(86) “無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨ててしまいなさい。”

毒蛇にかまれた男が、慌てて病院に駆け込みました。診察を終えてから男は医者に尋ねました。「命に関わるようなことはあるのでしょうか?」 医者は答えました。「咬まれた傷自体は大したことはありませんが、毒が体に残っていると、その危険はあります。」 私たちの人間関係にも同じようなことが言えます。誰かから嫌なことを言われたり、意地悪をされたりすることは心が痛みますが、その『キズ』自体は致命的ではありません。むしろそれをどう解釈するかが、私たちの人生や人間関係に大きな影響を与えます。私たちの人生に起こる出来事の中には、私たちには選ぶことのできないものもあります。しかし、私たちの人生を壊したり蝕んだりするのは、『出来事そのもの』ではなく、「その出来事をきっかけに私たちの心の中に起こった反応を、私たちがどう処理するか」にかかっています。心に生じた苦々しさを何度も何度も思い返していくうちに、やがてそれが相手への憎しみ(毒)となり、あなたの心を支配し、神様があなたのために備えてくださっている祝福を奪っていくのです。 しかし神様は、私たちがそのような悲劇から逃れるための道を用意してくださいました。それは『赦し』の道です。聖書は言います。「神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」 神は、罪なきご自分のひとり子イエスを、私たちの罪の身代わりに十字架におつけになりました。私たちの『罪』とは、「いつでも自分が1番良い目をみたい、というワガママで自己中心的な心の態度」のことです。神はその罪の『責め』を私たちに負わせる代わりに、イエス・キリストに負わせたのです。それは私たちがもはや「罪の責め」を誰に負わせることもしないようになるためなのです。 憎しみや恨みからは何も良いものは生まれません。私たちがこれらのものから解放されるためには、それらの毒を吸い出してもらうことです。イエス・キリストを通して示された神の『愛と赦し』は、私たちの心に巣食おうとする毒を吸い出す力があるのです。あなたはもうこの『愛と赦し』を受け取りましたか?

2013年7月14日 「イエスは生きておられる」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ          「イエスは生きておられる」     (14/07/2013) [ヨハネ20: 1-10]  ◆墓の中にイエスの死体がなかったことを理由づける、4つの理論    ①墓を間違えた。  ②死体が盗まれた。(祭司長たち,泥棒[5節],弟子たち[マタイ28:11-15])    ③イエスは死んでいなかった(蘇生説)。  ④本当によみがえった!(1番もっともらしい)   ◆弟子たちはまだ理解していなかった。[9節] - [ヨハネ16:16-17](これはたった数日前のこと)   ・なぜ?    地上のこと(人間に属すること)しか考えていなかったから。[マルコ8:31-33]             「神のための自分」 ではなく、「自分のための神」 ◆「イエスのよみがえり」の2つの意味   ①私たちも皆、いずれ必ずよみがえり、神の前に立たされる [ヨハネの黙示録20:12-13]     ・イエスが弁護人として共に立ってくださるか否かは、生前の決断にかかっている!   ②私たちは「死んでくださった方へのご恩返し」のために生きているのではなく、     「よみがえられて、今日を共に生きてくださる方」と一緒に人生を歩んでいる。     ・「死んでくれてありがとう」ではなくて、「今日も共に生きてくれてありがとう」と言うべき。     ・キリストを知る前の古い生き方ではなく、キリストを連れて歩くにふさわしい生き方。[Ⅱコリント5:15] ☆イエス様、今日もいっしょに生きましょう!   Outline of the sermon      “Jesus is alive now!”     (14/07/2013) [John 20: 1-10]  ◆   Why was the body of Jesus missing? ①   Wrong tomb?    ② Stolen?(by Read more…