私たち人間は皆、1人で生きていくことはできません。それは「1人ではすべてのことはできないから(「電気屋さん」や「水道屋さん」や「農家の人々」や「スーパーマーケット」も必要だから)」という意味ではなく、神が初めに人を造られたとき「1人で生きるようには造らなかった」からです。よく言われることですが、『人』という漢字は「人と人とが寄り掛かり合っている姿」を文字にしたものです。『人』はそのように「寄り添いながら生きるように」できているのです。だからこそ1人でいると私たちは『寂しい』と感じ、「寄り添ってくれそうな人」を捜すのではないでしょうか?

ところが、近年の文明発達や『個人主義』の風潮も手伝って、「勤め先や学校に話し相手がいない」「家に帰っても1人でテレビを観てるだけ」「休日を一緒に過ごす友達もいない」などという人が増え、やがてそんな風に1人で過ごすことに慣れてしまって、『寂しい』と感じる心さえ麻痺し始めているようです。でもふとしたはずみで、それまで押さえていた『寂しさ』や『心の痛み』がドッとあふれてきて、思わず叫んでしまう。「あぁ、どうしてこんなに寂しいの!どうしてこんな人生を生きなきゃならないの!一体私はどうしたらいいの!?」

神は「アナタが1人でいること」を望んでおられないだけではなく、「アナタが1人でいる寂しさに押し潰されてしまうこと」も望まれません。そのために『ひとり子イエス・キリスト』を地上に遣わされました。イエスは、アナタの『究極の友』です。アナタの心の痛みや寂しさを理解し、アナタの傍らに寄り添い、優しくアナタの心に触れ、そのうずきを癒してくださる方です。実は彼自身も同じような『拒絶』や『裏切り』を経験されたのです。彼は自分の家族にさえも理解されませんでした。当時の社会的リーダーたちには敵対視され、3年半共に歩み「生涯あなたについていきます!」と豪語していた弟子たちも、イエスが十字架刑に定められたとたん、逃げ出して行きました。(そのうちの1人は、イエスが十字架にかかることになるきっかけを作った張本人でした)

『人生の友』を必要としていますか?ならば神に求めてください。きっと与えられます。そしてその出会いを待ち望んでいる間、この『アナタの寂しさを完全に理解してくださる方』とのリアルな出会いを、ぜひ体験してみてください!

Categories: 聖書

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