2016年5月15日 「『信仰』に関する神の真理

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ      「『信仰』に関する 神の真理」    (15/05/2016) ◆真の『信仰』とは? ・「自分勝手な対象」に対してではなく、「愛とあわれみに満ちた、唯一まことの創造主なる神」に対して。 ・「自分の力で生み出すもの」ではなく、「神を知ること」に啓発されて内側から生じるもの。[ローマ10:17] 『信仰』とは、「神のあわれみを知り、それにふさわしく応答すること」 ・「信じない」人々は、『不信仰』というよりは、「分かっていない」。 しかし、分かったのに応答をためらっているのは『不信仰』。 ◆信仰と行動 ・私たちの「救い」は、この『信仰』だけによる。[エペソ2:8-9] 『宣教』はこの「救い」のため。[ローマ10:11-14] ・「救われた後の歩み」も、『信仰』による。 目的は「神を知ること」だけではなく、「それにふさわしい応答」。 *「見切り発信」や「人からのプレッシャー」にご注意を! ◆信仰は「個人的な神との関係」 ・「神への応答の仕方」は、私たち1人1人の「神のあわれみの理解度」によって異なる。それ故、他人に強いら れるべきではない。しかし誰もが「神の豊かさをもっと知ろう」とするべき。また、知っている人々は、「知ろうと している人」の求めに応じられるよう、備えていなければならない。 ◆なぜ『仲間』が必要か? ・私たちの成長を喜ばない悪魔は、「恐れ」を持って来て「信仰の歩み」を妨げる。 それ故、私たちは「他からの励まし」「見える模範」「祈りのサポート」を必要としている。[エペソ1:17-19] ✰互いに励まし合い、祈り合いながら、この『信仰』において成長して行きましょう!!   Outline of the sermon       “God’s truth about ‘Faith’.”      (15/05/2016) ◆What does “faith” really mean? ・It is Read more…

(212) “熱心だけで知識のないのはよくない。急ぎ足の者はつまずく。”

私たちの人間関係にしばしば混乱をもたらすものに「勝手な思い込み」というものがあります。私たちは元来自己中心的な性質をもっていますから、相手を「思いやろう」としているにも関わらず、自分勝手な考え方で相手の気持を察しようとしてしまい、思いやりが裏目に出て、感謝の代わりに恨みを買ってしまうことがあるのです。結果的に、本当なら関係が更に親密なものになるはずだったのに、お互いの心に深い傷を残すことになります。 しかしこのような悲劇は、ほんのちょっとした機転で回避することができます。それは「自分勝手な推測に頼らず、思い切って本人に尋ねてみる」ということです。あなたが本当に心から相手にとっての益を求めているなら、相手が今本当に必要としているものを教えてもらう時間(手間)をかけてみたらどうでしょう? 物質社会に生きている私たちは、つい『人助け』を「物を与えること」で片付けてしまう傾向があります。でも実際は『物』よりも価値があるのは『時間』です。仮に相手が打ち明けてくれた必要が、あなたが具体的に応えてあげられないものであったとしても、相手はあなたが「聞いてくれた」ことによって励ましを受けるでしょうし、聞いたあなたもその人の必要のために祈ることができるし、またその必要に応えられる人を一緒に探してあげることだってできます。 神は私たちとの親密な関係を築くために『人(イエス・キリスト)』となられました。私たちも「私:助ける人」「あなた:助けてもらう人」ではなく、「相手と共に立つ人」となるために時間を割ける者となりましょう。

2016年5月8日 「『罪』に関する神の真理」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「『罪』に関する 神の真理」     (08/05/2016) ◆すべての罪は「神に対して」でもある [ルカ15:18] ・罪は「あなたを愛し、最善を願っておられる神」の心を痛める。 ◆『罪』の根本性質 ・『罪』とは、「行いそのもの」ではなく、「私たちの内側にあって、それらの行いを生み出す『原因』になるもの」。 「罪とは、神に対して反抗する、心の中の霊的態度である」 (デレック・プリンス) すなわち、神から与えられた「自由選択」を自分本位に用いようとすること。 [ローマ14:23] ・「何故自分本位に用いてはいけないの?」と思ってしまうこと自体が、私たちの『罪性』を現している。 ◆『自由意志』の重大性 ・私たちが「いのちと救い」に至るか、「死とさばき」に至るかは、今の『私たちの選択』にかかっている! ・神は私たちの「正しい選択」を助けるために、モーセを通して『律法』を与え[申命記30:19]、更に、弱さの故に 正しい選択をできないでいる私たちをさえ憐れんで、御子イエスを遣わされた。[ローマ8:3] 何という恵み! ・「罪からの脱出の道」は、このキリストを通して「自分の意志で神に近づく道を選択する」こと。[ヤコブ4:8] ◆残された2つの疑問   ①イエスによって救われた人々は、罪を犯さないようになるのか? ・現状を見ると違う。しかし「キリストのように変えられる」という約束がある。 ・『罪』に対する意識がはっきりと変わる。「神との関係」で自分を捉えるようになる。[ローマ6:10-11]   ②どうせ赦されているなら、どんなに罪を犯してもいいのか? ・理屈では、そう。[ローマ8:1] でも現実にはそうはならない。[ヘブル9:14]   Outline of the sermon       “God’s truth about ‘Sin’.”      (08/05/2016) ◆All sins are “against Read more…

(211) “互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。”

1980年代に上映された「スタンド・アンド・デリバー」というアメリカ映画があります。主人公はある高校に赴任した数学の教師なのですが、彼のクラスに同じ『ジョニー』という名前の2人の男子学生がいました。名前は同じでしたが、出来は全く異なり、1人は明るい性格で成績も良く、クラスの人気者でした。ところがもう1人のジョニーはというと、いわゆる「クラスの問題児」で、その教師はいつも彼に手を焼くのでした。 ある日のPTAの集まりの日、1人の母親が教師のところにやってきて尋ねました。「ウチの息子のジョニーはちゃんとやっているでしょうか?」教師は「出来の良いジョニー」の方と勘違いして、「いやぁ、彼が私のクラスにいてくれることは大きな喜びですよ。彼の存在をどんなに感謝しているか、表現のしようもありません!」と答えました。翌日当の「問題児ジョニー」が教師のところにやってきて言いました。「昨日お母さんから、先生がボクのことをどんな風に思っていてくれているか聞きました。ボクのことを歓迎してくれた教師は、先生が初めてなんです!」 その後このジョニーはどうなったでしょう。彼は頑張って毎日宿題をこなすようになり、クラスの中でも指折りの熱心な学生となって、そして何よりもこの教師の1番の理解者・友人となったのです。 もしあなたが誰かの隠れた優れた点を見出し、勇気をもってそれを相手に伝えるなら、それは相手にとって「生きる希望を増し加える」ことになるのです。別の言葉で言うなら、「今の自分よりもひと回り優れた者となろう」という『ヤル気』を起こさせるわけです。そんな励ましを与える者となるのに『お金』も『特別な才能』も『立派な外見』も要りません。また、そんな励ましを必要としていない人はいません。さあ、今日から初めましょう!

2016年5月1日 「神の真理 vs 悪魔の嘘」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「神の真理vs悪魔の嘘」     (01/05/2016) ◆判断基準を神に置く ・「神」こそが『真理』。真理は神から出ているのであって、私たちの内には真理はない。 ・悪魔は「天地創造の初めから」ウソつき。[ヨハネ8:44] ― クリスチャンであっても、だまされる。 ◆私たちは『真理』を知るべき ・神の願いは、私たち皆が「救われること」だけでなく、「真理を知ること」でもある。[Ⅰテモテ2:4] ・皆がまず知るべき真理 = [ヨハネ3:16] 「神は良い父」。 悪魔は、まずこれを疑わせたい。 ・イエス・キリスト(神のことば)こそ、『真理』。[ヨハネ14:6]  彼は「真理をあかしするため」に来られた。[ヨハネ18:37] ◆『真理』の性質   ①自由にする [ヨハネ8:31-32] ― イエスのことばに「とどまる」なら。 ・人生の疑問や矛盾に答えを得る  ・人間の尊厳性の回復  ・愛することの喜び   ②生きる勇気と確信を与える [Ⅱコリント13:8] ・正しい判断基準を持ち、大胆に行動できるようになる。   ③悪魔のウソから守る [ヨハネ17:15-17] ・物事を「みことばに照らし合わせて」判断する。(聖霊の助け:[Ⅰヨハネ5:6,ヨハネ16:13]) ・分かった真理に「信仰によって」従う。(感情的に納得できなくても)   Outline of the sermon      “God’s truth vs Satan’s deception.”     (01/05/2016) Read more…

(210) “争いを避けることは人の誉れ、愚か者はみな争いを引き起こす。”

一般に日本人は「議論するのが苦手」と言われます。実際「議論すること」自体は悪いことではないのですが、しっかりとしたマナーを持って議論しないと、相手との関係がギクシャクしたり、関係そのものを壊してしまうきっかけになるため、敢えて議論することを避けてしまう傾向があるのではないでしょうか?ではどのようにして上手に(建設的に)議論することができるのでしょう? 神は私たち1人1人をユニークな存在としてお造りになりましたから、1人1人が違った意見を持っていて当然です。私たち夫婦は大変仲良しですが、意見の衝突はしょっちゅう起こります。しかしそれをエスカレートさせない方法はそれほど難しいことではありません。 まず第1に、「相手の意見に深く耳を傾ける」ということです。意見の衝突をエスカレートさせる大きな原因の1つは、「自分が最も正しい」と無意識のうちに思い込んでいることにあります。ですから「相手は自分のことが分かっていない!」という不満がお互いに爆発し、もはや議論は収集がつかなくなります。ところが、もしあなたが「相手は私がまだ知らない何かを知っているのかもしれない」というへりくだった姿勢で聞く耳を立て、相手の言い分だけではなく、その背後にある気持をも汲み取ってあげるならば、議論はお互いに対する『深い理解』につながり、建設的な方向へと進みます。 上手な議論のもう1つのコツは、「焦点を『問題そのもの』ではなく、『問題の解決』に合わせる」ということです。聖書によると、人間は『禁断の木の実』を食べて以来、その罪責感の故に「責任転嫁」をするようになってしまったようです。「こんな事件が起こったのは、一体誰が原因なのだ?」と問われるや否や、私たちは自分を守ろうとするがあまり、必死で言い訳したり、他の誰かに責任をなすりつけようとしたりします。それでは何も問題の解決にはならず、人々が傷付くばかりです。神様は私たちの目を前後に付けることなく、前にだけお付けになりました。それは私たちが後ろ向きな姿勢ではなく、常に前を向いて(事態の改善に向けて)歩むためです。問題解決のために原因を探ることは大切ですが、それが「誰の失敗によるものか」は重要ではありません。 『上手な議論』とは、常に「お互いをより深く理解しようとする姿勢」と「共に事態の向上を願う心」から生まれるものなのです。

2016年4月24日 「良心よりも大きな神」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「良心よりも大きな神」      (24/04/2016) ◆善悪の判断基準 ・人は「自分の良心」に基づいて善悪を判断しようとする。しかし『良心』は完全ではない! ・神は私たちの良心よりも大いなる方。[Ⅰヨハネ3:20] ― それ故、本来は「神の判断」を仰ぐべき ・人間が自分で善悪の判断をするようになったのは、『禁断の木の実』を食べた結果。 「善悪を知る」 ⇒ 「罪責感」 ⇒ 「責任転嫁」 ◆「神に従う」とは? ・「善悪の知識の実」を食べた結果、人は神から離れ(『自立』?し)、自分の罪の責任を自分で負うことになった。 ・神が御子イエスに「私たちの罪を負わせた」とは、もう1度私たちを『誤った自立』から「神に頼って生きる者」 すなわち「神ご自身に判断基準を置いて生きる者とされた」ということ。  *私たちは、神からは『自立』しなくて良い。責任は「父である神」が取ってくださる。 (「だから罪を犯しても良い」のではなく、「だから捨て身で人々と関わることができる」。[Ⅰヨハネ3:18-20]) ◆神と共に『最善』を生きる   ・神にとっては、「善か、悪か?」ではなく、「最善か、それ以下か?」しかない!(“Better is enemy of the Best.”) ・私たちの使命は、「何か最善か」を尋ね求めながら、『完全』を目指して生きること。 [ローマ12:2] ◎私たちは、「神と共に最善を生きるため」に、キリストによってリセットされた!     Outline of the sermon     “God is greater Read more…

(209) “あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。”

ある人々は、「クリスチャンの人たちはよく『お祈り』をするけど、一体どんな風にお祈りしたらいいの?」 と尋ねます。実のところ、そのような人々は「どう祈ったら良いのか分からない」のではなく、「どうやったら『あの人々のように』祈れるのか分からない」のです。 イエス・キリストは『祈り』に関して教えるとき、「形式や言葉遣いなどにこだわらなくて良い」とおっしゃいました。何故なら、神は私たちの祈る『ことば』に関心があるのではなく、『心』に関心があるからです。その祈りがどれほど口先で上手に表現されていても、その人の心が深く神様につなげられていないなら、その祈りは神の前に価値のないものなのです。 『祈り』はある面『呼吸』のようなものです。私たちは通常ほとんど意識することなく、本能的に『呼吸』をしています。それは私たちのからだが「酸素」なしには一瞬たりとも生きられないからです。すなわち『呼吸』は、「わたしたちが酸素にどれほど依存しているか」をありのまま表現しているのです。 『祈り』も同様です。私たちは何も格好をつけて「自分を信仰的に見せるため」に祈るわけではありません。それは「私たちが神様にどれほど依存しているか」をありのままに表現した、いのちの営みなのです。『祈り』を通して私たちは、今日も生きて働いておられる神様と、親しい関係を保ちながら歩むことができるのです。

2016年4月10日 「イエスとの再会」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「イエスとの再会」      (10/04/2016) ◆福音の中身⑨(最終回) ― 「キリストの再臨」 ・イエスは「また来る(私たちを迎えに来る)」と言われた。[ヨハネ14:1-3] ・イエスの昇天後、天使も念を押した。[使徒1:10-11] ・しかし『その日』がいつなのか、誰も知らない。 ◆『その日』に何が起こるのか? ①顔と顔とを合わせて主イエスと会う [Ⅰコリント13:12] ②『新しい(不死の)からだ』が与えられる ― 真の復活! [Ⅰコリント15:51-54] ◆再臨を待ち望む心 = 愛情の問題[マタイ24:14] ①主イエスに対する愛  ②人々(世界)に対する愛  ― 『再臨』と『宣教』の関係 ・イエスを求める心がなければ、宣教に対する情熱も生まれない。   ・「遅すぎるのでは?」という考え → [Ⅱペテロ3:9, 12-13] *聖書の最後のことば[黙示録22:20-21] ・このことばは「『神』と『この世』とのどちらをより愛しているか」を探るためのバロメーター。   Outline of the sermon        “Reunion with Jesus.”      (10/04/2016) ◆What has God given us Read more…