(564) “キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、…愛のうちに建てられることになります。”

 日本独特の慣用句で『内助の功』という言葉があります。「家庭において、夫の外部での働きを支える妻の功績」を指して使う言葉ですが、これは『家庭での妻』だけでなく、「華々しい功績の背景にある、目立たない陰の功労」にもあてはまるのではないでしょうか?  私は学生時代『演劇』をやっていました。また今も妻と2人でよくテレビドラマ(特に韓流?)を観るのですが、華々しい有名な主演俳優たちを上手に支えている『名脇役』がしばしば目に留まります。どんなドラマも、この『名脇役』なしには、薄っぺらなつまらないものになってしまいます。  私たちの人生も同じではないでしょうか?「誰もが『自分自身の人生』というドラマの主役である」という考え方もあるかもしれませんが、人生において「華々しい功績」を遺す人はわずかです。けれども全ての人は『名脇役』となる資質を備えているのだと思います。  神様は私たちを、決して「不要な存在、無価値な存在」としてはお造りになりませんでした。それぞれに「その人にしか担えない役割」を与えておられるのです。そしてその多くは「他の人を支え、引き立たせる役割」なのだと思います。私たち1人1人が「何とかして主役になって表舞台に立とう」とばかりしないで、その『価値ある特別な役割』を捜し、見出し、そのわざに磨きをかけて生きて行くなら、この世界は今よりもう少し温かくて潤いのあるものになるような気がするのは、私だけでしょうか?