2011年7月17日 神のわざを行う者となる

(今回はオーディオがありませんのであしからず。) 説教あらすじ 「神のわざを行う者となる」 (17/07/2011) ◎[ヨハネ4:31-38] ◆ [34節]  *この前は『水』の話だったが、今回は『食べ物』。    ・『食物』:それは人生における最大の関心事。イエスにとってそれは「父のみこころを成し遂げること」だった。   ・ある人は「『自分のやりたいことのため』ではなく『他の誰かのため』に生きるなんて可愛そう…」と言うだろう が、その考えは次の2つの点で誤っている。     ①「自分の使命」がはっきりしていて、毎時そのために全力を尽くせるのは、幸いである。     ②『自分』のために生きるより、『大切な誰か』のために生きる方が、ずっと生きがいを感じるものである。 ◆ このように生きるイエスのために、父なる神はいつもご自身の『みこころ』をお示しになった。 ・私たちは何のために「神のみこころ」を求めているのか? 純粋に彼を愛しているからか?   それとも単に「やりがい」を見出したいからか?(いわゆる「神に用いられたい」という名目の自分の欲のため?) ・私たちがまず求めるべきものは『神への愛』。  「私たちが神にしてもらいたいこと」ではなく、「神が私たちにして欲しいと思っていること」に思いを向けよう。      ➝ それは『私たち自身』を献げること。[ローマ12:1-2] これぞ「霊とまことによる礼拝」 ◆ 神のわざを行うのは、「個人プレー」ではなく、「適切な役割分担 + チームワーク」 [36-37節] ・この場面でも、イエスが「種を蒔き」、弟子たちが「刈り取り」のために働いたはず。 ・「あれはあの人の働きだから、私とは関係ない」とか「この人は私が誘ったんだから、最後まで面倒看なきゃ」 などということはない。「神のみこころに従ったわざ」は、誰のものでもなく『神のわざ』である。[Ⅰコリント3:6-7] そして神はご自身の好む人々に、そのみこころに応じてご自分のわざを委ねられる。 ◆ 私たちはしばしば「何故私が?」とか「どうして今なの?」などと、つい不平を言いたくなる。しかし、そこには 私たちの思いを遙かに超えた『神の御手』が働いている。だから私たちは、その時その時に神が置いてくださる 状況の中で、とにかく最善を尽くそう。[ピリピ2:13-16]  *次のような祈りは参考になる。 「神様。私は今どうしてここでこうしているのか分かりません。でもこれにはきっと意味があり、私が今あなたの計画のとても大切な部分を担っているのだと信じます。ですから、ともかく今与えられていることを熱心に行います。 どうぞ私を支えてください。そして、私の人生を通して、あなたの大いなるみわざを成し遂げてください!」 考えてみましょう ・あなたの「人生における最大の関心事」は何ですか? ・「神のみわざを成し遂げる者」となるために、あなたにできることは何ですか?