2011年12月04日 知識と信仰

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ 「知識と信仰」       (04/12/2011) ◎[ヨハネ7:25-36] *ここに5種類の人々が登場している。 ①エルサレムのある人たち [25-27節] -いろんなことを知っているらしい。   ・イエスの反応 [28-29節] 「わたしは、あなたがたが知らないことも知っているよ。」   ・人々の反応 [30節] 自分のプライドの故に「カチン」ときた。➝ [Ⅰコリント8:1-2] ②群衆 [31節] - イエスを信じた。「自分よりも優れたもの」を見たから。(但し、以前として『奇跡』に依存) ③祭司長・パリサイ人 [32節]   ・イエスを捕らえようとした。(群衆の様子を見て、「自分たちの立場が危うくなる」と感じたから。) ④ユダヤ人たち [35-36節] ①の人々とほぼ同じ。   ・イエスについて互いに論じたが、イエスご自身のもとへは行こうとしない。    (自分たちの理解を越えたことに遭遇しても、神を求めず、自分たちの知識の範囲内で理解しようとする) ◆①~④の人々を観察して分かること。 ・「どれだけのことを知っているか?」ということよりも、「それらが何のためにあるのか?」を知っておくこと の方が重要。➝ [箴言1:7] ⑤イエス [28-29節]     ・神に基づいて「自分が何者であるか」を理解していた。神との関係を無視しては、自分の存在理由なし。これは危険 なように見えて、実は最も安全。「神がお許しにならない限り、危険なことは起こらない」と知っているから。[30節] ★まず「主を恐れる(神がすべての源)」ことを知ろう。 そしてその「初めの知識」を土台に、自分の知識や判断・行動を積み上げていこう!  Outline of the sermon      “Knowledge & Faith”      (04/12/2011) ◎[John 7:25-36] ①The people of Jerusalem. [Verse 25-27] -They Read more…

2011年11月27日 イエスと同じ土俵に立って

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ 「イエスと同じ土俵に立って」       (27/11/2011) ◎[ヨハネ7:14-24] ◆[14節] イエスは何を教えておられたのか?=「神の国について」「どう生きるかについて」       人々はしばしば理解できなかった。なぜ?➝ 立っている土俵が違ったから。[15~16節] ◆[17節] イエスの教えを理解できるかどうかは、その人の内にあるものが「自分の目先の利益」を追求しているか 「神のみこころが成し遂げられること」を追求しているか、で決まる。   ・ここでイエスは、自分と神とを区別している。イエスは地上に来られる時、その『神性』を捨てて『人』として 来られた。それは「神が初めに私たち人間に意図していた人生がどのようなものであったか」を示すため。   ・神はモーセを通して律法を与え、「どう生きるべきかを教えよう」とされたが、人は『神の心』を汲み取れなかっ た。イエスは『神の心』に基づいた「律法の真髄」を示すために来られ、その生き様を通して模範を示された。 ◆[21~23節] ・『安息日(律法)』は、何かを禁止するためのものではなく、「神と人とを愛して生きること」を学ばせるため。[マル コ2:27, ガラテヤ5:14]  では、何故私たちは誤解するのか?➝「行い(見えるところ)」を重視しすぎるから。 ◆[24節] 私たちはしばしば「うわべ(行い)」から正そうとし、努力して『善行』を行おうとするが、それが踏みにじら れると「せっかく善意でやったのに…」とつぶやく。しかし『真実の愛』から行ったなら、結果はどうでも良 いはず。その愛が本物かどうかは、それが報われないときにこそ試される。[マタイ6:3~4] ★イエスは、あなたが振り向いてくれるのを知っていたから、愛してくださったのではない!     Outline of the sermon  “Have the same point of view with Jesus.”  (27/11/2011) ◎[John 7:14-24] ◆[Verse 14]  What was Jesus teaching about? = “About the Read more…

2011年11月6日 罪を憎んで人を憎まず

         説教あらすじ 「罪を憎んで人を憎まず」       (06/11/2011) ◎[ヨハネ7:1-13] *今日の箇所は長いが、レッスンはたった1つ = 「神の愛に生きる」(罪を憎んで人を憎まず) ◆『世』という語に注目しながら、次の2つのみことばから、「イエスを通して現された神の愛の性質」を学び取ろう。  ◎[7節] : 「世(人々)の私たちに対する態度」は、「私たちの彼らに対する態度」によって決まる。     ・私たちが『世』と妥協しながら生きるなら、いわゆる「風当たり」は少ない。しかし、イエスは常に「神の義」に 立ち、『世』が罪を許容している誤りを指摘し続けたため、『世』に憎まれた。(UICSの証し) ◎[ヨハネ3:16] : 『神の愛』は、「状況」や「相手の出方」に関わりなく注がれる。[マタイ5:46-48]    ・48節で言っている『完全』というのは、「非の打ち所がない」ということではなく、「相手の態度や状況に 関わらず」ということ。このような姿勢(無条件の愛)は、まず「家庭」でこそ教えられ実践されていくべき。 ◆[11-13節] (いつの時代でも「人目を忍んだひそひそ話」はつきもの!)   ・『絶対的基準』なしに生きるなら、私たちは人目を恐れずには生きられない。「人を恐れること」から解放される ためには、「自分にとって絶対的な存在」を喜ばせるために、脇目もふらず、いつも最善を尽くすこと。   ・イエスはいつも『御父』を喜ばせることに集中していたので、人からの評価を問題にしなかった。[ヨハネ5:41,44] 私たちも同様に神に思いを向けて生きる時、『神の愛』が聖霊によって心から溢れ出るようになる。[ローマ5:5] ★「あなたの不完全さに関わりなく、トコトン愛してくださる方」を、あなたはもう知っていますか?   Outline of the sermon    “Hate sins but not sinners.”     (06/11/2011) ◎[ヨハネ7:1-13] *Though this paragraph is long, the essence is very simple. = “Hate sins but not sinners!” ◆ Read more…

2011年10月30日 人生の分かれ道

 説教あらすじ 「人生の分かれ道」       (30/10/2011) ◎[ヨハネ6:60-71]   ◆ここに3種類の人々が描かれている。    ①イエスのことばにつまずき、早々にイエスと共に歩むことをあきらめる人々。    ②終盤までイエスと共に歩むが、結局裏切る人。  ③最後まで、イエスと共に歩み続ける人々。 ◆この違いを生む原因は、究極的には、たった1つだけ = 私たちの(信仰による)『選択』。    *それぞれのグループが取った『選択』についてじっくり考えてみよう! ①イエスと共に歩むことを拒否 [66節] ・「信じられない」のではなく、「信じられる要素がある」のにも関わらず、それを信じることを拒否。 ・この世的価値観に執着し、『まことのいのち』に興味を示さない者は、決して悟らない。[マタイ13:13] ②イエスを裏切ることを選択 [64, 71節] ・イエスは「知っておられる」のであって「決めておられる」のではない。彼は知っていて、敢えて選んだ。あなた は、裏切られると分かっていても愛するか?イエスは最後までユダを愛し、彼の足をも洗った。[ヨハネ13:1-2] ・悪魔の手段は「私たちの『思い』の中に悪い種を蒔く」こと。私たちは自分の意志でそれを拒否できる! ・『人類最初の殺人事件』はどのようにして起こったか?[創世記4:3-7] これもカインの『選択』による。 ③「つまずき」を乗り越えて、従い続ける [67-69節] ・ポイントは『永遠いのちのことば』。彼らは「奇跡的なわざ」にではなく、『いのちのことば』に立っていた。[63節] ★「それがこの世において自分にどんな益をもたらすか?」ではなく、「今日、神のいのちの豊かさにあってどう生きるか?」を求めつつイエスのことばに耳を傾けるなら、私たちは日々正しい選択をしながら歩むことができる。   Outline of the sermon    “The crossroads of life”     (30/10/2011) ◎[John 6:60-71]   ◆ Here are 3 sorts of people described in this paragraph.    ① Those who Read more…

2011年10月23日 『聖餐式』を受ける理由

         説教あらすじ 「『聖餐式』を受ける理由」       (23/10/2011) ◎[ヨハネ6:52-59]  *イエスによる驚くべき表現 [53節]。 今日はこの『聖餐式』について深く学ぶ。  ①「イエスを持つ者であること」を自覚するため [54節] ・イエスは『教え』によってではなく、「ご自身を与える」ことによって私たちにいのちを与えた。[Ⅰヨハネ5:12] ・終わりの日に、父なる神がその裁きの座でご覧になるのは、私たちの「行いや知識」ではなく、私たちの内 におられる「御子イエスご自身」。 ②「魂の飢え渇きを満たす方であること」を覚えるため [55節] ・『まことの食物』とは、すなわち「1度得たなら、もはや繰り返す必要はない」ということ。[35節] ・私たちが「飢え渇いている」ものは何か? ➝ 「決して裏切られることのない信頼」「自分の不変的な価値」                          「自分を完全に理解し、それをありのままに受け入れてくれる存在」 ・イエスを人生に迎え入れる時、これらはすべて与えられ、日々イエスを味わうほどに、深く満たされていく。 ③「自己をイエスに明け渡すこと」を学ぶため [56節] ・この「とどまる」というのは、一方的で受け身的なプロセスではなく、相互作用。イエスは私たちが自分から 明け渡した(イエスを主と迎えた)領域にだけ働きかけ、祝福することができる。[ヨハネ15:4-5] ・まだ見ていないモノを信じ、求め続けるには、忍耐が必要だろう。[ヘブル10:36] しかしそれ以上に、イエス こそ、あなたの人生の全領域を祝福するために、あなたが彼を迎えてくれるのを忍耐して待っておられる。 ④「生きる目的が何であるか」を知るため [57節]   ・誰にでも『生きがい』が必要。イエスにとってそれは「父のみこころを知り、それを行うこと」だった。[ヨハネ4:34]   ・イエスが私たちの内におられるなら、私たちも彼によって志を与えられ、それを行うことによって真の喜びに満ちて生き るようになる。[ピリピ2:13] 「自分が何をするために生まれてきたのか分からない」のは、イエスを持っていないから。      Outline of the sermon  “Why do we have ‘Communion’.”  (23/10/2011) ◎[John 6:52-59]  *Jesus used amazing expression. [Verse 53]。 Let’s learn more about ‘Communion’.  ① Read more…