に対する信頼        ・「御父がイエスを愛し、イエスに全幅の信頼を置いている」ということを信じる。     ②私たちとイエスとの関係        ・その関係にウソがない(事実に基づいている)ということを御父にアピールする。    *祈りが聞かれるために必要なのは「私たちの努力や良い行い」ではなく、「私たちはただキリストの身代わり の故に、父なる神の御前に『責められる所のない者』として出ることができるのだ」 という事実を信じること。 ◆ [Ⅰヨハネ3:21-23] ★朝ごとにイエスにある希望を告白し、「イエスの名によって」大胆に神に求めつつ、この2013年を歩んで行こう!    Outline of the sermon    “In the name of Jesus.”     (27/01/2013) [John Read more…

2013年1月13日 「『見えないもの』に目を留めて」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「『見えないもの』に目を留めて」      (13/01/2013) [ヨハネ16:4b-15] ◆「罪について」「義について」「さばきについて」の世の誤り。[7~11節] 世 真  理 罪 イエスを「冒涜罪」に定めた。 イエスを「神の子・救い主」と認めないことこそ、罪。 義 「自分が正しいと信じること」を行うことが、義。 「義なる神に受け入れられる者」となること。 さばき 「罪に定められた人間」を罰すること。 罪と死の力でこの世を支配していた「サタンの権威」を打ち砕くこと  ・弟子たちはイエスとの別れを悲しんだが、イエスは「見えない所によって歩む方が良い」とおっしゃった。弟子た ちは少なくとも3年半「見える形でイエスと共に歩む信仰体験」がある。逆に私たちは「見えるものに従った『不信 仰の歩み』」に満ちている。それ故『経験』に頼ろうとすると、世に引きずられる。 ・「目に見えるものに頼れない私たち」はあたかも盲人のよう。目をつぶると「言葉の重要性」に気づかされる。こ の「ことばの洪水」の中で、真に信頼できるものを聞き分け、信仰によってそれに従う。聞き分けられるまでは何 度でも聴き続ける。徹底した『受信』が必要。 ・赤ん坊は生まれてから話し出すまで約2年間聴き続ける。私たちは「見えないお方」に信頼して歩むようになっ て以来、それほどまでに「聴くこと・受信すること」に費やしてきただろうか?『大人』として行きたいばかりに「見 切り発進」していないか? ★とにかく聖書を読み、またそれを覚えよう。目を閉じて祈り、十分な時間、真理の御霊の御声に耳を傾けよう。 [Ⅰペテロ2:1-3]   Outline of the sermon    “Fix your eyes on what is unseen.”  Read more…

(65) 私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。

私は…あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。 もし『お金』というものが幸せの条件なのだとしたら、お金持ちの人は他のどんな人々よりも幸せだということになりますよね?ところが残念ながら統計はそれを示していません。幸福に暮らしている人の多くは、お金を追求したことによってではなく、「神様から与えられる生きがい」を追求することによって、それを得ているのです。 『幸福な人々が知っていること』という本の中で、ダン・ベーカー博士は次のように言っています。「私のある友人はすべての物を持っているように見えた。お金、自由、そして友人や家族…。しかし彼は最も欲していた物を手にしていなかった。それは『幸福感』である。彼の家庭生活は惨憺たるものだった。子供たちとはほとんど会話がなく、妻は仕事に忙殺される夫に対して不満がいっぱいだったのである…」 一体この男性の関心事はどこにあったのでしょうか?それは「与えられたものを活用する」のでなく、ただ「蓄えることに一生懸命」だったのです。 この話を聞いてある人は「いやぁ、それはその人が贅沢だっただけで、私だったらそれだけの条件が揃っていたら絶対に幸せになれるさ!」というかもしれません。けれど、決してそんなことはありません。『幸福感』は決してお金では買えないのです。どれほど財産を増し加えても、心にはいつもこんなささやきが聞こえてきます。「まだまださ。もっと儲けなきゃ、まだ安心できないよ。」 一体『幸福になる秘訣』とは何でしょうか?聖書は「それは物を集めることから来るのではなく、私たちの命の源である神様から来る」と言っています。神様は私たち人間を、1人1人目的を持ってお造りになりました。私たちがその「神が私のために用意してくださっている人生の目的」を追求して生きる時、お金その他の物はすべて2次的なものに過ぎません。あなたの人生を確固たるものとするのは「神の与える救い」「内面的な(霊的な)成長」「豊かな家族との関係」「心を分かち合える友」、そして「神から与えられた使命を全うしている、という実感」なのです。神を喜ばせることを熱心に追求している人で、心に喜びと幸福感を持ち合わせていない人に、私はまだ1度も会ったことはありません。

2013年1月6日 「キリストの証人」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「キリストの証人」      (06/01/2013) [ヨハネ15:18-16:4a] ◆私たちは、次の3つのことを求めて生きるために選ばれた。 ①「世のパターンを超えて生きること」を求める [18~19節]   *『世に属する者』: この世の流れや人々と調子を合わせて生きようとするあまり、自分自身や人生の目標を見失う。   *『選ばれた者』: 「神との調和」を切に求めて生きる中で、自分自身、そして人生の真の意味を見出す。  ・当然「調子を合わせようとしない」私たちを、人々は嫌ったり、迫害したり、何とか世の流れに巻き込もうとする。 ここで踏みとどまるなら、やがて彼らは、私たちの歩んでいる道こそ「真の優れた道」であることを見出すだろう。 ②「御父とキリストとを知ること」を求める [3節]   ・私たちが「神とキリストとを切に求めて」生きる時、キリストを知らない人々と調子が合うことはあり得ない。 それは私たちが変人だからではなく、「新しいいのち(永遠のいのち)」によって生かされているから。[ヨハネ17:3]      ・私たちは気を付けていないと教会の中でさえも不一致に陥る。それは、求めている『神』が「みことばの真 理」に基づいているか、「自分の願望」に基づいているか、でズレるから。 ③「キリストを証しすること」を求める [26~27節]   ・「キリストの愛を証しする」とは、『この世の生き方』と妥協して、寛容さを示すことではない。キリストは決し てそんなことはなさらなかった。『キリストの愛』とは、「この世の人々に受け入れてもらおう」とするのでは なく、むしろ「この世からつまはじきされてしまっている人々をも受け入れよう」とする愛。 ★まず、しっかりと「選び出され」、みことばによって「神との深い交わりの中で造り変えられ」、 真の神の愛によって送り出された『キリストの証人』として、この新しい年を進んで行こう!   Outline of the sermon    “Witness of Christ.”     (06/01/2013) [John 15:18-16:4a] ◆ What Read more…

(64) 試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。

アメリカにある「イエロー・ストーン国立公園」に、『ロッジポール・パイン』と呼ばれる珍しい松の木が生えています。この実であるいわゆる「マツボックリ」は、実ってから地上に落ちてくるまで何年もかかり、その後もしばらく堅くその実を閉ざし続けます。この実が開くのは非常な高温に取り囲まれた時だけなのです。 例えば「山火事」などが起こり、森のすべての木々が燃え尽きてしまったような時、その炎の中でこの松の実は開かれ、死んでしまった森林をもう1度よみがえらせるための最初の種となるのです。 多くの場合、私たちの内に秘められた潜在能力というものは、大きなピンチや抑圧に出くわして初めて見出されたり発揮されたりするものです。私たちは、予期せぬ試練に見舞われた時、思わずも「どうして私がこんな目に合わなければならないの?」とか、「もし本当に神様が私を愛しておられるなら、どうしてこんなことが起こるの?」などと言いがちです。その質問にお答えしましょう。そのようなことがあなたに起こったのは… ①あなたが知らなかった神様の更に深い側面は、激しい試練の中でこそ経験できるから。 ②単なる炭素がダイヤモンドへと変化するためには、耐えられそうにないほどの熱と圧力を通されなければならないから。 そして ③すべてを失って、もはや誰もあなたのことを顧みてくれなくなったとしても、「神様だけはあなたを決して見捨てることはない」ということを、あなたが経験するためなのです。

2012年12月16日 「私たちのゴール」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「私たちのゴール」      (16/12/2012) [ヨハネ15: 13-17] ◆今日の箇所で、3つの驚くべきこと ①イエスは私たちを『友』と呼ばれた [15節]   *『友』と『しもべ』の違い     ・しもべは主人のすることを知らない。(させようとしていることは知っているが…)[創世記18:17]     ・イエスは「父の命じられたこと」ではなく「父のしておられたこと」を見て、それを行った。[ヨハネ5:19]     ・イエスは私たちに「何かをさせたい」のではなく、「一緒にしたい」。「命じる」のではなく「招く」。 ②イエスご自身がお選びになった [16節前半] ③その「選び」には、『約束』が伴っている [16節後半]    ・実を結ぶ。 ・祈りが答えられる。[マルコ16:20] ◆イエスは「どこ」で「何をしよう」と招いておられるのか?[使徒16:6-10] ◎「必要を持っている人々のところ」へ、「その必要のために『一緒に仕えよう』」と。[Ⅰヨハネ3:16-18] ・私たちは、このために造られたし、選ばれた。どんなものでも、その「作られた目的」に従って用いられる時 最大限の力を発揮する。(「マザー・テレサの祈り」) ★「この人は自分のためにどう役に立つか」ではなく、「この人が神にあって最高の人生を生きるために、 自分が与えられるものは何か?」を求めながら、この年末年始を過ごしましょう!   Outline of the sermon    “This is what we are created for.”     (16/12/2012) [John 15: 13-17] Read more…

2012年12月9日 「『人』こそ、神の栄光」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「『人』こそ、神の栄光」     (09/12/2012) [ヨハネ15: 7-12] ◆「何でもあなたがたのほしいものを…」[7節] ・これは「自分の欲しいもののために、都合の良いみことばを利用する」ということではない。 [ヤコブ4:2-3] ・イエスにとどまり、みことばを内に蓄えていくと、『欲しいもの』が変わってくる。   ①真理(神のみこころ)を知ること ②真理(神のみこころ)を行う力 ➝ 実を結び、神の栄光を現す人生 [8節] ◆「神の栄光を現す」とは?[イザヤ43:7]  = 『人』こそ、神の栄光! ・ここでの「父の栄光」は、悪魔が支配する「この世の習慣」から、私たちを取り戻すこと。[ヤコブ4:4-7] ◆「愛の中にとどまる」[9~10節]  *どうして「愛の中にとどまる」ために「戒めを守る」必要があるのか? ・「愛の中にとどまる」とは、「イエスと向き合っている関係」ではなく、「同じものを同じ心で見つめる関係」。 ・神の目的は、ご自身の栄光のために造られた『人々』を取り戻すこと。「この世の快楽」という武器によって 悪魔に捕らえられている人々を、「造り主と心を通わせて生きる」という人生最大の喜びへと奪い返すこと。 ◆イエスは、「自分と『同じ心』で隣人を愛する者」を求めておられる。[12節] ・今日もイエスは、ご自分が御父と心を1つにして、その身を捧げて私たちを悪魔の支配から取り戻されたと同様に、自身を捧げ、彼と心を合わせて、人々を真のいのちへと取り戻すために共に働いてくれる人々を求めておられる。       Outline of the sermon    “『We』 are for the glory of God.”     (09/12/2012) [John 15: 7-12] ◆“Ask Read more…

(63) 私たちのために、ぶどう畑を荒らすキツネや子狐を捕らえておくれ。

しばらくの間商用で出かけていたある人が、久し振りに友人である『天才彫刻家ミケランジェロ』のアトリエを訪れて驚きました。ずいぶん前から手掛けているはずの作品が、全く進んでいないように見えるのです。思わず彼は言いました。「一体どうかしたのかい?その作品、以前から全然進んでいないじゃないか!」 すると天才彫刻家は答えました。「何を言ってるんだい?キミがこの前来てくれた時から、毎日せっせと作業を進めているよ?」 友人はあきれて言いました。「何だって?一体この作品のどこを進めているって言うんだい?」 ミケランジェロは説明を始めました。「いいかい、まずこのところのラインを以前より柔らかくしたし、この唇のところを前よりも真っ直ぐにしたし、筋肉の様子をもっとはっきりさせたし…」 友人は最後まで聞いていることができずに言いました。「そんなの全部、ささいな部分ばかりじゃないか!」 そこでミケランジェロは微笑んで答えました。「そりゃあ『ささいなこと』かもしれないけど、そのささいなことをすべてやり遂げなければ、作品は完成しないじゃないか!」 私たちの人生の『ぶどう畑』を荒らすのは、大きな野獣ではなく『子狐たち』です。幸せなスタートを切った結婚生活が崩れ始めるのは「夫や妻が、相手の小さな親切に『ありがとう』の言葉を忘れてしまうようになった時」であり、陸上選手が競技に敗れるのは「ほんの小さな歩幅がズレてしまったとき」なのです。私たちは人生の「大きな構図」を描くことや、神様にその夢をかなえてもらうことに夢中になりすぎて、一見大したことには思えないような日常の出来事に『愛』と『誠実さ』を込めて取り組むことをおろそかにはしていないでしょうか?神は「小さいことに忠実な人々」にこそ、「大いなることを任せてくださる」のです。 さあ、あなたが今日捕まえなければならない「子狐」は何でしょう?誰かに対して抱いている『ちょっとした苦々しさ』? 「これくらいなら…」と、いつも大目に見てしまっている『ささいな悪癖』? それとも、つい軽はずみに言ってしまう『出まかせ』? それらを注意深く見張って、捕まえて追い出してしまいましょう! きっとあなたの人生に決定的な変化が訪れるはずです。