(245) “少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。”

ある日マザー・テレサは、もう1週間も何も食べずに暮らしている貧しい7人家族がいると聞き、お米がたっぷり入った袋を携えて訪問しました。あばら家では栄養失調の子供たちを抱えた母親が大喜びでマザーを迎えました。ところがその母親は興味深いことを始めたのです。もらったばかりのお米を2つに分け、その1つを持ってどこかへ出かけていきました。戻ってきた母親にどこに行っていたのかとマザーが尋ねると「近所に私たちと同じようにお腹をすかせている家族がいるので、お米を届けてあげたのです」と答えました。この一連の出来事を振り返り、マザーは次のように述べています。「この母親がせっかくもらったお米を分けてあげたことは別に驚くことではありません。何故なら貧しい人々はいつも気前が良いものだからです。ただ私が驚かされたのは、自分たちが飢えの極致にいたにも関わらず、この母親が近所の人々の抱えていた問題にも気を配っていたということです。人間は通常、自分たちが大きな問題を抱えている時は、他の人のことなど考えてはいられないものだからです。」 「蒔いたものを刈り取る」これは、神が定めた『全世界共通の法則』です。しかも普通は、1粒の種を蒔いたら、その何倍もの収穫を刈り取ることになります。もし私たちがこの『1粒』を惜しんでしまうなら、後に与えられるはずの大きな収穫を受け損なう結果になります。 イエス・キリストは「与えなさい。そうすれば与えられます」とおっしゃいました。ここで問われているのは「自分がどれだけ持っているか」ではなく、「どれだけ与えるか」だけです。この世の常識に基づくならば「有り余るほど持っている人だけが分け与えるべきであって、自分は余るほどは持っていないのだから、分け与える必要はない」と考えるかもしれませんが、自然界の法則はそのようには働きません。 この天地を造られた神は『気前の良いお方』です。彼は善人悪人に関わらず、太陽を昇らせ、雨を降らせてくださいます。そしてこの神は、ご自分と同様に「気前良く生きる人々」を祝福せずにはいられない方なのです。

2017年1月22日 「イエスの名によって」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「イエスの名によって」      (22/01/2017) ◆「イエスの名によって」 とは? ・イエスの名によって求めれば、受ける。[ヨハネ16:24] ・イエスは「父の名によって」来られた。[ヨハネ5:43] *『(誰かの)名によって』とは、「代理人」であることを意味し、その人の権威を帯びている。[Ⅰヨハネ4:17] また、その名の人の『所有』となり、その人の「完全な権威と保護」の下に置かれる。 ・私たちが「救われる」のも、「祈りが聞かれる」のも、「キリストのごとく変えられる」のも、すべて『イエスの名』によって。 ◆「イエスの名」 による力あるわざ ・私たちは「イエスの名によって」力あるわざを行う。[マルコ16:17-18] ・「イエスの名」を用いれば、誰でも奇蹟を行えるわけではない。[使徒19:13-16] ・「イエスの名を用いること」が、私たちを救うのではない。[マタイ7:21-23] *では、どうすれば「イエスに知られる」のか? ◆大切なのは、神との『愛の関係』 [Ⅰコリント8:3,マタイ10:32-33] ・『辱め』さえも耐え抜く愛。[マタイ5:11,Ⅰペテロ4:14] ・聖霊は「イエスの名によって」私たち1人1人に遣わされる。[ヨハネ14:26] ◎「イエスの名によって生きる」とは、良くも悪くも「キリストと同一視される」ということ。 ・父なる神からも、世の勢力からも「キリストと同様に」扱われる。[ローマ8:16-17] ✰「イエスの名によって」 神の前にイエスのごとく大胆に進み出て、 世に対しても妥協することなく、勇敢に行動しよう!   Outline of the sermon     “In the name of Jesus.”   (22/01/2017) ◆“In the name of Jesus”? ・We will receive if we ask “in the Read more…