本当に不思議なことですが、何故か私たちは「人から受けた親切」はすぐに忘れてしまい、「裏切られたり傷を受けたりしたこと」ほど、いつまでも覚えているものです。しかしそのような生き方は私たちに何の益ももたらしません。

 こんな話を聞いたことがあります。ある友人同士の2人が砂漠を旅していました。途中でちょっとした口論になり、1人がもう1人の方の頬を平手打ちにしました。打たれた方は何も言わずにただその場にしゃがんで、砂の上に「今日友だちが私の頬を平手打ちにした」と書きました。2人は一緒に旅を続け、やがて水のあるオアシスに辿り着きました。2人ともとても喉が渇いていたので水辺に殺到しましたが、ついさっき頬を打たれた方が勢い余って水の中に落ちてしまい溺れかけました。驚いたもう1人は水の中に飛び込んで溺れていた友人を助け出しました。その夜助けてもらった方の人が平たい石を見つけて来て、その表面に「今日友だちが私の命を救ってくれた」と刻みました。それを見ていた友人が彼に尋ねました。「キミはどうして昼間私が頬を叩いた時には砂の上にそのことを書き、今度は石に刻んでいるんだい?」 彼は答えました。「誰かに嫌なことをされた時は、それを砂に書くのがいいんだよ。そうすればいつか『赦しの風』が吹き消してくれるだろ?でも良いことをしてもらった時はこうやって石に刻み付ければ長く覚えていられるからさ。」

 憐れみ深い神は、ひとり子イエス・キリストの十字架における代償によって、私たちの『不信仰の罪』を赦してくださり、今日も憐れみの眼差しで私たちを見守ってくださっています。私たちもこのように「憐れみを受けている者」として、人々から受けたイヤな傷を忘れ、親切な行いを心に留めて生きて行きましょう。


0 Comments

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *