(85) “そこでピラトは、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った「この人の血について、私には責任がない。」”

皆さん知っていましたか、天国には悪い人ばかりいて、地獄には善い人ばかりがいるんだそうですよ。だって天国では皆が互いに 「ボクが悪かったんですよ。」 「いえいえ、私の方こそ悪かったんです!」 と言い合っていて、逆に地獄では皆が 「オレは悪くないぜ。悪いのはアイツだよ。」 「何言ってるのよ。私はちっとも悪くなんかないわ。そもそもアナタのせいじゃないの!」 と互いに自己弁護し、罪を人になすりつけているんですから… 上記はもちろん1つの寓話ですが、このように「失敗を誰かのせいにばかりしている人の周りには、決して幸福は生まれない」ということは言えるかもしれません。 私たちは現代、今までにない「責任をなすりつける」という習慣にまみれた時代に生きていると言えるかもしれません。人々は様々な理由を付けて「責任を追及されることを避けるための言い逃れ」をすることに夢中です。「自分がこうなったのは、アイツのせいだ。あの出来事のせいだ。」と。そして問題の発祥は決して自分ではないのです。 他の人に責任をなすりつけることは、一時的にはあなたの気持ちを楽にするかもしれませんが、それはあなたを中心とした人間関係を徐々に蝕んでいくのです。たとえ誰にも気づかれなかったとしても、世界に少なくとも2人は真実を知る者がいます。それは神様とあなた自身です。自分の責任を無視しようとし続ける限り、神のまなざしはあなたの『自責の念』を増長させることにしかなりません。しかし、もしあなたが神の前に自分の落ち度を認め、人々に対する責任を果たそうと努めるなら、その同じ神のまなざしが「愛のまなざし」と感じ取れるようになるのです。 もし非が他の人にあるのなら、その責任はその人自身が取らなければなりません。誰であっても「自分の非を認め、神を敬いつつ自分の責任を果たしていく」ところに、真の解決、そして解放があるのです。