2011年8月21日 『フルサイズの人生』を生きる

説教あらすじ 「『フルサイズの人生』を生きる」 (21/08/2011) ◎[ヨハネ5:19-30] *ほとんどの人は『フルサイズの人生』を生きていない。それはなぜか? ◆人の行動の主要な動機   ①「願望(~したい)」  ②「義務感(~しなければならない)」  ③「使命感〔価値観〕(~すべき)」     ・『フルサイズの人生』のためには、①②③が揃わなければならない。それを可能にするのが『愛の関係』。 ◆イエスは、私たちに『フルサイズの人生』を送らせるために来られた。[ヨハネ10:10]    ・だからこそ、イエスは私たちに、最高の教えとして「愛の律法 [ヨハネ15:12]」を与えられた。それ故、私たちが     『フルサイズの人生』を生きるためには、まずこの「愛の関係」を人々との間に築く術を知らなければならない。 ◆イエスと御父との関係はどうだったのか?[19節]    ・イエスは本当に「自分からは何もできな」かったのか? 決してそんなことはない。      では、なぜこのような発言をしたのか? ➝ 御父との「完全な愛の関係」の故に、そう決めていた。    ・御父もイエスに対する完全な愛と信頼の故に、そのみこころを余すところなく示した。[20節]      そして御父は今日、私たちとも同様の関係を築くことを求めておられる。[例:創世記18章17節] ◆イエスの御父に対する信頼の根拠は?    ①御父は良い父だと知っていたから。[21節]   ②御父は『気分屋』ではないと知っていたから。[22節] ◆[25節] 『死人』とは? = 「まことの命の源」である父なる神とつながっていない人。 ★イエスの宣言[24節]と 2つの質問:   ・神との関係を回復し、「人々との愛の関係」を基盤とした『フルサイズの人生』を生きたいですか?   ・神に「彼にはこのことを秘密にしてはおけない!」と言われるような者になりたいですか? Outline of the sermon “Living our lives to the full.” (21/08/2011) ◎[ John 5:19-30]  * Why don’t most of us live our Read more…

2011年8月14日 ありがちな勘違い

説教あらすじ「ありがちな勘違い」(14/08/2011) ◎[ヨハネ5:8-18] *この箇所から、私たちの信仰生活に起こりがちな「3つの勘違い」を見てみよう。  ①「安息日を守らなければならない」[10節]   ・この教えのルーツは、モーセの十戒 [出エジプト記20:8-11] また天地創造のわざ[創世記2:1-3]  ◆本来『安息日』は「万物の完成を祝う日」であり、また「神が、人との交わりを楽しむ日」  ②「律法は絶対である」     ・律法それ自体は正しく良いものだが、それよりも重要なのは、それを定めた神ご自身。[ローマ1:25]  ③「『神の教え』に従わなければならない」     ・ユダヤ人たちは「神の教え」を良く研究・分析したが、その根底にある「神の心」を理解しなかった。       一方イエスはいつも「みこころ」を知り、それを行うことに関心があった。[ヨハネ4:34]    *どうやって「神の心」を理解できる?― 信じた者に与えられる『御霊』によって。[Ⅰコリント2:11, 14-16]      神が私たちに聖霊をお与えになるのは、偉大なわざを行わせるためではなく神の心を理解させるため。 ◆[ガラテヤ5:16-18] 肉=生まれながらの性質(自分の力で神を喜ばせたい!)  *神は既にあなたを100%喜んでいる。彼の願いはその喜びを私たちと共有すること。[ヨハネ15:11] ★今日も神は私たちを招く。「わたしはあなたに『わたしの霊』すなわち『キリストの心』を与えた。キリストがわたしと心を1つにして歩んだように、あなたもわたしと心を合わせて、共に歩もうではないか。」 考えてみましょう   ・私たちの信仰生活に起こりがちな勘違いとは、どのようなものですか?  ・神が私たちに願っておられることは、どんなことですか? そのために私たちはどんなことができますか?  Outline of the sermon “Frequent misunderstandings.” (14/08/2011) ◎[ John 5:8-18]  *Today we will see 3 misunderstandings which we often fall into.  ①「Do not Read more…

2011年8月7日 『神のみわざ』のプロセス

説教あらすじ「『神のみわざ』のプロセス」(07/08/2010) ◎[ヨハネ5:1-9] *これは単なる「1人の病人が癒された」というだけの話ではない。 ◆イエスは目的を持ってこの回廊を歩いていた。   ・イエスは人々の「目に見える症状」だけではなく、「魂の癒しの必要」を捜しながら歩いていた。 ◆「よくなりたいか?」[6節]   ・普通は病人にこんなことは尋ねない。しかしこの病人にはそれを再び想起させる必要があった。   ・この病人には、もう1つの病(他者依存)があった。[7節] ◆「起きて、床を取り上げて歩きなさい!」[8節]   ・この言葉には次のような意図がある。      「あなたの人生を、他者に支配させてはならない。わたしの言葉に耳を傾けなさい。」   ・この病人はイエスの言葉を心の耳をもって聞き、それに従い、そして癒された。 ◆「神のわざ」のプロセス ◎目に見えるわざを行う前に、神はまず私たちの内側をご自身のみことばによって整える。[ピリピ2:13]     ・そのみことばによって、そのみこころに従って「志を立てさせ」「事を行わせる」。     ・「肉体の健康」よりも「魂の健康」の方が重要である。 ◆最も重要なこと  ・それは「まず静まって『神のことば(語りかけ)』に心の耳を傾けること。 ★神には「どうしてもあなたと一緒にやりたいこと」があるのです! 考えてみましょう ・イエスはこの病人に何と語りかけましたか? またそのことばにはどういう意味がありますか? ・あなたは日々イエスのことばに耳を傾けていますか? もし、いないなら、それはどうしてなのでしょう? Outline of the sermon “Procedure of ‘God’s Work’” (07/08/2010) ◎[John 5:1-9]   * This is not just ‘another healing story’!     ・Jesus was there looking for Read more…